赤葦くんという人を、私はよく知らないまま中学を卒業してしまった。彼と同じクラスになったことはないし、部活も委員会も何一つ接点がない。ただ、赤葦くんのことはバレー部で背が高くって大人びている子、として認識はしていたし女子の間で「赤葦くんかっこいいよね」という話題が出れば同調する程には赤葦くんに憧れを抱いていた。少し遠い存在の人、という印象。
その人が今、目の前でパラパラと参考書を捲っている。
私は買おうとしていた少女漫画を手に、楽しみで頬が緩むのを抑えながらレジに向かっていて、その途中で赤葦くんを見つけた。どうしよう、でも話したことないから何か話しかける必要はないし、だけど赤葦くんだ。あの大人っぽい赤葦くんだ。そう思うと足が縫い付けられたように動かない。幸い、赤葦くんはどの参考書を買おうか真剣に悩んでいるのか不審な私に気づいていない。それをいいことに私は勝手に赤葦くんを観察した。
背が伸びたなあ。スラッとしていたけど少し筋肉質になった気がする。伏せたまつげが長いなあ。指とか綺麗。ひっそり気持ち悪く観察していると、不意に赤葦くんがこちらに視線を向けて私は足だけではなく全身硬直させてしまった。

「やっぱりみょうじさんだ、さっきから気になってたんだけど」

や、やばい。ガン見していたのも気づかれていた。何か言わなきゃ、とは思うのに私の口からは「あ、あの……」としどろもどろなことしか出ない。これじゃあ本格的に気持ち悪い人だ。

「ご、ごめんなさい。赤葦くんと久しぶりに会ったからなんて言えばいいかわからなくて」

半分ほんとで半分出任せ。嘘も方便、である。

「中学のとき話したことなかったしね」

赤葦くんは私の目の前に来ると、切れ長の目で私を見下ろした。こうして目の前まで来ると本当に背が伸びたなあと思う。懲りずに赤葦くんかっこいいなあ、なんて思っていると赤葦くんの視線が私の手元に向いていることに気づいた。

「それ、好きなの?」
「え?これ?あ、うん。新巻とお小遣い出たから買いに来たの」
「ふーん」

赤葦くんは興味深そうに見ている。少女漫画とか読むのかな、興味あるなら赤葦くん借りパクしなそうだし貸してあげるのに、とか思いつつ、本当はそれを口実にまた会いたいだけ。少しでもいいから接点がほしいだけ。一瞬で閃いたずる賢い構想を打ち壊すかのように、赤葦くんが言った。

「みょうじさん彼氏いないの?」

超ドストレートな言葉に、思わず言葉を詰まらせると察したのか「ごめん」と謝られる。何で赤葦くんが謝るんだろう。謝られると余計惨めになるじゃないか。

「みょうじさんもそういうの憧れるんだ、と思って」

大人っぽい赤葦くんには、こんなの子供じみて見えるのかな。一瞬でも赤葦くんに貸そうとしたことが恥ずかしくなって俯く。暫くしたあと私の足元近くに大きなスニーカーが見えて、不思議に思って顔を上げると私の目線に赤葦くんの首筋があって思いっきり動揺してしまった。

「え、え、なに!?」
「あ、ごめん」

口では謝りつつあんまり悪いと思ってなさそうだし退く気もなさそうで、大人な赤葦くんが何を考えているのか思考が所詮女子高生の私にはさっぱりわからない。さすがに赤葦くんの鎖骨をガン見できる度胸はなくてまた俯くと、不意に手首を掴まれて持っていた漫画を私の手越しに見ていた。

「へえ、こういう感じなんだ」

待って、何で、これ私の手首掴む必要あるの?普通にちょっと借りるねーって取ればいいんじゃないの?言いたいことは山ほどあるけど私の口は役立たずで何も言えない。黙って俯いていると、満足したらしい赤葦くんはようやく私の手を解放してくれた。大きくて温かい手の感覚が今でも残っている。

「それ、実行しなくていいの?」
「え?」
「そういうの好きなんでしょ」
「あ、相手がいないんだよ」
「ふーん」

赤葦くんが容赦なく踏みいってくるのでどうしたらいいかわからなくて相変わらず彼の方を向けずにいると、耳を疑うようなことを続けた。

「俺も今彼女いないよ」
「そ、そうなんだ。意外……」
「だから、そういうこと」

赤葦くんは私の頭を何度か撫でて、「中学のとき好きだったんだよねみょうじさんのこと」と信じられないことを言ったので思わず顔を上げると、思いの外近すぎる距離にあった綺麗な顔に自分の耳が熱を持つのに気がついた。

「うそ、からかってるでしょ絶対」
「これはほんと。なんならみょうじさんの友達に聞いてみればいい。みんな知ってるから」
「う、うそ。だってみんな赤葦くんのことかっこいいって」
「それはみょうじさんの反応を見てたんじゃない?」

とりあえず参考書買ってくるからそれまでに考えといて、と一方的に言われて赤葦くんはレジに向かっていった。奇しくもレジは空いていて、しかも今日は長年ここにいるベテランのお兄さんがレジの日だ。最近入ったバイトっぽい人は今日休みなのかな、なんてどうでもいいようなよくないようなことを恨みがましく思いながら、少女漫画よりも都合のよい展開に私の頭はパンクしそうで。でも会計を済ませてこちらを振り向いた赤葦くんを見るよりもっと前に答えは決まっていた。
赤葦くんが目の前に来たときになんて言ったら可愛く見えるかな、なんて頭の中で少女漫画を何冊も捲ったけど相変わらず役に立たない私の口から出たのは「よ、よろしくお願いします」とたったそれだけだったけど頬を赤らめる赤葦くんを見て間違っていなかったことを知ったのだった。

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