遂にうちの部隊から脱走者が出た。
消灯時間を過ぎた頃、当直のため駐屯地に一緒に泊まっていた班の者から連絡を受け俺もすぐさま捜索に当たる。よりにもよって直属の上官が当直の日に脱走するとはとんだ胆の持ち主である。その度胸は買ってやってもいいが、だからといって脱走を見過ごすわけにはいかない。夜間の隠密行動は自分の専売特許だ。まして相手は入隊一年目の新入り、武軍で三年間仕込まれた俺が彼を見つけるのにそう時間はかからなかった。
「……どうしても、会いたかったんです」
後部座席の真ん中で、野郎ふたりに取り押さえられ小さくなる新入りが蚊の鳴くような声で呟いた。小型トラックを運転しながらバックミラーで彼の姿を確認する。今回は女絡みの脱走か。訓練がきつくて、とか人間関係で悩んでいるなら相談に乗る必要があるが、自分の恋愛もままならない俺が彼にかける言葉などあるはずもない。
会いに来て、と彼女が電話の向こうで泣いていたのだという。このままじゃつらい、もう別れたい、と。
新隊員は入隊後、訓練のためしばらく宿舎での生活を強いられる。そのため恋人の方が音を上げるのは珍しい話じゃない。半年も待っていられないような根性なしの女、この先なにがあるかわからない自衛官の彼女としてどうせ務まるわけがないと説き伏せるのは簡単だ。それでも。
「(別れようと思わなかった?)」
彼に聞いてみたかった。好きな女から別れたいと言われて、掟を破って処分を覚悟してでも会いに行こうとしたのはなんでなのか。駐屯地の駐車場から彼を宿舎まで送るとき、なんとはなしに聞いてみた。
「……別れたいって言われても、好きなので。すみませんでした!」
車内でこってり絞られた彼は反省したのか、もう抵抗する様子はなかった。代わりに素直な気持ちを吐露して、その上で頭を下げてきた。
別れたいって言われても、好きだから会いに行った目の前の少年。俺に言わせればまだまだ青いし、考え方が甘すぎる。でも女からしてみたら、こういう男の行動は嬉しいのかもしれない。なまえも本当は、少年の恋人みたいに甘えたかったのかもしれない。それでもなにも言わずに、ただひたすら俺のことを待っていた。
罪悪感が押し寄せてくる。もし今なまえから別れ話をされたとしたら、嫌だと言う権利はたぶん俺にはない。それでも今でも好きだと言うくらいは許されるんだろうか。許されなくたって構わない。それが俺の本心で、本音だから。
「(声大きい、みんな寝てる)」
口元に人差し指を立てると、保護された脱走兵はまたしても「すみませんでした!」と頭を下げる。もうその声量からして大きい。人の話を聞いてほしい。
「(謝るくらいなら最初からするな)」
彼の肩を叩いて宿舎へ送り出す。深々と頭を下げて宿舎へと戻る彼の背中は、少しだけ逞しくなったように見えた。きっと明日の朝にはなにもかも、彼の処分を除いて何事もなかったように進んでいく。
失ったとしても、彼なら大丈夫だろう、進んでいける。その背中に俺も決意を固めた。
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