トン、トン、と画面を叩く音が鼓膜に響く。固唾を飲んで食い入るように画面を睨み付けて、画面の中のきらびやかな私は呆気なく散った。かの王を必ず葬り去らんと心に誓う。いつかどこかの文豪が言ったような気がする言葉が頭を過る。
友人から教えてもらったゲームは、初心者の私が太刀打ちできるようなものではなく、熱中している割には成果はまずまず。それでも一度手を出してしまうと簡単に辞められないのがゲームだ。その中毒性に嫌気が差しつつ、ぽいっとベッドに携帯を投げ出す。その直後、ゲームの通知が鳴った。

今日も来てくれた、私の王子様。

高校生にもなって少女趣味にも程があるとは自覚しているけれど、私はゲームの中の彼を勝手にそう呼んでいる。夢見たっていいじゃない。所詮全て架空の話。くだんの王子様は私がそう呼んでいることすら知らないんだし。逸る気持ちを抑えながら、私の代わりに悪の王様を倒してくれた“ケンマ”に全力でお礼の品を貢ぐ。勿論ゲーム上で。
いくら私が初心者で壊滅的にゲームが下手くそでも、こうして仲間になってくれた人が助けてくれるのがオンラインゲームのいいところである。ほとんど助けてもらってばかりだけれど。ケンマは私がゲームを始めて最初に仲間になってくれた人である。そして少しだけ増えた仲間のうち、彼が一番助けてくれる人。

《ありがとうございました!》

と一言を添えるも、それは華麗に無視された。その押し付けがましくないスマートさがまたいいのだ、彼は。私の心を掴んで離さない。会ったこともない彼に、私はあれこれ思考を巡らせた。
どんな人なんだろう。“ケンマ”って本名かな。かっこいい名前だなあ。年上なんだろうな。どこに住んでるんだろう。
会ったこともない人を王子様呼ばわりするだけあって、高校生の私は本当に単純である。いくら人口密度が高い東京都だからって、このゲームをやっている人なんて全国どこかしこにもいるというのに。
それでも、例えばこの“ケンマ”さんが同じ都内の高校生だとして、もしかしたら駅やどこかですれ違っていたとしたらどんなに素敵だろうと想いを馳せる。実物の彼はどんな人だろう。世の中にはオンラインゲームで知り合いオフ会、そのあと交際が始まりゴールイン、なんて夢みたいな話があるけれど、ゲームに関する会話ですら無視される私には夢のまた夢だ。交流なんて数える程度しかしていないのに、妄想はどんどん膨らんでいった。


登校時の駅で友人と待ち合わせ、珍しく早く着いた私は朝からゲームに励んでいた。ちょうど次のボスを倒そうとして今日も今日とてあえなく撃沈しているところに友人がやってきた。

「あんた朝からゲームやってんの?」

呆れながら言った友人に挨拶を返し「また負けちゃった……」と落ち込んでいるとすぐに通知が鳴った。朝からゲームをやっているのはなにも私だけではないようだ。王子ケンマは早速ボスを倒してくれた。

「来た……!ケンマさんが助けてくれた!!」

ケンマ王子の話を知っている友人に、感極まって報告する。しかし反応したのは友人だけではなかった。
隣のベンチで「え……」と声を漏らした人に、私と友人の視線が向く。そこには私と同じように携帯を両手で持ち、小さな背中を丸めている金髪の男の子がいた。私の通う高校とは隣の音駒高校の制服を着ている。

「あ、すみません……」

同じ名前だったのだろう、と少し気まずく思いながら声を掛けると彼はこくりと頷く。世の中に“ケンマ”なんて名前の人はたくさんいるというのに、公共の場で騒いだことを申し訳なく思った。
気を取り直して、助けてくれた画面の中の“ケンマ”さんにお礼の品と感謝の言葉を送るもまたしても通知が鳴った。それも、隣のベンチから。恐る恐る隣のベンチに目をやると、相変わらず金髪の彼は携帯にかじりついている。
夢のまた夢だと思ったことが、もしかして現実になっているかもしれない。
あんなに焦がれたことだというのに、その可能性のある事態を前にして私は口をパクパクさせることしかできない。早鐘を打つ心臓の音を聞いていると「研磨ー」と呼ぶ声がする。それに反応した彼の後頭部と、彼を呼んだらしい黒髪の長身に私も目を向けた。

「またゲームやってんのか」
「いいじゃん別に」
「あー、それ最近木兎もやってるらしいな」

そう言って隣のベンチのケンマさんと話す彼が言ったゲームの名前は、今まさしく私と画面のケンマさんがやっているゲームである。こんな偶然、本当にあるというのか。
そう思ってからは無意識だった。

「あ、あの!!」

声を掛けると、ケンマさんもその友人らしい人も目を丸くしていた。いきなり話し掛けられたら驚くのは無理ない。だけど。

「け、ケンマさん、ですか?私、そのゲームのなまえです!!」

その言葉に更に驚いた様子のケンマさんと、話の筋が見えていないその友人に構わず続けた。こんな機会、もうないかもしれない。

「いつも助けてくれてありがとうございます!」

ゲームの中では無視されるから、直接伝えたかったこと。あんなに夢に見たことだけど、実際に目の前にするとそれしか言えない。お付き合いなんてそんなこと考えてる余裕は、ない。
しばらく私を黙って見つめていた彼が、ようやく発した言葉は。

「……なまえゲーム下手すぎ」

視線を泳がせながら言った彼の言葉にショックを受けるより先に、さりげなく名前を呼んでくれたことが嬉しくて。頬の表情筋が仕事を放棄しようとするのをなんとか律して、やって来た電車に乗り込む彼の背中をしばらく眺めていた。
今日も彼が助けてくれたなら、「今度コツ教えて」と話しかけてみようかな。少しずつ歩み寄ることができる距離にいるなら、その方がいいかもしれない。

私と彼を繋ぐものが電波だけではなく、願わくは赤い糸とやらも繋がっていればいいなあなんて思うほどには私も夢見る少女なのだと苦笑した朝のこと。

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