鞄に忍ばせた包装は、昼休みになっても出番を失ったままだった。
2月14日。この日は、この日だけは、どんな女の子だって素直になってもいいという暗黙のルールがある。もっというと、恋にだって。だけど普段から軽口を叩く私は素直のなり方なんて知らない。どうせならチョコの作り方と一緒に教えてほしかった。女性誌はかわいくなる方法は教えてくれても、それを存分に発揮するための素直になる方法は教えてはくれない。女性誌に倣って髪型を少し変えてみたのに、素直になりたい人には笑われてしまうのだからすっかり心は折られてしまった。

「ムカつく」

くだんの男が私の席を通り過ぎるタイミングで声に出して言ってみると、彼は眉間に皺を寄せて見下ろしていた。

「まだ根に持ってんのかよ」
「うるさい、ほんとムカつく」

溜め息を吐きながら私の席の前に腰を下ろした鎌先。「そこなんとかちゃんの席なんだけど」と文句を言うと「んなのどうでもいい」と笑った。

「だめだよ、筋肉移る」
「そんなもん移るんだったらボディビルダー触りまくるっつうの」

悪態を吐く鎌先をじとりと睨んでいると、いたたまれなくなったのか目線を逸らした。髪型を笑ったことに謝ってほしいわけじゃない。それがなにも今日じゃなくたってよかったのにと思っているだけ。もっと言うと誰のためだと思っているんだと詰りたいけれど。

「お前さあ」

騒がしい教室の真ん中でひっそり冷戦を続けていると鎌先が口を開いた。相も変わらず睨み付けて、次に続くであろう言葉を待った。謝っても許してなんかやらない。

「なんでわざわざ今日なんだよ」
「え?」

それなのに鎌先が言ったのは、全く予想外のことでつい間抜けな声が出る。そしてそれには答えられないことも相まっている。

「今日ってほら、あれだろ、あれ」

気まずそうに泳がした鎌先の視線の先を目で追うと、いつもの教室には異質なもの。ピンクの紙袋があった。ああやって私も堂々とできたらよかったのだけれど、私にはできそうにない。

「そうだよ、そのためだよ」

憎らしくて下唇を噛んでみる。お互い主語なんてなかった。だけどなんとなく言いたいことがわかった。たぶん鎌先もそうだろう。

「……まじかよ」
「まじだよ」

大きな溜め息を吐いて、瞼を伏せた鎌先のそんな表情を私は見たことがなかった。そうしたいのは私の方なのに、表情を変えた鎌先から目を逸らせない。
こうして、二月の天気みたく変わりやすくて極端な鎌先に一喜一憂するくらいには惚れている。そしてそれを見逃したくないと思うくらいには。
あと、あと数週間で青春の全てが終わる。記憶に刻み付けるように、忘れないように、だけど恋心だけはすっぱり忘れられるように。そのためのチョコは、きっと私の胃袋に収まるだろう。

「ま、たぶん渡さないけど」
「聞きたくねえ」
「聞いてきたのそっちでしょ」
「そうだけどよ」

思い描いたものとは違うけど、その代わりに穏便で、もっと後味が悪い恋の終わりを選ぶ。時間だけに任せて解決させるには、私は鎌先を好きになりすぎた。

「髪型変えたら変だって言われたから、あーなんかもう無理なんだなって」
「もういい、言うな」
「素直になれなかった私が悪いのかな?最後に都合よく、なんていかないんだね。それでもさ、なんかもういいやって、思えないんだよ」

半ば八つ当たりで本音をぶつける。鎌先は珍しく難しい顔をしていて、私が話している“誰か”は明言するまでもなくバレているのだと思った。そして最もめんどくさい告白をしていると。自覚がないわけでもないから、もし鎌先から「回りくどい女は嫌いだ」と言われたとしても私はなにも言い返せないだろう。
それなのに。

「寄越せ」
「え?」
「そのチョコやらねえんだろ、俺に寄越せ」
「なんで」
「うっせえ」

大きな手でせがまれて目を白黒させる。探るように鎌先を見上げると、見たこともないくらい機嫌が悪そうだった。

「俺以外の奴にやるチョコなんてほんとは気分わりいけど」
「……え?」
「でもそれ食われる方が気分わりい」
「ごめん、ちょっと待って」
「待たねえ」

ただでさえよいとは言えない人相、迫力が増した鎌先に腰が引けそうになるけどその前に。
なに、その言い方。
まるで嫉妬しているみたいな言い方と、それが決していつものからかいじゃないのを証明するような不機嫌さを前にして頭が上手に働いてくれない。
ええい、もうどうにでもなれ。どつくように押し付けたその包装と共に「気づけバカ鈍感筋肉」と暴言を吐く。素直になれない理由なら今なら明確にある。私は今、照れている。

「あ?ふざけんなてめえ、どういう意味だ」

凄む鎌先に「開けたらわかる」とだけ言い残して立ち去る。昨日の私が少しだけ素直で、少しだけロマンチストで本当によかった。“鎌先へ”と書いた紙を見て、あいつはなんて言うのかな。
それから先のことは教室じゃちょっと恥ずかしすぎるから、あとは私を探して追ってくればいい。答えはそのとき教えてあげる。

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