目が覚めて真っ先に感じ取った違和感は、割れるように痛む頭とぼんやりする思考、そして強烈なアルコールの匂いだった。男に振られたショックで一時帰省、そんな私を見兼ねて集まった大学時代のサークル仲間と飲んだことを思い出す。それにしてもこんなに酔うほど飲むなんて珍しい。
水飲みたいな。そう思い体を起こしてまた違和感。もぞりと動いた隣の物体に肝を冷やした。嘘でしょ。ていうかよく考えたらここどこ。
私の記憶は昨晩浴びるように酒を飲んでへべれけになりながらももっともっとと酒をせがみ、遂には後輩の武田にタクシーで送られるというあり得ない失態を犯したような気もするし夢かもしれない。酒で記憶が飛ぶなんて都市伝説かと思ってた。でもどうやら本当のようだ。
そして私の記憶が正しければ昨日私と最後までいたのは、そう。武田に他ならない。恐る恐る布団を捲り、そのふくらみの張本人を確認した。眼鏡を外しているから一瞬誰かわからなかったけどこれはまごうことなく武田だ。間違いない。まつげ長いな肌白いな眼鏡外せばかわいい顔してんじゃん、とか今はそんなのどうでもいい。

ありえない、武田と、一晩を、過ごした。

武田のことが嫌いなわけではない。どちらかというと後輩として好きだし、人間的にもよくできたやつである。だからこそよくできた武田に一夜の過ちを犯させたことに余計罪悪感が押し寄せる。

私が一人青ざめていると、やがて長い睫毛を震わせて武田が目を覚ました。うわ、やばい。先に帰ればよかった。そう思うも時既に遅し。武田はぱっちりとした目で私を見上げた。

「おはようございます」

寝起きが随分とよろしい様子の武田は、昨晩酒を飲んだことも相まってかいつもより声は掠れてはいるもののハッキリとした声で言った。それに対して私もおののきながらも挨拶を返す。一度伸びをした武田がちゃんと服を着ていたので、杞憂だったかと安心したのも束の間。

「昨日はすごかったですね」

と笑顔で声を掛けてきた武田に目眩を覚えた。確かめるようにゴミ箱に目を向けるとありえない量のティッシュ。それを漁ってまで動かぬ証拠となる例の物を探す勇気は、私にはない。

「いやほんと、ごめん」
「覚えてないんですか?」

小さく返事した私に武田は苦笑した。ほんとごめんなさい。男に捨てられてやけになったからといって、文字通りやってもいいことと悪いことがある。反省していると武田は更に続けた。

「僕の方こそすみません。タクシーに乗ったはいいものの、家の場所聞く前に眠ってしまったようなので連れてきちゃいました」

うわあ、それ悪い女が合コンで使うテクニックじゃん。なんてことしてんの私。とは思うものの、たぶん本気で眠っていたので断じて小悪魔テクなんてかわいいものなんかじゃない。

「ごめん、ほんとごめん、そういうんじゃないの」
「え?」
「魔が差したとかじゃないの、ほんと、こんなことしといてごめん」

人格者と言っても武田とていい年の大人である。そんな見え見えの小手先テクニックだったとしても、据え膳食わぬはなんとやらである。それが例え見知った先輩であろうとも。必死に平謝りしていると、武田が不思議そうに首を傾げていた。そしてあることに気づいたのか、徐々に白い肌を赤く染め上げていく。

「あ、あの!誤解してますよね?違いますからね!」

狼狽える武田に、今度は私が首を傾げる番である。なにやら私達の間に今、とんでもない食い違いが生じている気がする。

「なにが違うの?」
「だからあの、その……」

言い淀む武田が小さく「男女の営みとかはしてませんからね」と言ったので開いた口が塞がらない。この状況で、一体誰が信じると言うのか。

「でも一緒に寝てたじゃん」
「僕が床で寝ますって言ったら無理に引きずり込んできたじゃないですか」
「このティッシュは!?」
「振られた話しながら散々泣いてたんですよ」

勘違いの種はことごとく私のせいじゃないか。だけど何にせよよかった。教職に就いている武田に過ちを犯させていないならそれが何よりだ。彼にはこのまままっすぐな人でいてほしい。散々失態をさらしておいて先輩なりにそう思う。

「よかった……武田が道を踏み外さなくって」
「当たり前じゃないですか、僕だからよかったものの今度から気をつけてくださいね」

はーいと返事をするとニコニコと立ち上がる武田。年上であるはずなのに、やはり教師か。諭すような言い草につい従ってしまった。

二日酔いとさっきまでの誤解によって緊張状態にあった喉は渇いていて、武田が淹れてくれたコーヒーがより一層染み渡る。テーブルに向かい合って二人、しみじみコーヒーを啜っていると武田が耳を疑うような言葉を放った。

「でも本当は、間違えそうになりました」
「は!?」
「ずっと好きでした」

思わずコーヒーを吹き出しそうになったものの、さすがにこれ以上下品な姿を露見するわけにいかない。寸でのところで思いとどまり、捲し立てた。

「あんなみっともないとこ見たのに!?」
「なまえさん普段しっかりしてるので無防備なところ見れて嬉しかったですよ」
「いや品なさすぎでしょ」
「僕以外の前でやられたら嫌ですけど」

真っ直ぐ見つめてくる武田は、決して寝起きの人には見えない。寝惚けているわけではなさそうだ。だからこそ余計たちが悪い。

「こっちに戻ってきたらいいじゃないですか」
「いや、うん、それも考えてはいるけど」
「結婚を前提にお付き合いしませんか」

あまりにストレートな言葉についたじろぐ。昨日までただの後輩だと思っていたのに。昨日まで振られたショックで絶望に打ちひしがれていたのに。そんなこと頭からスパーンと抜けてしまうほどに衝撃が走る。だけど決していやじゃない。

「私アラサーだよ?」
「関係あります?」

ここまで切り捨てられてしまっては、もうなにも言えない。男に捨てられたからといって、だからやけになっているからとかそんなじゃない。武田のことは前から人としていい奴だと思っていた。それ以外に理由なんかいるのだろうか。

「あーもうわかったよ、降参。よろしくお願いします」

観念したように言うと、それまで逸らさずにまっすぐ見つめていた目を逸らし、ほっとしたように肩を撫で下ろした。緊張していたのなんて微塵も感じさせなかったのに、最後の最後で詰めが甘い男だ。それなのに、なんだか愛しい。

捨てる神ありゃ拾う神あり、なんて言うけれど。好きだと言ってくれたから乗り換えたわけなんかじゃない。こうしてしみじみとした朝を、また二人で迎えたいと思ったからだ。

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