女心と秋の空とはよく言ったもので、秋の天気は変わりやすい。夏の夕立から考えて、ここのところ、よく雨が降る。学校に置きっぱなしにしていたビニール傘は見事に盗まれていて、愛着なんて微塵もない100円の傘を今日だけは恋しく思った。

そういえばとロッカーに入れっぱなしにしていた折り畳み傘の存在を思い出す。折り畳み傘は小さいし取っ手が真っ直ぐのため持ちづらい。更には折り畳みのため強風の日はよく仕事を放棄して、バサリと勝手に畳んでしまう。すごく心許ないけれど、今日の雨はただの天気雨で、小降りだから大丈夫だろう。

私は教室に戻るため、廊下を進んでいく。二年の教室はすっかり静かで、私一人の足音がすごく響く。内履きのゴム底がきゅっと時折鳴る。

目的のロッカーを漁っていると、その音に反応したのかA組の教室からひょっこり顔を出す少年がいた。二口だ。

「あ、なんだみょうじかよー」
「何だって失礼ね」

二口はバレー部で、三年生が引退してからキャプテンになった。背も高いし顔もいいので、多少口が過ぎることがあっても人懐こい性格は女子に人気がある。私はあまり話したことないけど。

「なになに?忘れ物?」
「ううん。傘取りに来ただけ」
「マジ!?みょうじ傘持ってんの!?一緒に帰ろうぜ」

二口も傘を忘れて来たのだろう。傘という単語を聞いてさっきまで「なんだお前か」とか言ってたくせに手のひらを返してきた。全く現金な奴だ。

「ごめん、傘ひとつしかない」
「ひとつあれば充分だろ」

つまり、それって。
でも私と二口はそんなに話したことないし、いきなり一緒に帰るとか気まずいし更には相合い傘とかハードル高すぎる。

「でも折り畳みだから小さいし」
「青根とビニール傘で相合い傘するより広いじゃん」

その選択肢を引き合いに出してきたということは、きっと雨が降りだしたとき青根くんが提案したに違いない。青根くんは寡黙だけど、行動はいつでも親切だ。だけどさすがに長身の男子二人が相合い傘するにはビニール傘は狭い。ちょっと画的にもよろしくないし。

「いいから帰んぞー、俺腹減ってんの」

と、ロッカーから発掘した折り畳み傘を二口に強引に奪われ、私はその長身の背中を慌てて追わざるを得なかった。

「何か気持ち悪い空だよな〜」
「気持ち悪いって?」

背の高い二口が傘を持ち、持ち主である私はただその傘の中に大人しく収まる他なかった。小さな傘の中、やむを得ず寄せ合う体は、いつ触れてもおかしくない。テスト前のため部活がないという二口から汗のにおいはしなくて、代わりに制汗剤のにおいが傘の中に漂っていた。二口の性格にあんまり合っていない、爽やかな柑橘系の香り。そのいい匂いに目眩がしそうになって、私は気を強く持とうと会話に集中した。

「だって晴れてんのに雨降ってるとか気持ち悪いじゃん」

物事をハッキリさせたい性格の二口には、この天気が気持ち悪く感じるのだろう。晴れるか降るかどっちかにしろ、と。

「こういうの、狐の嫁入りって言うんだよ」
「え?みょうじの嫁入り?」
「違うし」

どこか山の方で、今ごろ狐がお嫁に行っているのかも知れない。イメージの中では、お面にあるような狐が白無垢を着ている。めでたいような気がするからあまり憎めない。

「狐が嫁行く度に降られたら堪ったもんじゃないな。つーか今年狐結婚しすぎ」

マトモに突っ込まれて、思わず笑ってしまうと、折り畳みの傘がバフッと落ちた。風なんか吹いていないのに。

「おい何だよこの傘」

私より背の高い二口の方が被害が大きく、頭に直撃したらしい。さらさらの髪が少し濡れている。二口の方をその時初めて見て、私と反対側の肩が濡れているのに気付く。今さっき傘が落ちて濡れたにしては、そこだけやけに濡れている。
私が濡れないように、我慢してたのかな。
二口が柄にもないことをするから、高い位置にある広い肩とか柑橘系の香りとか低い声とか、突然私の意識に強く押し寄せてきて、二口という男の見方を180度変えてしまった。こんなの二口じゃない。まるで狐が嫁をめとる前に化けて私で遊んでいるみたいだ。

「みょうじ濡れてない?」

傘を開き直して、その中に私を招き入れると二口は私と向き合った。夕暮れに反射しながら静かに降る雨が、見慣れた景色を包むと、何か特別な世界のような気がした。でも特別に感じたのがこの風景だからじゃなくて、目の前にいるこの男に対する気持ちがそうさせていることも、本当は私も気付いてる。

「今だから言うけどさ、」
「うん?」
「みょうじが廊下いたときラッキーって思った。お前と話してみたかったし」

そこにどんな意味があるのかは、わからないけど。
私のうるさい心音は、静かな雨音でも掻き消してくれるだろう。いっつもおちゃらけているのに、真剣な二口の大きな瞳から、目を反らすことができなかった。

女心と秋の空とはよく言ったもので、私の気持ちが恋へと加速するのを止められそうになかった。

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