余計な物を置かないこざっぱりとしたワンルーム。とても20代の女の部屋とは思えないその部屋が好きだと思う。ピンク、白、赤、キャラクターにキラキラ、花柄、水玉、そんなものとは無縁な質素な部屋に今日も足を運んだ。

「連休明けで疲れてんのよ、帰って」

化粧を落とした肌は、普段見ている女のものよりハリはない。目元に僅か化粧品の色素が沈着しているのもあるが、確かにうっすらと隈ができていた。

「マジかよ、お疲れ」
「って言ってる傍からなに入ろうとしてんの」
「俺様が癒してやるっつってんの。感謝しろよ」

小さな頭に手を置くとそれは不服そうに払われた。

年上の女に憧れを抱く男子高校生、ありふれた話だと思う。だけど、年上の女を懐柔させてみたいと思う好奇心をこれほどまでに恨んだことはない。





「最近悪い遊びでも覚えたんじゃないでしょうね」

寮の門限を過ぎた頃、忍び足で戻ってきた俺を鋭い声が刺した。引きつる口元を隠すことなく振り向くと、探るような瞳でこちらを伺っている兄貴がいた。答えられずに「夜更かしは肌に悪いっつってたろ」とはぐらかすも、それこそが答えに等しい。

「オイタが過ぎたらアタシでも手に負えないのよ」

おやすみ、それだけ残して去る兄貴の背中に、言い様のない気持ちを吐き出してしまいたくなった。

ぞくりと粟立つ快感は思ったよりもなかった。それどころか同世代の女よりプラトニックな関係。年上のお姉さんを好き放題したいとかされたいとか、そんなものは幻想に過ぎないのだと思い知る。相手は俺よりも、そして俺が知っているどんな女よりも理性的な女だった。易々と未成年と淫行などできるはずのない女。だからこそ俺はなまえに強く惹かれたのだと思う。





「言っとくけど、私じゃなかったらあんたとっくに痛い目見てんだからね」

組み敷かれたなまえの瞳には俺と、その後ろに広がる天井が映っている。理性の糸が切れたのだと理解したのは事のあと、気づいたときにはなまえは俺の体の下にいた。

「お前随分余裕じゃね?」

自分でこの状況を作っておいて狼狽えているのは俺の方。冷めた目で俺を見上げるなまえはひどく冷静だ。

「退いて。背中痛い」

俺の肩を押した力は決して強いとは言えない。それでもあっさり俺は体を起こして、なまえは容易く抜け出した。呆けたままの俺を諌めるなまえの声が背中に飛んでくる。

「ちょっと頭冷やしなね」

キッチンから湯を沸かす音が聞こえる。あんなことがあったあとでよくも冷静でいられるものだと思ったあとで、相手は俺では太刀打ちできないほどの大人なのだと思い知る。何も言えずに黙り込む俺の隣に躊躇なく腰を下ろす度胸も余計にそう思わせた。

「びっくりしたでしょ」

本来俺が言うべきはずの言葉を紡いだなまえと、視線が交わることはなかった。

「後悔したんでしょ。見てればわかる」

さっき俺と天井を見上げたなまえの目は、俺が瞬時に抱いた躊躇いをも見透かしていたのだと悟る。どこまでも面白くない話だ。それなのに、安心している自分がいる。

俺を退かしたときの彼女は、俺をあしらったのではなく俺の焦りを見透かした上の行動なのだと理解すると途方に暮れそうになる。同時に、そのときなまえがなにを思ったのかも。

「影州が勢いだけで人生棒に振りそうで心配になる」
「兄貴みたいなこと言うなよな」
「双子なんだっけ?お兄さんはしっかりしてんのね」

薄い笑みを浮かべた唇に、この期に及んで噛みつきたくなるなんてどこまでも自分が子供のように思えて仕方ない。だけどそれだけ魅了されているのも、本当はわかってほしい。

「若いうちはいいけど、あとで後悔すんのはあんたなんだから」
「さっきのこと言ってんのかよ」
「そうじゃなくて、全部」

俺が若さだけであんな行動をしたのだと、そして年上のなまえに憧れ惚れ込んでいるだなんて思ってほしくはない。だけどそれに見合う理由を、俺はまだ自分自身が理解していない。
小さく舌打ちを溢すと「ほら、そういうとこ」と優しく諭す声。何も言えなくなった俺に、追い討ちをかけるかのごとくなまえが小さく溢した。

「影州は私に拘ってるけど、私はあとどれくらい若くいられるんだろう」

力なく言った声に驚いて顔を上げるも、なまえはさっさと立ち上がりキッチンに向かってしまった。そしてそのまま背を向けて、部屋には温かな珈琲の香りが充満する。その背中が泣いているように思えたのは、俺の錯覚だったのだろうか。

例えば今の言葉が彼女の本心なのだとしたら、俺が思っている以上に彼女は弱い女なのかもしれない。それを今まで上手に隠して俺と向き合っていたのだとしたら。
なまえにも自分の弱さを隠そうにも隠せなかった時があったのだろうか。そんな若いときがあったからこその今なのだろう。そして彼女が感情を剥き出しに出来ていた頃、それを受け止めた男は一体どんな奴で、どんな別れをして今の彼女が構築されたのかも俺には知る由もない。
そしてどう足掻いたって俺はなまえを素直にさせることができない男なのだと思い知らされたような気がするのは、砂糖とミルクを嫌味のようにたっぷり入れられた甘い珈琲が、当たり前のように体に馴染んだからに他ならない。淹れたての熱いブラックを平然と飲む彼女の傍らで、その甘い珈琲で舌を火傷した俺は彼女に敵う日が未来永劫訪れない気がしてならないのだった。

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