朝の光に誘われて目が覚める。穏やかに眠る樹の寝顔はあどけなくて、幸せだけが胸の中を包んでいった。
あれから私達は数え切れない夜を共にしている。私の部屋だったり樹の部屋だったり。就職も決まりあとは卒業を待つのみ、特にすることのない私が一人暮らしの樹の部屋に通い妻をするのが大半になっている。

「おはよ」

樹が飼っているオウムに声を掛けると、彼は嬉しそうに羽をばたつかせる。「オハヨ、オハヨ、なまえオハヨ」と喋り出したので「シーッ、樹が寝てる」と制する。だけどそれすら彼にとっては言葉を覚える貴重なものだった。

「ネテル、ネテル、イツキネテル」

はあ、と頭を抱える。可愛らしいこのオウムくんにどう言えば伝わるのか、寝起きの頭で一生懸命考えていると背中に体温を感じた。

「……起きてる」

いつの間にベッドから這い出たのか、少し眠そうな瞳のまま後ろから抱き締められた。

「ごめん、起こした?」

樹は首を横に振った。眠いなら寝ててもいいのに。樹も今日は休みである。

「ごめん、朝ごはん今からなの」
「……たまには俺が作る」
「いいよ、寝てなよ」

不服そうに目を細めるも、朝が弱いことなんて知っている。仕事のときはありえないくらい目覚めがいいのに、休みになるとこうだ。二人で過ごす朝は嘘みたいに穏やか。

「今日天気いいね」

樹がカーテンを開けたので部屋に光が満ちる。自分で開けておいて眩しそうに目を細める姿が可愛らしくて小さく笑いを溢すと怪訝な顔をした。

「布団干そうかなー」

ぽそりと呟くと、樹がなにか言いたげにじっと見つめてきた。首を傾げていると、彼は決意したように手話を紡いだ。
樹が私には喋るようになっても、やはり長く声を発していると喉に負担がかかるらしい。だから彼が言葉を口にするのは要所要所で。

「(出掛ける)」
「いいよ、どこ行く?」
「(不動産)」
「引っ越すの?」

訊ねると樹は頷いた。間取りも悪くないし日当たりもいい。立地条件としても騒がしいところが苦手な樹にとってここは閑静である。不便なことなどないように思えるけれどどうしたのだろう。そんな考えが透けて見えたのか、またしても何か言おうとこちらをじっと見つめてくる樹の視線。どれだけ一緒にいようと、正直未だにその目には慣れない。耐えかねて呼び掛けると、樹はふいっと視線を逸らした。

「一緒に住まないか」

目線をこちらに寄越さないまま、樹が声に出して言ったので思わず面食らってしまった。その言葉を飲み込むまでに数秒の沈黙が訪れる。フリーズしてしまうのも無理はないだろう。だって。

「なまえも卒業するし」

確かに今ではどちらかが常に行き来しているようなもので。効率が悪いと言えばそうなのだけれど、それにしても。

「ほんとにいいの?」

樹は元々一人でいることが好きな男だということに気がつかないわけがなかった。それなのに私を常に置いておくと言う。私にとっては願ってもみない提案なのだから断る理由なんてないのだけれど。
相変わらずこちらを見ない樹をじっと伺っていると、照れくさそうに体ごと背中を向けた。そしてそのままこくりと頷く茶色い頭。朝の日に透けたさらりと揺れる髪がきれい。
樹の帰りを、樹と当たり前に過ごす部屋で待てるなんて。そしてそれが私でいいのなら。

「嬉しい」

こんなにも嬉しいことなんてないように思えるほど。小さく呟いたつもりが静かな部屋に響く。「ウレシイ、なまえウレシイ」オウムくんが繰り返すものだから余計に。だけど嬉しいという言葉は、何度繰り返したって幸せな響きだ。ソファに腰かける樹の背中に飛び付いたのは、ほとんど衝動的なものだった。

「樹ーっ、大好き」

普段は小っ恥ずかしくて言えやしないけれど、それはすんなりと言葉になった。慣れというのは怖いもので、今ではお互い言わなくなったような気がする。それでも日々愛しさが溢れてくるのは、何故なんだろう。
鬱陶しそうに身を捩りつつも、その白い頬をしっかり赤く染めている樹を両腕で閉じ込める。込める力を強くするとさすがに苦しかったのか僅かに目を細めた。

「なまえ、ウレシイ、イツキダイスキ」

頻りに繰り返すオウムの声が響く。おうむ返しとはよく言うけれど、それが幸せな言葉なら何度だって繰り返したらいい。オウムくんが忘れないように、私も何度だって言ってやる。樹が鬱陶しく思ったって構わない。こんなに好きにさせておいて言わずにいられない。好きと自覚するのも怖かった恋が、好きに慣れてしまわないように何度だって。

2015.1.15〜2015.3.7 サイレン fin.
prev next
back


- ナノ -