寒くて清々しい朝の空気を、気だるく感じながら大きく吸い込む。そのままあくびを催して、人気のない中これみよがしに大口を開けた。
しがない帰宅部の女子高生がなにが悲しくてこんなに早起きしているのかなんて、学校に置いてきた朝一番の授業で提出する宿題をするためだ。置き勉常習犯がここに来てつけが回ってきた。当然周りに人はいなくて、時折犬の散歩をしているおじいさんとすれ違うくらい、こんな殊勝な女子高生、私以外他にいない。

学校まであと5分というところで、ようやく一人伊達工業の生徒を見つけた。我が校自慢のバレー部のジャージを着た、やけに背が高い男の子だった。反対の方から歩いてくる彼は私を見つけるなり驚いた顔で駆け出してくる。話したことのない人だったので私の方が少し驚いた。

「今何時っすか!?」

目の前に立つと本当にでかい。でかすぎる。うちの学年でいうと青根くんくらいでかい。そう思ったところで青根くんもバレー部だったとはたと思い出す。そして目の前の彼は口をはくはくとさせて目を剥きそうな勢いで動揺している。まずは彼を鎮めることが先である。携帯の画面を見るとまだ早朝5時。夜が白けて朝を迎えようとしている。

「5時だけど……」
「うわーびっくりした!俺遅刻したかと思った!」

時間を聞くと大袈裟にほっとした様子の目の前の彼。その様子がなんだか可愛くて思わず笑みが漏れる。

「寝惚けてたの?」
「いや!違います!」

もげそうなほど大きく首を横に振る彼は、朝だというのにとても元気だ。そのまま気付くと二人並んで歩いていた。

「バレー部だよね?朝練?」
「はい!早朝練です!俺一年なんで!」
「一年生なの?背大きいね」
「よく言われます!あざっす!」

話してみるととても礼儀正しくて素直ないい子だ。どうやら普段人とすれ違わないのに伊達工の制服を着た私がいたからさっきは驚いたようだ。

「宿題学校に置いてきちゃって今からがんばるの」
「そうなんすか!お疲れ様です!」
「でも君は毎朝この時間なんでしょ?お疲れ様」

元気に謙遜しつつ、それでも人の言葉を否定はしない。ニコニコと笑顔を絶やさない彼を見ていると、さっきまで眠かった頭も勝手に冴えてくる。元気をもらえる。そんな気がした。この勢いで学校に着いたら宿題をさっさと済ませてしまおうと思った矢先。

「え……締まってるし」

学校の門は固く閉ざされていて、とてもじゃないけれどスカートでは登れそうにない。折角早起きしたのになあ、と落胆している私を尻目に隣の彼は迷うことなく門をよじ登った。

「え!ちょっとなにしてんの!?」
「登ってます!」
「怒られない?」
「慣れてるんで大丈夫っす!」
「でもほら、バレー部だったら二口とか来てからの方がいいんじゃないの?」
「いいんす!俺、先輩達より先に行きたいんす!」

バレー部の朝はいつもこんなに早いのか、と思っていたけれどどうやらこんなに早く来ているのは目の前の彼だけらしい。長い脚を生かして一気に登った彼はあっさり門の向こう側に行ってしまった。そして門の向こう側から私をじっと見つめてくる。その真っ直ぐすぎる視線がいたたまれない。

「え、なに……」
「来ないんすか?」
「だって生徒玄関も締まってるし……」
「待ってるのもったいないじゃないすか!」
「でも」

スカートに視線を落とすとようやく彼も気づいたらしい。彼が小さく「あ…」と声を漏らしたきり気まずい沈黙が訪れる。それでも眉間に皺を寄せてなにかを考えている。への字に曲げた口元がなんとも可愛らしい。冴えたと思った頭で場違いに寝惚けたことを考えていると、すごい勢いで彼は顔を上げた。

「俺、後ろ向いてるんで!!」
「え、そういう問題?」
「違うんすか!?」

しかしこのまま押し問答を続けていても埒が明かない。彼は私が行くまで門の向こうからケージから飼い主を見つめる犬のように真っ直ぐな視線を送り続けるだろう。腹を決めて門に手を掛ける。察したのか彼はまたしても物凄い勢いで後ろを向いた。そこまではよかった。

「やば、降りれない……」

登ってみると思いの外、門の上は結構高い。部活に入っているわけではないから別に足を挫いても誰にも迷惑は掛けないけれど少し怯んでしまった。同時に部活に入っていないのだから、私の運動神経なんてたかが知れている。

「大丈夫すか?」

一向にそちらへ来る様子のない私を不審に思ったのか声を掛けてくる。

「全然大丈夫じゃない……」

泣き言を漏らしながらどうしたものか悩んでいると背中越しに察したのか「そっち向いていいすか?」と訊ねてくる。答えに迷う。正直今は下着を見られることより後にも先にもひけないこの情けない醜態を見られることの方が恥ずかしい。しかし彼は私の返事を待たずに振り向いた。それも私に向かって両手を広げるという動作付きで。

「なにしてんの……」
「大丈夫っす!受け止めます!」
「本気で言ってる?」
「俺そこそこ力強いんで大丈夫っす!」

だからそういう問題じゃないんだってば。彼は何の気なしに言ったけれど恥ずかしくも男性経験の少ない私としてはこの状況にまたしても場違いにどきどきする。だけどこのままみっともなく門にしがみついていてもなにも状況は変わらないので意を決して飛び降りる。私の背中を支えて宣言通りしっかり受け止めてくれる様子の彼の胸板に飛び込んだ。

「ありがとう……」

彼の腕の中で伝えると「だから受け止めるって言ったじゃないすか!」とニコニコしている。なんだこの状況。なんだこのときめき。目と鼻の先にあるTシャツ越しの鎖骨を見ていられなくて俯く。私だけがこの名も知らない年下の男の子にどきどきしている。変な空気になるほうがもっと嫌だけど、なんとなくそれが悔しかった。そして気づいてしまった。今この瞬間、私は彼に心臓を持っていかれてしまった。

「じゃ、行きますか!」

逸る鼓動を抑えながら、満足気に揚々と歩き出す長身の背中を追いかける。ポケットから鍵を出してくるくると回す彼は体育館まで真っ直ぐ向かう。行く宛もないので私もそれについていくしかない。なんなんだ、慣れない早起きで勝手がわからない私はどうしたって彼についていく他ないのだけれど、なんだかどうも悔しくて仕方ない。

「結局学校開くまで私教室には行けないんだからね」
「スンマセン!じゃあトス練付き合ってください!」
「嘘でしょ……」

朝から振り回されっぱなしな気がしないでもないけれど悪くない。彼と話しているとなんだか楽しくて仕方がない。

「そういえば君、名前は?」
「俺っすか?名乗るほどの者じゃないっす!」
「なにそれ、意味わかんない」
「言ってみたかったんす!」
「余計意味わかんない、いいよ青根くんに聞くから」
「俺かっこつかないじゃないすか!」

勘弁してくださいよーなんて肩を落とす彼は意味がわからないのに、意味がわからないくらい彼にどきどきしている。白けた空の東側で太陽が昇ろうとしていて空が赤く染まっていくように、じわじわと広がっていく恋心。朝に突然現れたヒーローの名前を知りたいと思う時点で、とっくに彼が気になって仕方ないのだとわかっている。彼に会えるなら明日も早起きしようかな、なんて思うほどには心奪われてしまったようだ。

企画サイトHauta様に提出

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