「こういうとこ面白半分で来ちゃいけないって、あの子ら習わなかったの?」

ぶつくさ文句を垂れる私の隣で、彼は不機嫌そうに目を細めて懐中電灯を手にしている。

誰が言ったかここは某心霊スポット。夜な夜な子供の霊が出るとか出ないとか言われている。なぜそんな場所に彼と放り出されたかというと、事の発端は武軍装戦高校野球部の会話からだった、らしい。私はその場にいないからよくわからない。

なんでも武軍装戦高校近くにあるこの場所は、軍人の卵である野郎たちさえ近づかないという。にも関わらず夏は男たちを少しだけ大胆にしてしまうらしい、ビビっていては男が廃るというもので突如肝試しが敢行されることになったのを、洒落にならないと思った樹は止めたのだという。安全確認も兼ねて樹は一人で見に行くと言い出したそうだけれど、なにを勘違いしたのか「それならなまえさんも連れて行っては?」と部員の一人が提案したのを真に受け、私はこうして呼び出されたというわけである。大方敷島あたりであろうと踏んでいるけれど、全くもって冗談じゃない。とてもじゃないけれど笑えない話である。

「言っとくけど私、ほんとに怖いの無理だからね」
「……」
「心霊番組なんて一瞬でチャンネル変えるから。怖い映画のCMですら直視できないレベルだからね?わかってんの?」
「(ごめん)」

あまりの暗さでろくに顔なんて見えやしない、口元はマスクで覆っている上にこの男は喋りやしない、だけど今、彼はきっと申し訳なさそうに眉を下げているに違いない。人っ子一人通らないこの場所に、街灯なんてありゃしない。彼の手元にある懐中電灯は前だけを照らしていて、彼の表情なんてまるでわからないけれどそれだけは想像するに易い。だって私は彼女だから。

今年の夏は彼らにとって、高校球児として最後の夏となる。そして彼らは高校を卒業したらそのまま軍人として生きるのだ。新隊員に自由はないという。どこに飛ばされるかわからない上に何年かは駐屯地暮らしを強いられるそうで、実質自由でいられるのは今年が最後になる。だから思う存分野球をやらせてあげたいと思うあまり、彼と過ごす時間は圧倒的に減ってしまった。自分で決めたこととはいえ私とて寂しいのに、久しぶりに会うなり心霊スポットに連れ出すだなんてどんな了見なのか。さすがに悲しくなってきた。

「ねえ」

声を掛けるとくるりと丸い瞳が私に向いた。僅かに小首を傾げるその仕草のあざとさたるや、もう頭を抱えるしかない。

「ほんとに怖いんだからね」
「…?」
「なんか出ても置いてかないでよ」
「(なにも出ないし置いていかない)」
「樹は怖くないの?」

無言でこくりと頷いた彼は、空いている方の手を差し出してきた。その意味がわからないわけではないけれどその手を取るのを渋るのは、手話で言葉を紡ぐ彼の手を私が塞いでしまうことになるからで、彼自身も普段から手を塞がれることを嫌がるからだ。一体どういう風の吹き回しなのか、考えあぐねていると急かすようにもう一度手を伸ばしてくる。

「(怖いなら掴んでていい)」

ゆっくり見上げると彼の目は至って真剣、嫌がっているようにも無理をしているようにも見えない。とても慣れないことをしているようには見えなくて、私が怖がるような場所に連れ出した張本人だというのに少しだけ嬉しくも思うのだから女という生き物は全くもって現金だ。

「誰のせいだと思ってんの」

悪態を吐きながらその手を払う。しゅんと落ち込んだ顔をした彼の隙を突いて、見た目よりがっちりとした彼の腕に抱きついてみる。悔しくて彼の方を向くことはできないけれど、一切の動きを止めた彼がマスク越しに息を飲んだのがわかったので一杯食わすことはできたのだろうと優越感を覚えた。

「……こっちの方が手のひら使えるでしょ」

今日彼の顔を見るまで感じていた寂しさや、時おりガサガサと鳴る物音による恐怖心と、柄にもなく甘えている事実諸々、そのどれもを正論で包み込んだ。私の強がりに気づいているのかいないのかわからないけれど彼はあっさりと納得したらしい。ほっと胸を撫で下ろすけれど、どうにも女心に疎い彼に歯がゆさを感じるのも事実だ。もしも私がこういう場所でもけろりとしていたならきっと彼は手を差し出してくることもなかっただろうし、まして腕を絡めたときに困った顔をしたのだろう。わかりきったことなのに、途端に虚しくなってしまった。

「もしもの話だけどさ」

だからこんな風に、少しくらい困らせたくなってしまった。

「私がもし怖がらなくても、こうやって甘えさせてくれた?」

突拍子もなくぶつけられた直球な質問に、彼の動きがぴたりと止まった。不気味に葉音を鳴らす木々の間を、ゼロセンチの距離で立ち止まる。吊り橋効果とはよく言うけれど、なるほど確かに効果はてきめんらしい。聞いたのは自分のくせに、心臓がうるさく鼓動を刻んでいる。
絡めていた腕をほどいて、彼はゆっくり私と向き合った。

「(寂しかった?)」
「別に、そういうんじゃない」
「(嘘)」

ごめん、と眉を下げた彼が大きな手で頭を撫でてくる。自分で蒔いた種とはいえ、こうも素直に甘やかされてしまうと強がりなんてなにも言えなくなってしまう。

「野球やってるときの樹、かっこいいから好きだよ」
「(ありがとう)」
「今が大事な時期だってちゃんとわかってる。3年だし、進路とか忙しいだろうし」

ほんの一時のわがままで彼に苦労を強いたくないというのは紛れもない本音である。だけどまだ17、8の女子高生、感情を抑えたとていつかは爆発するものなのだと身をもって知る。

「でもやっぱり寂しかったんだよ、なのにいきなりこんな薄気味悪いとこ連れてこられて意味わかんないし」

帰りたいと思っていた。冗談でもこんなところ来たくないというのに、一体どういうつもりなのだと詰りたくもなる。でも久しぶりに会えたことを嬉しくも思う。いろんな感情がごちゃ混ぜになって途方に暮れてしまいそうだ。俯いていると両肩を掴まれて顔を上げるよう促された。

「(ここ、お化けいない)」
「え?樹霊感ある人?」

彼は首を横に振ると、更に続けた。

「(この辺 人来ない。静か)」
「……もしかしてひとりで来てたりする?」

しれっと頷いた彼に、思わず口元が引きつった。人の多い場所を苦手とするのは知っていたけれど、静かな場所を求めるあまりいわく付きの地に足を踏み入れ既に実証済みだったとはこの男、綺麗な顔をしてとんでもないことをする。

「(なにも出ないの知ってた)」

それでもおもしろがった後輩たちを止めたのは、ひとりになれる貴重な場所を追われたくなかったからなのだろう。なにもないと知れば平気で人が出入りするかもしれない、だけど彼の恋人である私まで巻き込めばさすがに灸を据えられると思ったに違いない。巻き込まれた方としてはとんだ荒療治ではあるけれど、そう考えると辻褄が合う。そこまで考えてはたと気づく。

「……なにも出ないの知ってたのに手繋いでくれようとしたの?」

なにも答えはしないけれど、ばつが悪そうに目線を泳がせる彼に合点がいった。一杯食わされたのは私の方だ。散々怖い思いをさせられた挙げ句、遠回しに甘やかされていただなんて笑い話にも程がある。

「(ごめん)」
「謝って済んだら戦争は起きないし軍人もいらないんだよ」
「(ごめん)」
「わかったって、もういいよそんなに怒ってないし」
「(ごめん、会いたかった)」

心底申し訳なさそうに頭を下げた彼に、面食らってしまう。一瞬なにを言われたのか理解するのに時間がかかったけれど、彼の言葉を反芻する度に胸がきゅうっと締め付けられた。普段は言葉が足りなすぎるくせに、こんなこっぱずかしいことを涼しい顔で言うなんてずるい。文句なんてなにも言えるはずがない。

「私も、会いたかったよ」

正面から彼の肩にぽすっと頭を預けると、そっと腕を回された。少し前まで心霊スポットだと信じて疑わなかった場所でなんて罰当たりなことをしているのか。冷静になればなるほどおかしくてたまらないのに、そんなことはどうでもよくなってくるから不思議だ。

「でも普通のとこで会いたかった」

答えるように優しく背中を叩く手のひらから、謝っているつもりなのが伝わってきたので今度こそ閉口してしまう。木々はまだ、不気味にざわめいていた。



「敷島ー!樹そそのかしたのあんたでしょ!?」

武軍装戦高校生徒寮の近くまで戻ると、野球部が今か今かと私たちの帰りを待っていた。真ん丸なおしゃれきのこ頭を見つけるなりズカズカと歩を進めると、くだんの人物は身を縮こまらせた。

「これには訳があるんですよ、野郎だけで行くより女子がいた方が盛り上がると思ったんすよ」
「それはあんたの場合でしょ、私怖いのほんっとに無理なんだから」
「吊り橋効果って言うし、どうでした?」
「洒落になんないのよ」
「は?まじでいたんですか?」
「なに言って、」

言いかけたところで肩を掴まれたので振り向くと、樹がまっすぐに私を見下ろしていた。

「?なに?」

訊ねると彼は口元に人差し指を立てる。あの場所も、先程までのことも全部私たちの秘密ということらしい。その様子を見ていた敷島は動揺したのか上擦った声で言う。

「は!?まじで、え!?見たんですか」
「ごめん、内緒」
「うわすげえ気になる」
「気になるなら行ってみれば?ひとりで」

吊り橋効果はてきめんだけれど、それ以上に彼の行動や言葉の方がよっぽど私をドキドキさせるのだと思う。あそこは心霊スポットでもなんでもなかったけれど、まるで取り憑かれたかのように素直になってしまったから、夏が男を大胆にさせるようにもしかしたらあの場所には魔物が棲んでいたのかもしれない。

2016.07.01

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