「なあー、まだ終わんねえの、それ」

自宅に仕事と男を持ち帰ってきた私に両立は不可能だった。目が渇いてくるほどさっきからパソコンの前から動かずにいる私に、影州は不服そうに声を掛けてくる。

「だから相手できないよって言ったじゃん」
「じゃあなんで俺のこと拾ったんだよ」
「会いたいって聞かなかったのそっちでしょ」

パソコンから目を逸らずに答えると、影州は小さく舌打ちを溢す。そのままソファから立ち上がる気配がする。飽きっぽい彼のことだからどうせ帰るのだろう。
彼には私の代わりがいくらでもいる。

「俺様のことかわいくねえの?」

どこかへ行ったと思った気配が背後に回る。手元にマグカップを置くとそのまま首元へ腕を回してきた。

「気が利くとこはすっごいかわいいけど構ってちゃんはかわいくないかな」
「んだよそれ。つまんねー」
「お願いだからとにかく退いて。ほんとに終わんないから」
「やなこった」

180センチをゆうに越える男に背中を取られ、体は自由を奪われた。構わず手だけを動かしていると、首筋に生温かい舌の感触。

「ほんとに怒るよ」
「なまえが怒っても全然怖くねえし」

本当にどこまでも可愛くない男だ。これだから今時の高校生は、そう思ったところで自分の年齢を思い出しては虚しくなることを知っているから、すぐに考えを打ち消した。

「明日じゃダメなの?」
「お前こそその仕事明日じゃダメなのかよ」
「それができたらわざわざ家で仕事してると思う?」

大人って大変なのよ。そう言いかけた言葉を飲み込むように、マグカップに手を伸ばす。淹れたての珈琲は砂糖が入っていない控えめな味をしている。私の好みを熟知した味。
年下は可愛いよ、と言っていた上司を私は内心ロリコンだと思っていた。きっとそのバチが当たったのかもしれない。年下の、まして高校生の男を囲っている時点で人のことなどどうして笑えようか。
光源氏が大変若い娘を自分の好みに育て上げた話を思い出す。1000年も前の話でも、それはどうやら現代にも通じる話なのだと思い知る。

「あんまりうるさくすると追い出すよ?」
「しねえくせに」

顎を掴まれ強制的に影州の方を向かされる。楽しげに瞳を細める顔は、悔しいけれど申し分ない。光源氏に見初められた少女もとい紫の上、うちにいる紫の上は随分聞き分けがないらしい。

「言うこと聞かない子は嫌い」
「いい加減素直になった方がいいぜ?なまえちゃん」

唇に降ってくると思った温もりは額に落とされた。拍子抜けしたことを悟られたのか、影州は依然楽しげに口角を上げるばかり。それきりなにもしてこなかった。背中にあった体温は離れ、お行儀よく定位置へ。時折鳴る彼の着信音に気が気でない。

「電話出なよ」

気にしていないよう努めて振る舞う。眉間に皺が寄るのを自覚して、それは目が渇いているからだと言い訳を用意する。それさえ見破られてしまうのをわかっていて、だけど認めるわけにいかない。年上の女のプライドである。

「なまえが嫌な顔すんの知ってるから出ねえ」
「するわけないでしょ」

影州の顔を見なくとも、嫌な笑みを浮かべていることくらい想像するに易い。本当に趣味の悪い男だ。彼を自分好みに育てるどころか、私の方が弄ばれている。当たり前だけれど、私よりも影州の方がよっぽど光源氏に近い。さしずめ私は、彼の正妻をとり殺すプライドの高い年上女だろう。彼女がヤンデレの元祖なんて言われているけれど、少なからず彼女に共感する女は少なくないと思うのだ。きっと私は彼に本命の女がいると知ったとき正気ではいられない。

「なに考えてんだよ」

ぼんやりしているのを目敏く見つけられ、影州の長い指が頭を小突く。ソファから少し距離があるはずなのに、腕を伸ばしただけで容易く届いてしまった。

「別に、なにも」
「俺様のことじゃねえんだ」
「そういうことあんま言わない方がいいよ、恥ずかしいから」

面白くなさそうに唇を尖らせる影州が途端に可愛く見えてくる。愛しく思うタイミングなんて、自分でもよくわかっていない。
年下だから可愛いとか、きっとそういうことでもない。高校生だからとか、端整な顔立ちをしているとかもきっと。

「なまえは俺のことだけ考えてればいいの」

大きな手が頭を撫でるその感触はしっかり男のものだ。彼が高校生であるのを忘れるくらい。私と彼の間に介在しているのは異性であるという前提と、そしてなによりも年の差。それさえなかったなら、当たり前に外で会って、当たり前にデートをして、体を重ねて、朝まで一緒にいることだって問題ない。踏み越えられない一線はまるで壁のよう、影州は私を真面目だとか慎重だとか笑うけれど、私はいつだって冷静でいなければならないのだ。きっと捨てられるのは私の方だ、始めたのも影州だった。未来永劫一緒にいられるだなんて思っちゃいない。思っちゃいけない。

「影州はなに考えてたの?」

振り向いて影州と目線を合わす。交わった視線は私の体内に入り込んで、そのまま全身を溶かしてしまうほど熱を持っている。

「なまえのこと考えてた」

大の大人を捕まえて砂を吐きそうになるほど甘い言葉を寄越してくるのはやはり若さ故なのだろうか。艶のある唇から吐き出されるそれに一喜一憂していられない私に、どうしてこの男は拘るのか。理解できないのは年のせいなのか、それとも。

「嘘ばっかり」
「なんでだよ、信じろって」

百歩譲って本当だと信じよう、だけどそれは一体何人の女の子に言ったの?なんて聞けるはずもない私は、やはり彼に捨てられるその日、彼が一番に想う女を呪い殺してしまいかねないと思った。どれだけ願ったってきっとその日は必ず来る。甲斐性のない男に惚れ込んだ、それこそが私の全ての敗因だ。

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