冷たく頬を刺す風が幾分柔らかく感じる三月。雪は溶けているのに、桜はまだ咲かない。

三年間の高校生活は今日幕を閉じた。離任式にまた顔を出すことになるのだから厳密には最後ではないし、四月一日までは籍を置いていることにはなっているのだけれど。
楽しかったことも悲しかったことも悔しかったことも今日で全て思い出になる。きっとどんな形であれ青春は苦いものなのだと思う。後悔のない道だけを選択できるほど私も含め誰一人として大人じゃなかった。だけど、だからこそ大人はいつだって青春を語るのだとも思うしやけやたらと干渉してくるのだとも思う。三年間身を置いた学舎を見上げながら、そう思った。

「てめえなにシケた面してんだ」

ぽこっ、と間抜けな音と同時に訪れた柔らかい痛みを寄越してきた奴の正体は声だけでわかった。白い目を向けながら見上げると、卒業証書の入った筒を構えた鎌先がいた。やっぱりな、と鼻で笑うと鎌先は不服そうに目を細める。こんな日常も今日で終わるのだと思うとやはり込み上げてくるものがある。胃からも。

「センチメンタルってやつ。鎌先にはわかんないよ」
「わかりたくもねえよ辛気くせえ」

例外がここに一人いた。鎌先にも悲しいことや悔しいことはあったのだろうし思い当たる節は勿論ある。だけど鎌先は、鎌先だけは後悔とは無縁な気がしてならない。反省はするけど後悔はしない、そんな男。きっと大人になった彼が語る青春は楽しかったことが大半で、悔しかったことは聞き出そうとしない限り言わないのだろう。

「そんな辛気くさい女に構ってるとあんたまで辛気くさくなるよ」
「そうだな、だからちょっとは楽しそうにしろや」
「え、そっち」

予想の斜め上をいく答えに膝から崩れ落ちそうになると同時に笑いそうになっていることに気づく。きっと鎌先のこういうところに惹かれたのだとようやく自覚したのは、鎌先の就職先が決まった頃のことだと思う。
天の邪鬼なのを年齢のせいにして、いつだって認めてこなかったその気持ちは、飲み込んでみるとなんの違和感もなく腑に落ちた。認めたくなかったのではない。認めるわけにいかない理由が私にはあった。
バレー部員とマネージャー。いつでも対等な立場でいないといけない関係性は端から見ると恋の生まれやすい関係なのかも知れないけれど、実際には“対等でいるべき”という壁は大きくそそり立っている。見えないけれど分厚くて高い壁。その壁を壊すことは許されない。だからこそ気持ちを殺してきた。その決意が壁を壊すより先に音を上げただけ。脆く崩れ落ちた決意を自覚したときには、鎌先には未来ができていた。

「笑えるわけないでしょ」

笑えない。こんな青春。私にはやり残したことや後悔がありすぎる。鎌先のことも部活のことも。苦い気持ちを噛み締めながら手の中の卒業証書を握り締める。筒は熱を持っていた。

「ったくよー、いい加減にしろよ。最後笑えたらどうでもいいだろ」

眉間に皺を寄せて唇を噛む私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す大きな手。卒業証書で頭を軽く殴ってきたのもこいつなのに、それだけで許してしまいそうになっているから惚れた方が負けているというのは本当らしい。鎌先はきっとそれすら知らずに大人になっていく。「彼女欲しい」と散々愚痴を溢してきた鎌先のことをずっと好きでいた女がいたことすら知らず、そして口で言うほど後悔や未練なんてないままに。
最後に笑えたらそれでいいと鎌先は言う。だけど最後だからこそ笑えない現実だってある。

「なに考えてんのか知らねえけど」

珍しく真剣な鎌先に顔を上げる。日に透けてきらきら輝いて見える金髪は、鎌先が金髪にしてきた当初は格好のネタだったけれど今では随分馴染んで見えた。大人になるってこういうこと。

「取り返しつかねえことの方が世の中少ねえんじゃねえの」

遠くの方で二口が「鎌先さんとみょうじさん早く来てくださいよ俺ら帰りたいんすけど」と唇を尖らせて呼んでいた。相変わらず文句を垂れながらそちらに向かう鎌先の背中を見て胸が苦しくなって、その手を掴んだのは殆ど無意識。

「皆で写真撮り終わったらさ、ブレザーのボタンちょうだい」

取り返しのつかないことの方が少ないと言った鎌先に、取り返しのつかないお願いをした。なにもしなかった後悔と、やってしまったあとの後悔。どちらが取り返しつかないかわからないほど私だって子供じゃない。ポカーンとしている鎌先の手を引いて皆の元まで駆け寄る。

「おい、どういう意味だ」

鎌先の上擦った声を背中で聞いた。振り向いて「そのままだけど?」と言うと鎌先は耳まで赤くなっていた。それを見て私も含め部員が笑う。どれだけ寒くたって今日は春だ。そう思った。

もっと笑えと言って、最後に笑えたらそれでいいと言った。どれだけ後悔ばかりの青春でも、自分の気持ちを伝えたことだけは後悔しない。したくない。携帯の画面の中の小さな私達はなんの後悔もない晴れやかな顔をしていた。

企画サイトHauta様に提出

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