安定なんてどこにもないのだと思い知った。そして自分がいかに高を括っていたのかも思い知った。彼氏彼女の関係に甘んじて一切の努力を怠った私が言えた義理でもないけれど、目の前で自分の彼氏がそれはそれは可愛い女の子からチョコを渡されているのを目撃してしまったら泣きたくなるのは当然なことだと思う。それもわざわざ人気のないところへ呼び出し、なんて、典型的な告白現場じゃないか。バレンタインだというのに掃除当番に当たったのが運の尽き。掃除終わるまで待っててねって言ったのに。黒尾と一緒に帰れる、なんてルンルン気分で廊下をスキップしていたら偶々、本当に偶々目撃してしまったのだ。さっきまでの浮かれポンチは何処へ、気持ちは加速しながら沈んでいった。
黒尾はなんて言うのかな、気になったりもしたけれど見ていられなかった。そのまま踵を返し教室へ。さっき空にしたばかりのゴミ箱へチョコと私の青春を投げ捨てた。


とぼとぼと一人、帰路につく。時おり冷たい風に涙腺が緩みそうになるけれど意地でも泣かない。ポケットの中の携帯は、さっきからひっきりなしに振動を続けている。相手は確認する気にもなれなかった。
怒って先に帰るなんて面倒くさい女より、さっきチョコを貰ってた女の子の方がいいに決まってる。私ならそうする。このままさりげなくフェードアウト、なんていかないのもわかっているくせに、どうしても現実には向き合いたくない。

「おい、なに先帰ってんだ」

後ろから腕を掴まれて、途端に足が竦んだ。振り向けずにいると、後ろから溜め息が聞こえる。宣告を待つ囚人のような気持ちで黒尾の言葉を待った。

「これ捨てたのお前だろ」

無理矢理振り向かされた手とは逆の手に持っていたのは、さっき私が捨てたものだった。なんで、そんなもの。口にはせずに代わりに目を逸らす。

「なに怒ってんだよ」
「怒ってない」
「じゃあなに泣いてんだよ」
「泣いてない」

また大きな溜め息を一つ溢した黒尾に、胸が痛いくらい締め付けられるのに、そうさせているのは私なのに、終わりがこんなにも苦しい。

「なんで来たの」
「は?」
「さっきの子のとこ行けばよかったじゃん」
「あー……お前見てたのか」

訪れた沈黙は、きっとこれこそが答えなのだと痛いくらい突き刺さる。それは冷たい風も相俟ってか、嗚咽をもたらすのには十分だった。

「ったく、泣くなって」
「泣いてないってば」
「あーはいはい、目から汗出してるだけだもんな」

頭を優しく撫でられて、そのまま黒尾の方に引き寄せられる。
なんで信じてあげなかったんだろう。自分に自信がないことを、人のせいにして。八つ当たりまでして。情けなくて余計に涙が溢れてくる。

「彼女いるから無理って断ったよ」

あやすように背中を叩きながら黒尾がぽつりと呟いた。そんなの、追ってきた時点でわかってるしもっと言うと鬼のように電話を掛けてきた時点でわかってた。黒尾は器用な男だけれど、だからといって不誠実なわけじゃない。それもわかってた。本当は。

「人にやるもんゴミ箱にぶん投げるような女、俺が面倒見ねえとお先真っ暗だぞ」
「ソーデスネ、これからもよろしくお願いします」
「たりめえだろ」

チョコに罪はないといえ、今日、この日、女からあげるチョコには少なからず意味がある。受け取らないでほしい、とは言わないけれど最終的に私を選んでくれたのにも意味がないなんて思ってない。
勘違いは一波乱も呼んだけれど、バレンタインが愛を確かめる日だとしたら。十分すぎるほどに確認できた今日からは、自信を持って好きでいたい。好きな人を好きでいられる、これほどまでに幸せなことなんて、絶対にない。

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