校舎裏から漂う煙草のにおい。それに釣られて私の足は勝手にそこに向かっていく。その男に導かれるように。

校舎裏にはドラマが詰まっている。告白、喧嘩、カツアゲ、ひっそり泣く人。ある意味青春の酸いも甘いもそこが全て知っているし、ひっそり闇に葬ってくれる。そのどれともつかないけれど私にもちゃんと校舎裏のドラマはあるのだ。

「先生に言ってやろ」

背を向けて紫煙を燻らせる黒豹に声を掛けると眉を下げたいつもの表情で振り向いた。

「みょうじさんそりゃかなわんわ、堪忍やで」

言葉とは裏腹にその表情も、その態度もなにも困った様子はない。私がそんなことするはずがないことも知っていて、だけど念のための言葉。

「一本ちょうだい。私も吸ってみたい」
「女が吸うたらあかんて」

黒豹の吐く煙はゆらゆらと鉛色の空に溶けていく。隣に腰を下ろすも、少しばかり距離を置いたのは黒豹の方だった。

「制服に臭いつくやろ。煙草臭い女なんてモテへんよ」
「別にいいよ、モテなくて」
「みょうじさん不良やな、授業戻らんの」
「どんだけ私邪魔なのよ」
「そんなん言うてへん」

言われていなくても、彼が他人、そして野球部関係者を拒絶したがっているのはわかっている。それでも尚、そばにいたい。

一年生の頃、同じクラスだった白鴎が事故に遇った。入学早々大変だなあ、大丈夫なんだろうかと皆が心配した。そしてその一件から、白鴎の友人で野球部でバッテリーを組んでいた黒豹は変わってしまった。

白鴎がいた頃、彼を素行の悪い奴だと思ったことはない。授業をサボりがちになり、放課後にグラウンドに寄り付かなくなってしまった。聞くと部活を辞めたという。理由は最後まで教えてくれなかったけれど、部活の帰りに見てしまったのは、アイスクリームの屋台で働く黒豹の姿だった。

アルバイトをしてみたいと思うのは、高校生として自然な思考だと思う。それを悪いとは思わない。だけど野球を捨ててまで、どうして働くことを選んだのかずっと疑問だった。

「バイト楽しい?」
「なんや急に。別におもろくもなんともないで」
「でも野球より楽しいんだ?」

瞬間、ぴり、と張りつめる空気。
出すぎたことを言っている自覚はあった。それでも言わずにいられない。

「お金がいるの?」
「せやな、努力は裏切っても金は裏切らへん」
「そっか」

その言葉に重みがあるのは、彼と白鴎の事情を知ってしまったからに他ならない。少しばかり意地の悪いことを言ったけれど、黒豹が金に執着する理由を、私は知ってしまった。

「私にもなにかできることない?」
「あるわけないやん。みょうじさんはマネージャー頑張りいや」

人懐こい笑みに隠れている、他人への壁。それ以上は踏み込ませてはくれない、拒絶である。どうしてそんなに一人でがんばるの、本当は野球が好きなくせに。

「じゃ、ワイはバイト行こかな」
「ちょっと、まだ授業あるじゃん」
「銭にならんやろ」

立ち上がって去っていく、遠くなっていく黒豹の背中。私が本当は全部知っていることを、黒豹は知らない。

「あのさ」

声を掛けると、猫のような吊った丸い目が私を見下ろす。せめて、せめて帰るところがちゃんとあることを、知っていて欲しい。

「子津くんのことよろしくね」

目を丸くして、少しばかりの気まずい沈黙が訪れる。彼が子津くんの球を捕っていると知ったとき、私は純粋に嬉しかった。黒豹がまだ、野球を好きでいてくれたことが。

「みょうじさんには敵わんな」

困ったように人のよい笑みを浮かべて、今度こそ黒豹は去ってしまった。

校舎裏にはドラマが詰まっている。ひっそり努力の汗を流す人の傍らで、夢の続きを見て、それが叶うのを待っている人がいる。途方に暮れそうになる現実を諦めずに、黒豹が息をつきに来るこの場所で、更に彼を見つめ続けている私がいる。

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