ライブハウスの前で影州を待つ。影州が出てきた頃には深夜を回っていた。そのまま無言で繁華街を並んで歩く。罪悪感は、正直あった。

酔っぱらいのサラリーマン、逢瀬を楽しむ男女、私達と同じくらいの年齢の団体、そしてそのままホテルへと雪崩れ込む二人。
すれ違う度に私も酒の一杯でも引っかけておけばよかったと後悔する。そうしたら影州にも逃げ道を作ることができたのに。だけどそれは影州のためじゃない。本当は、自分のため。どこまでも自分勝手な思考に嫌気が差す。
険しい顔をして歩く影州の隣、影州に全てを任せてついていく。ホテルならその辺にもあるのに。一体どこに行くのかと影州の動向を伺っていると、影州が足を止めたのは居酒屋だった。

「ちょっと、どういうこと」
「あ?うっせえ。慰めろっつったのお前だろ」
「ふざけないでよ」
「お前がな。いいから来い」

抗うも影州に強く腕を引かれる。そのまま居酒屋の暖簾を潜った。


「遅いじゃないの。アタシだからいいけどレディを待たせるなんてダメよ影州」

暖簾を潜った先には紅印がいた。店内は空いているわけでもないのに他の客から席は少し離れている。

「誰がレディだ、現実見ろ」
「あらやだ、かわいくない子ね」

そのまま影州は紅印の横に腰を下ろす。紅印が座るよう促したので、私は紅印の前に腰を落ち着かせた。

「お久しぶりでーす!最高ですかー?」

私が座ると同時に来た店員のテンションの高さに圧倒されていると、二人の後輩なのだと紹介された。軽く挨拶すると彼は再び「最高ですか!?」なんて聞いてくる。申し訳ないけれど全然最高じゃない。答えられずに曖昧にしていると、紅印が困ったように補足してくれた。

「ごめんね、この子、今最低な状態だから最高な気分になるもの作ってくれるかしら」

そう言うと店員の彼、宝町くんは厨房へと消えていった。

「びっくりしたでしょ。あの子ちょっと元気すぎるけど料理の腕は確かだから安心してね」

艶のある笑みを浮かべた紅印に私もなるべく笑って返す。それを確認すると紅印は「ところで」と切り出した。私も背筋を伸ばす。紅印ねえさんのお説教が始まる。そう思った。

「神鷹のことね」

紅印は鋭い目で見透かすように私を見た。気まずさから目を逸らすと、紅印が小さく溜め息を吐いたのがわかった。

「あなたと神鷹のことはなんとなく気づいてたけど、二人のことだし黙ってたのよ。うまくいってるものだと思ってたし。一体なにがあったの」

うまくいってる?笑わせる。思えば私は神鷹のことを、全く知らない。知らない表情をする神鷹を一つずつ知ることに満足していただけだ。神鷹の身の上のことは知らない。お互いを知らないのにそこに幸せな恋愛が成り立つわけがない。

吐き出したがっていた不安は呆気なく口をついて出た。時折言葉を詰まらせる私に紅印は優しく「ゆっくりでいいのよ」と手を握ってくれた。影州も黙って聞いていた。

「私のこと好きじゃないなら、断ってくれてもよかったのに」

言葉にしてみるとそれはひどく残酷で。この恋に最初からハッピーエンドなんて存在していなかったのだと思い知る。どのみち傷つかない結末など用意されていなかった。それを忠告してくれた影州を無視したのは私に他ならない。
事情を聞き終えた紅印は暫く黙ったのち、切り出す。

「話はわかったわ。でも」

紅印の目は真剣だった。紅印の言葉の続きを心して待つ。

「あなたは勘違いしてるわ」

紅印の言葉に首を傾げる。神鷹の気持ちなんて火を見るより明らかだ。影州だけでなく紅印までもそんな慰めしないでほしい。余計に惨めになる。

「勘違いってなに?神鷹くんの行動が全てでしょ」
「違うのなまえちゃん、あなたは知らないだけよ」
「じゃあ教えてよ、もうわかんないんだよ」

そのまま机に突っ伏す。醜く泣き崩れる女のなんと救いようのないことか。子供のように泣いてすがって、優しくしてくれてる人にまで八つ当たりして。滑稽なことこの上ない。

「それはあなたと神鷹が二人で話さなきゃだめなのよ」
「でも会ってくれないんじゃ無理じゃん」
「だからそこから既に誤解してるのよ。全く、あの子本当に言葉が足りないんだから」

紅印は盛大に溜め息を吐く。会ってくれないのは事実だ。そこになんの誤解があるというのか。

「あの子行く前になにも話さなかったのね。心配掛けたくなかったんだろうけど、余計に心配になるわよね」

不安だったわね、がんばったわね、紅印が労いながら頭を撫でてくれる。視界が滲んでいく。まだ顔は上げられそうになかった。

「とにかく、もう一人で抱え込んでばかなこと考えないでちょうだい。アタシでよければ話聞くから」

ほら、顔上げて。
紅印の優しい声につられて顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃな顔を見兼ねていい匂いのするハンカチを貸してくれた。私より女子力あるなあ、と感心するより、その温かい心遣いが滲みて余計に痛かった。自分が如何にばかなことをしようとしていたのか、現実に連れ戻されたのだ。

「不安になるのもわかるわ、でもなまえちゃん、もう少し信じてあげてもいいと思うの。あの子のこと見てきたあなたなら、あの子が不器用なことわかってるはずよ」

紅印の、言う通りだ。彼は最初から言葉が足りない男で、不器用で、だけど優しかった。人見知りで口数が足りないのに、いつだって歩み寄ろうとしてくれていた。それなのに。
好きだ好きだと言いながら、肝心な相手を信じてやろうとしなかった自分が情けない。

「そうだね、ごめん」
「ほんとよもう。俺じゃ手に負えないからなんとかしてくれって影州から聞いてびっくりしたのよ」
「俺様の方がビビったわ。泣き出す上に変なこと言いやがって」
「うわー、影州ほんとごめん」

改めて影州に申し訳なくなって俯いていると「ニャハハ、今日はなまえの奢りだな」と影州が笑い出す。肘で影州を咎めた紅印の力は、傍目から見てもなかなかの威力だったと思う。噎せている影州を見ると、なんだか笑いたくなってきた。

「お前やっと笑ったな」

笑ってんじゃねえよ、と言ったすぐあとに影州が言ったので「どっちなのよ」と笑って返す。影州なりに気遣ってくれていたのだと改めて思い知らされた。

「この世の終わりみてえな顔してたぞお前。あー写メ撮っときゃよかった」
「うっわー、影州くん悪趣味ですねー、紅印お姉ちゃんに言いつけてやる」
「そうね、あとで教育しておくわ」
「うわ、お前らタック組むとか最悪」

げんなりしている影州を他所に料理が運ばれてくる。その美味しそうな匂いにお腹がぐうっと鳴った。恥ずかしくて身を縮こまらせていると影州の笑い声と紅印の優しい声が聞こえた。

「最近ろくにご飯食べてないでしょう?お肌に悪いわ。それと寝不足もだめよ。あの子が帰ってきたとき、きれいなあなたでいなきゃ」

紅印の言葉に大きく頷いたテンションの高い彼、宝町くんはニコニコしながら私が料理に手をつけるのを待っていた。そんな赤ちゃんの初離乳食みたいに見守らなくても、と思いつつ一口。本当だ、紅印を疑っていたわけじゃないけれどその美味しさに涙が出た。

「ニャハハ、こいつ泣きながら食ってる!よかったな宝町。お前高校ん時下手物ばっか作ってたのによ」
「あら、そうかしら。昔からおいしかったわよ」
「はあー?兄貴味覚おかしいんじゃね」
「あんたこそ辛いもの食べ過ぎなのよ。体によくないわ」

そんな会話を聞きながら、久しぶりにまともに食べたご飯の味を私は忘れないと思った。
prev next
back


- ナノ -