※高2設定

からりと晴れた空とは打って変わって、気だるい空気が教室内に充満している。夏休みが明けてしばらく経つけれど、一ヶ月ばかり与えられた怠慢はそう簡単に治ってはくれない。一ヶ月ほど仲良くした太陽は窓の向こう。仲良くした分だけ小麦色に焼けた肌が白いシャツによく映えた。

墨汁で塗り潰したような染めたての頭達が一人、また一人と机に向かって撃沈していくのを私は後ろの席から見ている。呪文のような古典文学が拍車をかけて、開始10分程で起きてる生徒は3分の1にも満たない。圧巻の景色だ。一番後ろの席なのに、黒板のなんと見やすいことか。黒板なんて最初から見ていないけれど。
この壮観を見ているのは私だけなのだろうかとちらりと視線を横にやると、離れた席で起きている人物が視界に入った。廊下側、後ろから2番目の席の人物は、今まさに睡魔と戦っている最中だ。背中を丸めて頬杖をつき、教科書に落としているであろう視線が、今にもまぶたを閉じそう。茂庭でも授業中寝ることがあるのかと、つい見いってしまった。

基本的に彼は真面目だと思う。堅物なわけでもないけれど、チャラついた雰囲気など微塵もなくて、がらが悪いと言われるうちの学校の数少ない良心だと思っていた。授業中にうとうとしているだけで驚くほどにだ。珍しいなあとぼんやり眺めては我に返って教科書に向き合う。だけど彼の貴重な姿をつい視界に入れてしまう自分がいて、視線は茂庭と教科書を行ったり来たり。そんなことを繰り返しているうちに終業のチャイムが鳴って、休み時間になると茂庭は何もなかったようにいつも通り穏和な笑みを浮かべていた。



「今日珍しく眠そうだったね」

一日の授業を終えた掃除時間。黒板消しクリーナーの中身を窓際で干していた茂庭に声を掛けると、くるっとした丸い目が私を見下ろした。

「え?俺寝てた?」
「古典のとき。私の席から結構見えるんだよ」
「あー。ちょっと睡魔と戦ってたかもな」

見られてたかー、と眉尻を下げて困ったように笑う。それはいつもの人のよい笑みだ。

「授業中起きてる数少ない同士だったのに。先生悲しかったんじゃない?」
「みょうじは厳しいなー」
「実習じゃないと眠くなるのもわかるけどね。私もたまに前の子の背中に隠れて寝てるし」
「みょうじの席一番後ろだもんな」
「寝れるし内職もやり放題だよ」
「授業聞けよ」

こうして笑うと年頃の男子っぽい。別に茂庭に妙な大人らしさがあるわけでもないけれど、どことなく落ち着いている言動からか時々彼を遠くにいる人物のように思わせるなにかが茂庭にはあった。そんな茂庭だからこそ、彼が周りから頼りにされていることを知っている。

「茂庭も昨日夜更かししたの?なんかみんな騒いでたやつ」
「俺は違うよ。いつもより寝るの遅かったけど」

昨夜の深夜番組で話題は持ちきり、その結果座学で寝る生徒が急増したのだろうと私は勝手に思っている。だけど目の前にいる同じ年のはずの男の子はそれを一蹴した。益々茂庭を遠くの人に感じてしまって、子供の私はわざとおどけてみたりする。

「なになにー?彼女とかー?茂庭も隅に置けないなあ」
「そんなんじゃないって。自主練してたら帰り遅くなって、朝練も早めに来たからあんま寝てないんだよ」

そう言ってへらりと笑った茂庭の顔が、夏休み前よりなんとなく大人に見えた。

インターハイ予選で敗退したとき、三年生の先輩は引退したという。そして茂庭はバレー部主将へ。あれからたった三ヶ月、その月日は16、7の少年を青年へと変えるには充分だったようだ。
悪く言えばバレー馬鹿、だけど私に言わせれば彼はあらゆる責任を全うしようとしているだけなのだと思う。
うちのバレー部は県でも屈指の強豪だと聞く。時折「今年は不作だな」なんて声が聞こえてくるけれど、とんでもない。今に見ていろ。努力が必ずしも実を結ぶとは限らないことを知っているけれど、それでも自分の凡庸さを認めて足掻いている。

「勝てるといいね」

1つでも多く、それが続けば彼らは非凡となるのだ。負けたとき「不作だから仕方ない」と誰か一人は必ず言う。それまで積み上げた勝ち星を、その一言が無に帰すことのないように1つでも多く勝つしかないのだ、彼らは。そしてその部員から全信頼と全責任を負う茂庭がそれを一番わかっている。わかっているからこそ彼が主将に選ばれたのかもしれない。

「なんだよ急に」
「試合見に行くよ。お弁当持って」
「ありがたいけどまだもう少し先だな」
「試合の日絶対教えてよ。お弁当持って行くんだから」
「弁当の下りさっきも聞いたって」
「卵焼き甘いのとしょっぱいのどっちがいい?」
「俺しょっぱい方がいい。てか俺に作ってくんの?」
「当たり前じゃんなに言ってんの」

口をあんぐり開けてなんとも言えない顔をしている茂庭からクリーナーの中身を引ったくる。彼も私もこうしちゃいられない。彼は早く部活へ行かなきゃいけないし、私はおいしい卵焼きの練習をしなければいけない。そのどちらが優先事項かなんて、そんなの簡単な話だ。

「あとは私がやるから早く部活行きなよ」
「いや、なんか悪いし」
「茂庭に掃除やらせる時間で練習して強くなるなら私はそれでいいの」
「大袈裟だけど気持ちだけもらっとくよ」

結局どこまでも手の抜けない男は、こうして掃除当番まで全うしようとする。箒を持ったまま一人ぶすくれる私に「いいからみょうじは早くゴミ集めろって」と優しく諭す彼に対する気持ちが夏休み前と変わってしまったのは、彼が夏休み前より頼もしくなってしまったからに違いない。そうだと言い聞かせながら、窓から涼しい風がやって来る。春高予選はそう遠くはない。

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