聞きたくない。でも聞こえてくる。いいや聞こえてくるなんて嘘だ。俺が聞いているのだ。聞きたくないのに。

俺達3年生は部活を引退して、それぞれ受験や就活に精を出している。工業高校に在籍しているからといって皆が皆就職希望なわけじゃない。
かく言う自分もそのうちの一人で、授業を聞き逃すことなくノートを執っては合間の休憩時間も机に向かっていることがほとんどだ。
今までバレーに費やしてきた時間を、勉強で埋めるように。

の、はずなのに。

「やっぱさ〜、自分だけに優しい人がいいな〜。皆に優しいと嫉妬しちゃう。もう別れたからどうでもいいけど」

クラスの数少ない女子が、今日も自分の席の近くに集まっている。その声が大きいのもあるが、話の内容もなかなかに興味深いものである。

「それわかる、でも男って、女にはとりあえずいい顔すんだよ。アタシのカレシなんてバイト先の女の子にご飯なんて奢っちゃってホント無理」

うわ、それ最低〜

キャハキャハ言うならまだ可愛いものの、ギャハギャハゲラゲラ言うものだから決して可愛げなどあったものではない。
聞くに堪えない会話であるはずなのに自分の全神経がその会話に注力しているのだから困ったものだ。うちの学校には数少ない女子の恋愛観というものに興味を示すなという方が難しい。

「なまえはどう思う?」

と、そこに机を取り囲まれていた女子に話が振られた。
先ほどから尖らせていた神経が、今度は違う意味で脈打つ。

みょうじなまえさん。

自分の席の斜め前に座る、髪の長い女子。本当に工業生なのか疑うほど大人しくて可憐でおっとりしている。あまり目立つタイプではないし割と地味な印象を受けるが、誰に対しても裏表なくにこやかで、何事にも一生懸命な姿が可愛らしい。口数も多くはなく、あまり自分の意見を主張するタイプでもないが、可愛らしい聞き役の存在はそれだけで人の心を豊かにするのだから、よくクラスの女子はみょうじさんのところに集まる。

そう、俺は、みょうじさんに片想いしている。

3年で同じクラスになって席も近く、何度か話をするうちに、そのほんわかとした雰囲気に癒しを感じるようになってから自分の想いは恋へと加速した。
みょうじさんは可愛い。
しかしその可愛らしさに気付く男子も多くはないが少なくもない。自分には今までバレーがあったし、今は今で忙しいのだから別にみょうじさんとどうこうなりたいわけではなくとも、この会話にどう返すのかは非常に気になる。

「ヤキモチ妬ける人は嫌かな〜」

みょうじさんの斜め後ろに座る自分からはみょうじさんの顔は見えないが、たぶん今笑顔で自分は死刑宣告をされたのだろう。
アウトオブ眼中。
人に優しくしなさい、角は立てるべきじゃないと幼少から育ってきた自分は、少なくともみょうじさん以外の女子にも優しくしてきたと自負している。それは何も女子に限ったことではないが、そうか、やはりみょうじさんも特別に優しくしてくれる男の方が好きなのか。

「だってよ茂庭、なまえがこう言うんだから、あんたみたいなのはダメ」

と、そこに何故か自分が巻き込まれる。完全にとばっちりだ。いや、もしかしてうちのクラスの女子は全員、俺がみょうじさんのことを好きだということに気づいているのだろうか。
だからこんな流れ弾を被って……
いや待てよ、もしかしたらみょうじさん自身も俺の気持ちに気付いていて、聞き耳を立てているであろう俺にわざと聞かせていたのかもしれない。これは流れ弾などではなくみょうじさんが俺に照準を定めた言葉の弾丸なのか。
それならばみょうじさんは優秀なスナイパーだ。急所を一撃で捕らえている。

「まあ、茂庭はアタシら伊達工女子なんて願い下げって感じっぽいよね〜」

と、そんな俺の心配は杞憂に終わり「バレー部のあの2年のかっこいい子、二口くんだっけ?紹介してよ〜」と、彼氏と別れたばかりだという女子に頼み込まれ俺の昼休みは終わった。


その日の放課後。

進路相談のため自主的に職員室へ行ったあと、誰もいない廊下でみょうじさんが壁の掲示物を一生懸命直している姿を目撃した。男子の多い学校の為、張り紙のほとんどが高い位置にある。そこも直したいのだろうが、女子の平均身長ほどのみょうじさんは一生懸命背伸びしても届かないらしい。
細い脚がぷるぷると震えている。可愛いな。

「ここに貼ればいいの?」

と、落下していたであろう掲示物と画鋲を拾って隣に立つと、困った顔をしていた彼女の表情がパアッと明るくなる。
やはりみょうじさんは困った顔より笑っている方が可愛い。

「ありがとう茂庭くん」

自分が壁に向かっている間、特別なことなど何もしていないのに目をキラキラさせて俺を見ているのがひしひしと伝わる。照れるからあまり見ないでほしいな。

「茂庭くんはやっぱり優しいね」

と、流れで一緒に歩いていると笑顔で言われる。
好きな人にだけ優しくできたら、もっと俺の気持ちは伝わっていたのだろうかと昼休みの会話を思い出す。

「でも女子は自分にだけ優しい方が好きなんだろ?」

数時間前の会話を引っ張り出してきて情けない男だとみょうじさんは思ったかもしれない。だけど言ってしまったものは仕方ないし、事実かなり堪えたのだから仕方ない。

「好きな人には特別扱いされたいんだよ、みんな」

と、それは飽くまで自分の意見ではなく客観的な意見であるかのように言う。ヤキモチ妬くのは嫌だと自分も言っていたのに。

「でも茂庭くんは、みんなに優しいところが私は好き」

そう言う彼女の頬が赤く染まっているように見えたのは、まだ暮れそうにない西陽のせいだろうか。その好きにはどんな意味があるのか聞きたいけれど、同じくらい赤く染まっているであろう自分の耳の温度が下がるまでは、このまま何とも言えない甘酸っぱい時間に浸っていたいとも思った。

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