それからというもの、ライブハウスにすら寄り付かなくなった私はただただ日々を持て余していた。なにか始めよう、と求人を見てみたり課題に打ち込んでみたりゼミやサークルに頻繁に顔を出してみたり。だけど虚無感はどうしてもついて回ってきた。
現実逃避を見出だしていた場所を追われた私に、行くところはなかったのだ。
あれから掲示板は見ていない。私がいなくなったことで騒ぎが沈静化していることを確かめたかったけれど、どうしても見たくなかった。そして神鷹にもあの悪意ある言葉達が目に止まらないことを願っていた。
だけど女というのは本当に身勝手な生き物だ。ライブに行かないと決めたのは自分のくせに、もし私の代わりに今神鷹が特別に見ている人がいるという書き込みを見た日には気が狂ってしまいそうだった。だから私は、あの掲示板を見ることが怖かった。そしてそのまま神鷹の記憶から自分を消してほしいとさえ思うのに、忘れないでいてほしいという気持ちも拭えない。百歩譲って私のことは忘れてもいい。だけど神鷹のことを好きでいた女がいたことは忘れないでほしい。エゴにも近い願いにすがる。

複雑な気持ちを抱えたまま過ぎていく日常に慣れた頃、頭にも入ってこないテレビ番組を眺めているとけたたましく玄関のチャイムが鳴る。滅多に人が訪ねてこない我が家になんだろうか、と警戒しながらそろりと玄関に向かう。女子大生の一人暮らしに油断は大敵だ。最悪の展開を想定して覗き穴に目を凝らす。居留守を使うなんて考えは頭から抜けてしまった。代わりに疑問が頭を埋め尽くす。そして緩んでいく涙腺。
愛しい姿が、そこにいた。
なんで?そうは思うも居ても立ってもいられない。だけど今、彼と会ってもいいのかわからない。思い悩んでいると再びチャイムが鳴った。扉一枚隔てた彼は、小さな覗き穴越しに見ても何一つ顔色を変えていなかった。

無言でそっと戸を開ける。小さく手を上げた神鷹は困ったように私を見下ろしていた。それに答えるように私も無言で頭を下げる。
何ヵ月ぶりだろうか。彼は全くと言っていいほど変わっていない。

「(ライブ来なくなった)」

咎めるように紡いだ手話。皆まで言わずとも彼が理由を聞きたがっているのは明白だった。気まずくて目を逸らすも、神鷹が私から目を逸らしてくれそうにないことは雰囲気で感じ取れる。

「(気にしてるのか)」

神鷹が手を動かす気配で顔を上げると、彼はそんなことを紡いだ。そしてそのとき全てを悟る。神鷹は、全て知っている。

「……もう、ライブには行きません。でも応援してますから、がんばって」

自分の決意は口に出してみるとひどく苦しいものだった。ぐっと唇を噛むと、マスク越しに神鷹が小さく溜め息を吐いたのがわかった。
応援していると言ったくせに、結局最後までついてこないなんてファン失格だ。呆れられているのだろうなんて思った。バンドマンにとって動員数は喉から手が出るほどほしいものである。たった一人だとしても。
だけどそのたった一人のために、あなたを好きな他のファンがもしかしたらいなくなるのだとしたら。そっちの方が痛手ではないのか。それなのになんで、わざわざ。
影州や紅印、そして他のスタッフにさえ私は連絡先を教えていなかった。ライブに行かなくなったあと、当然交流は断たれている。それなのに。

聞きたいことが山ほどあった。だけど神鷹が教えてくれるかなんてわからない。話したいことも山ほどあった。だけどそれを話したことで彼が困るのも目に見えている。わかっている。だけど。

「少し、話しませんか」

知らず知らずのうちにそんな提案をした自分に驚いた。
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