鷹の生涯についての話を聞いたのは、中学の頃だった。

隣の席にいたみょうじなまえという女が、自分に一生懸命聞かせてきたのだ。昨夜テレビで見た情報を俺に聞かせる彼女の話は全くうろ覚えで、かいつまんで話す内容はいちいち飛躍しているからその内容はほとんど覚えていなかったし覚えるつもりもなかった。
どうしてそんな話を自分にするのかと問うと、彼女は嬉しそうにこう言った。

「神鷹くんは名前に鷹って入ってるから」

そんな会話があったことすらも今日の今日まで忘れていたのに、どうして思い出したかというと、彼女が旅立った日が四年前の今日だったからだ。基本的に、勝利以外のことに執着はしない質だが、何故かその日だけは毎年忘れなかった。そしてどこに進学したかも何もわからない彼女のことを、その日だけは思い出すのだ。

鷹は一年分の記憶しか持たないという。過去のことは忘れていくらしい。そうして毎年記憶を更新させて、新たな記憶で生きていくという。なるほど彼女が俺らしいと言ったのは、こういうところだったのかと思い出す。聞いていないようで俺はしっかり覚えていた。だけど過去に執着せずに生きている俺は、やはり鷹に似ているのかもしれない。今日という日が俺にとっての更新日でもあるのだろう。

「でも鷹って、年を取って思うように狩りができなくなると邪魔になるだけの嘴を自分で割って、そうやって生きていくんだよ」

生きていくために、どんな痛い思いを自分で課そうとも、生にしがみつくのだという。それも俺に似ている。痛みも犠牲もなく生きていく術など俺は知らない。知っていたら兵の卵など、志願しない。野球だってなんだって、泥臭いことやフェアじゃないことがあっても「生き抜き勝つ」ためならいとわない。彼女は俺のことを見抜いていたのかもしれない。

みょうじなまえのことを当時、少し鬱陶しい奴だと思っていた。昔から人に固執はしないし、静かな空間を好む自分にとって彼女は煩わしいだけだった。そのくせ彼女が言葉を紡ぐ度、律儀に耳に入れる自分はもっと煩わしかった。

高校三年の夏が終わった。自分は武軍で唯一、埼玉選抜に入ったから、他の者より少しだけ夏の延長があった。それも終わり、埼玉に戻る。寮まで歩いて向かうとき、誰かが遠くで立ち竦んでいたのが見えた。
目を凝らすとそれはみょうじなまえで、あの頃と何ら変わりなく間抜けな笑顔でこっちを見ていた。

思わず俺は走り出す。会いたかったわけではない。今日の今日まで忘れていた。だけど彼女の元に向かわずにはいられない。何故だか自分でもわからない。非合理的なことなど何一つ信じない質だが、理性や理屈やそういう何もかもから逸脱している今の自分が自分でもわからない。しかし一向に彼女との距離は、縮まらない。これが真夏の蜃気楼が見させた幻なのだと気付くのに、大層時間がかかった俺は今、間違いなく冷静ではないだろう。

どうして毎年こんなどうしようもないことを思い出させ、どうしようもない幻まで見させたのか、行き場のない怒りはただ拳を握り締めることしかできない。
そういえば、あの女はこんなことも言っていた。


「鷹は生涯、一匹のつがいとしか添い遂げないんだよ。毎年記憶をなくす度、それでもその相手を選ぶのって素敵だよね」

そう言った間抜け面の彼女の横顔や、紡がれる唇、夏の暑さで首に貼り付く黒い髪を、やけやたらと覚えているのは。
そうだ俺はあの鬱陶しい女のことを好いていたのだという、紛れもない現実だった。


旅立つ前日、彼女は夏休みにも関わらず学校に来て、俺の部活が終わるのを待っていた。どうしたのかと問うと「明日、引っ越すから」と笑って言った。友人にはとうに挨拶は済ませたが、隣の席でお世話になった神鷹くんにはまだ言ってなかったから。とへらりと言ってのけた彼女の笑顔は、いつもの間抜けな顔ではなく。痛々しいほどに力なく笑ったのだ。彼女が転校するということは夏休み前に担任が言っていたし、終業式の日に思い思いに別れの挨拶は済ませたはずだがどうしてわざわざ俺なのか。

「鷹の生涯がかっこよかったからね、私も、発つ鳥あとを濁さずで行こうと思ったんだけどね」

そう言って泣き崩れた彼女の背中を支えてやれなかった自分を、本当は今でも後悔しているのだ、俺は。

「鷹みたいにかっこいい神鷹くんのこと、ずっと好きだったんだよ」

瞳にいっぱい涙を溜めて、彼女は真っ直ぐ俺を見て言った。ただ頷くことしかできずに、何も言えなかったことを、本当は一番後悔している。後悔の上に成り立つ幻が、今でも俺が彼女を忘れていないことを思い出させる。

鷹は記憶をなくしながら生きるという。それは忘れなければ進めないからだ。
鷹は自らの一部を削ってまで生きるという。生きていくための痛みなら、俺だって迷わず背負うだろう。どうせそれすら忘れていくのだから。

だけどたった一人、添い遂げたいと思う人のことは、忘れないのだろう。忘れさせないためにきっと俺は、これから毎年何度だって思い出す。今どこで何をしているかわからない彼女のことを、何度でも。

鷹の生涯に焦がれていた少女のみょうじなまえもまた、思い出しているだろうか。それとも俺にこんな話をしておいて、忘れなくしておいて、間抜けな彼女は忘れてしまっただろうか。本当の気持ちを何一つ言えなかった俺のことすらも。そう思うことで痛みはより一層増したが、その痛みごと忘れながら、だけどこの日だけは思い出しながら、彼女の幻を引きずって生きていくのだろう。



鷹についてのツイートを見て、神鷹さんっぽいなと思い書きました。鷹の生体について間違った記述があったらすみません。そして神鷹さんの一人称は連載を終えた今も迷宮入りしてますので勝手に「俺」にしてます。すみません。

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