18Gのニードルと消毒液、ガーゼ。そしてその場にそぐわないような真っ白な新品の消ゴム。それらを並べて彼は私の隣に腰をおろした。

「なんで消ゴム?」
「針穴固定」

へえ、と思わず感嘆の声が漏れる。初めて開けるピアスホール、私には知らないことばかりだ。

生まれてこの方、ピアスはおろか髪も染めたことがない。今時珍しい貞淑な娘、そう揶揄されることにもう疲れたのだ。
だから私がピアスを開けて欲しいと頼んだとき、彼は驚きで目を丸くしていた。

「突然何」
「だめかな、似合わないかな」

彼はゆっくり首を振る。金色の長い髪、口元に光るピアス、目付きの悪い青い瞳に奇抜な服装と見た目こそ怖そうだけれど、彼はとても優しい。毒を持つ蜘蛛を愛でられるほどに。

手袋越しに彼の手が私の耳朶に優しく触れる。私も唇の下に開けてみたいと懇願したけれど、それは却下されてしまった。

「なんで?女子だから?」

そう聞くと彼は否定も、だけど肯定もしなかった。そして今、なにも聞かずに私の耳朶に針があてがわれた。

「本当、大丈夫?」
「いいよ、大丈夫」

彼は何度も本気かと訊ねたけれど、これが最後の、念のための確認。彼の躊躇いが手袋越しに伝わってくる。自分で開けるのとは違って、人のピアスを開けるのはきっと怖いだろう。だけどその分、彼が自分をどうでもいいと思っているのではないかと思ってしまう。

ぷすり。柔らかな耳の肉を針が刺す。針先は耳の裏にあてがわれた消ゴム目掛けて貫通していった。ぷちりと皮を破る音を聞いた。

「完了。気分悪化?」

首を横に振ると、ほっとしたように消毒液を染み込ませた冷たいガーゼでそっと耳朶を包んでくれた。じんわり、熱が奪われていく。痛かったかと訊ねる彼に笑ってみせると彼は眉根を寄せた。シルバーのピアスを通すと、僅かな痛みで熱を持った穴がひんやりと冷めていく気がした。

変わりたいと心から願った。新たな自分になりたいと。もういい子のふりなんてしていたくない。だって私はこんなにも悪い子だ。

「霧咲くんはピアス開けたの後悔したことある?」

血の滲んだガーゼを丸めてコンビニの袋へ入れる。きゅっと口を結んで、私の視界から離すように。男の子よりも女の子のほうが血に対する耐性があることを、男子校に籍を置く彼は知らないのかもしれない。はたまたただの潔癖か。そのどちらもあり得る気がした。
私の問いに彼はしばし悩んだ後、首を横に振った。

「私も。たぶん後悔しない」

ピアスを開けたら運命が変わると聞いた。変えたいと思った。もう弱くて真面目な私じゃ、きっとこの先どこかでやっつけられてしまう。何から?社会から。

心の底からの言葉を彼は訝しみながら聞いて、金色の髪を片耳にかけた。普段は隠している彼の耳には、おびただしい量のピアスが飾られている。まるでオブジェのようで、私は息を飲む。一つ一つの金属が主張して、そして形を成す様を美しいと思った。

彼も、変えたいと思ったのだろうか。自分を。願う度にこのピアスホールは増えていったのだろうか。そう思うと、彼をとても愛しく感じた。白い頬に手を添えると彼はびくりと肩を揺らす。青い瞳に映る私の耳にはシルバーのピアスが光っていた。

「ピアス開けてくれてありがとう」

至近距離でその瞳を捉えたまま言うと、戸惑いながら彼は頷く。形のよい唇にそっと自分のを合わす。口元で金属同士がぶつかる音がした。

私も彼のように変われるだろうか。自分の願う方向に、疑うこともなく、なにをも省みることもなく。
そして彼は願った自分になれているのだろうか。願わくは私が愛している彼が、これからも真っ直ぐ自分の道を進んでいければいいと思った。

唇を離すと彼は困ったように私を見た。つり目の瞳に困惑を浮かべる。慣れてないの?なんて自分もファーストキスのくせに聞けるはずがない。

「初めてだった?」
「……不服」
「ごめんね」
「謝罪不要」

照れたように顔を背ける彼の流れるような金髪に指を通す。なめらかな、まるで女の子のようなさらりとした髪。

「私も染めようかなあ、何色がいいと思う?」
「……他人染髪、無理」
「それは美容院に行くから大丈夫」

壊れそうだった私と、生きる意味を見出だしてくれた彼が今は向き合っている。彼の手を覆う手袋を脱がせると、爪先を彩る黒が目に入った。それを指でそっと撫でると、彼の指先に搦めとられてしまった。違う世界で生きていると思った彼と、こうして手を繋いでいる。世界は幸福だと思った。

2015.11.11 happy birthday.

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