※ 大学生設定

「ねえねえ」
「んー?」

仰向けに寝転がって月バリを読んでいる黒尾に声を掛けるも、返ってきたのは気のない返事だ。全くもっておもしろくない。こうして二人で会うのが久しぶりだというのにだ。ムッとしながら、昨日雑誌で読んだことを声に出してみる。

「“ずっと一緒にいたいな”」
「は?」

眉間に僅か皺を寄せながら、月バリに向けていた視線は怪訝な顔でこちらを窺っている。これはどうやら響かなかったらしい。さすがにくさすぎたのだろうか。

「“今日は帰りたくないな”」
「ぶっ」

今度は効果覿面か、黒尾は持っていた月バリを盛大に落とした。落とした雑誌は黒尾の顔面に降ったため表情が読めない。しかしこの反応を見るに、どうやら女性誌というのは侮れないらしいと身をもって知る。

「さっきからなにお前、どこで覚えてきた」
「キャンキャンに書いてた」
「女の雑誌怖えんだけど」

素直に答えると黒尾は口元をひきつらせた。言っている自分が言うのもどうかと思うけれど、そろそろ歯が浮きそうだ。だけど先程の反応に味をしめてしまったため、半ばやけっぱちで言ってみる。

「“ねー、チューして?”」
「いいけど何でお前ちょっとキレてんの。可愛くねえ」
「あーもうやめだやめだ!黒尾全然だめ」
「あ?お前が崇拝してるキャンキャンに“彼氏の反応が悪いと逆ギレしていい”って書いてたのか?」
「書いてないけどもう無理」
「諦めんな、がんばれ」

ムッとしながらクッションを投げるも容易にキャッチされてしまい、表情一つ変えない黒尾はそれを頭の下に置いた。そんな親切な心づもりで投げたわけではないのに。ネタばらしを早々にしてしまったのがまずかったのか、黒尾は私の言葉に耳を貸さずに月バリを目で追いだす。なにが“たまには可愛く甘えてみよう”だ。全く反応しないぞうちの彼氏。

「“わたし、てつろーくんのことが好き”」
「心が込もってねえ、やり直し」
「なんなの」
「始めたのお前だろ」
「もっといい反応してくれると思ってた」
「甘えな、10年早え」

天下の女性誌キャンキャンによれば、男の子の体験談として“疲れてるときに彼女が可愛く甘えてくると癒される”とかなんとか書いていた。赤文字系女子は一日にしてならずというのか。棒読みなのが原因だろうけれど、こんなこっ恥ずかしいこと平気で言えるかっていう話だ。可愛い女の子ってどんな生活を送ったら雑誌に取り上げられるようなことを言えるようになるんだ、全く理解できない。

「あーあー。私も休みの日にパンケーキとか食べに行くような女の子だったら可愛く甘えられるのかな」
「お前がパンケーキ?ナイフ使わないでフォークぶっ刺してそのまま食いそうだよな」
「人のことどんだけ行儀悪いと思ってんの、失礼すぎ」
「お前どっちかっつうと居酒屋でほっけ食ってる方がテンション上がるだろ」
「そうそう、スムージーよりビール的な」

なんだか自分で言ってて悲しくなってきた。そもそも高校時代から長く付き合っているとは言え、気の抜けたジャージを拝借して着ている時点で女子力はないのだろうか。かつて私にもちゃんとスカートを履いて来ていた頃が確かにあったけれど。最近では平気で上下違う下着をしているときもあるくらいだ。

「つうかいきなり何だよ、今度は何に目覚めた」
「別にそんなんじゃない」

膝を抱えて、先日あった出来事が頭を過る。



女子会と銘打って赴いた場所は、枝豆と焼酎なんて望めそうにない創作フレンチだかイタリアンだかなんだかの小洒落たお店だった。堅苦しいの苦手なんだよな、と思いながらカプレーゼとやらを口に運ぶ。ビールは普通にあったけれど、周りがよくわからない名前のお洒落なカクテルを頼んでいたのでせめてもの抵抗として仕方なく私はシャンディガフを煽っていた。お酒が進んできた頃、今日召集がかかった理由を私はようやく理解した。

うちの学部でも一、二を争うほどの美女が突然泣き出して彼氏に振られたことをカミングアウトしたのである。言われてみると、いつも綺麗にしていたネイルは剥がれているし取れかけたパーマ頭はなにも手をつけていない。「大丈夫だって可愛いからすぐ彼氏できるよー」なんて周りは励ましていたけれど、彼女は嗚咽混じりでこう言った。

「私のこと女として見れないんだって」

帰りにコンビニでさきいかでも買って飲み直そうと思っていた私にとって、それはまさに寝耳に水。彼女を女として見れないのなら、ビールをわざわざジンジャーエールで割ることに小さな憤りを感じる私はどうなる。帰り際つまみを買う予定だったコンビニで、明日は我が身と慌てて女性誌を大量購入して帰路についたのだった。



「なまえ、こっち来い」

とりつく島もないところまで来ていることに気づき恋の終わりも秒読みかと一人ぶすくれていると、小さく溜め息を吐いた黒尾が手招いた。もうとっくに見慣れたはずなのに呆れた顔を愛しく思う。きっと失う怖さに直面しない限り目の前の幸せに気づけないのだ。

「ひっでえ顔」
「女扱いできない?」
「してほしかったらもっと可愛い顔できねえの」

慣れというのも怖いもので、女扱いされなくなったら終わりだと頭ではわかっていてもどうにも行動に移せない。付け焼き刃で取り繕っても違和感だけが先行する。だけど私の彼氏様は、そんな不安すらお見通しだったようだ。月バリを置いて腕を伸ばしてきたので、仰向けに寝ている胸板にダイビング。ぐぇ、とかなんとか聞こえたけれどごめんなさい。背中にしっかり回ってきた腕は、それでも受け入れるつもりはあるようだ。

「私の友達が振られたんだって」
「お前んとこの一番可愛い子だろ?弱ってるとこに付け込んで今みんな狙ってるぞ」
「女として見れないとか言われたって」
「まじか、そりゃお前が不安になるのわかるな」
「でしょ?私の女子力なんて足元にも及ばないのに何様なんだろうその彼氏」

曰く、男というのは大変都合がよい生き物で、自分は付き合いたての頃みたく張り切らないくせに女にそれを求めるという。そしてあっさり捨てる。青とかピンクとか本当に美味しいのか疑うような色合いのお酒を飲み込む代わりに、女はいつでも男に振り回される生き物なのだと口を揃えて吐き出した。

「ま、女子力なんて求めてたらはなっからお前と付き合ってねえから安心しろ」
「残念ながら褒められてる気がしないよ黒尾さん」
「残念ながら褒めてはねえよなまえさん」

黒尾はなんで私と付き合っているのだろう。慣れないカクテルで悪酔いした頭でぼんやり考えたりもして、女性誌を捲れば捲るほど眩しさで目を潰されそうになったりもして、だけどふと思ったりもした。キラキラした女の子は魅力的だろうけれど、四六時中気を張って疲れないのだろうかと。

「私もちゃんとしようって思ったけど、みんな疲れないのかなってちょっと思ったりした」
「だろうな」

私の頭上にある黒尾の喉仏が上下する。私が覆い被さっているせいでうまく笑えないようだ。よくわからない変な笑い方につられて笑いそうになるけれど、うつ伏せの私からも同じくらい気持ち悪い笑い声が漏れる。

「お前、笑い方」
「言っとくけど黒尾も人のこと言えないから」

キラキラした女の子にはなれそうにないけれど、黒尾と同じタイミングで笑ったり気を遣わせない自信なら誰よりもある。ふと浮かんでいた可能性が確証へと変わった。

「でも寝坊したからってすっぴんオールバックで学校来んのはいただけねえな」
「そこは善処します」
「すっぴんつうのは好きな男にしか見せるもんじゃねえぞ」
「あまりの酷さに?」
「それもある」

私のすっぴんと同じくらい酷い言われようだけれど、不思議と怒る気にはなれない。
世の中には自分を棚に置いて女だけに女らしさを求める輩が確かに存在するのだと思う。だけど類を見ないほどの自堕落女と付き合っているうちの彼氏はどうやら例外のようだ。私だって今更黒尾にかっこつけられても笑ってしまうに違いない。ビールをジンジャーエールで割る夜はきっとあれきりだろう。

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