みょうじなまえ独身、会社員。趣味はドラマを見ること。続々と結婚相手や恋人を捕まえ女盛りを満喫する友人達に出遅れ彼氏いない歴を絶賛更新中。友人達が遊んでくれなくなったことも相俟って外食の機会が減り、料理の腕だけが上がっている。どこに嫁に出されても恥ずかしくないけれど如何せん相手がいないことが悔やまれる。

今日も今日とて録り溜めしていたドラマを見終え、その余韻を引きずりながら夕飯の買い出しへ赴く。今日は里芋の煮転がしの予定である。
先程まで見ていたドラマは恋愛もので、年下の男の子に翻弄される会社員の葛藤を描いたストーリーだった。そんな男の子が身近にいないことを除けばまさに同じ境遇、だけど現実はそう甘くはないことを私も知っている。例えば年下の男の子に言い寄られたとしても、私なら彼にそれは気の迷いだと諭すだろう。ドラマだからうまくいっているけれど、どうせ最後にボロ雑巾のように捨てられるのはこちらなのだから。それをわかっているからこそドラマはドラマだと割り切って見ることができるのかもしれない。

大体社会人になれば学生と違って出会いの場は限られてくる。仕事が絡む人との出会いなんてうまくいっている間はいいけれど駄目になったらその後は気まずい思いをしていかなくてはいけないのだからそこはハナから捨てているしましてや年下の男の子なんて出会いようがない。身近にいるとすれば隣の部屋に住んでいる爽やかな好青年くらいだけれど、屈託なくキラッキラの笑顔を私のようなくたびれた大人にも向ける彼は同じくらいキラキラの女の子と恋をするだろうし見込みはないだろう。
このままで、今のままでいいのか私。そうは思うけれどどう動いていいのかもわからない。大人になるということはそれだけ慎重になるということで、婚活サイトを覗いてはあと一歩を踏み出すこともできず地団駄を踏む毎日である。

あれこれ考え込んでいるうちに買い物籠は満杯になり、自転車で来たことがなによりもの救いであった。駐輪場から部屋までは結構遠い。醤油や牛乳で重さを増すエコバッグ二つをえっちらおっちら運んでいると、反対の方から隣人が歩いてくるのが見えた。私を見るなりパアッと表情を明るめて挨拶してくる。本当にいい子だ。

「今帰り?」
「はい、なまえさんもですか?」

そのまま二人並んで歩く。向かうところは壁一枚隔てて同じ場所なのだから当たり前と言えば当たり前だけれど。人懐こい笑顔で「重そうですね、持ちますよ」と提案してくる隣人もとい菅原くんは私には少々眩しすぎる。

「いいよ悪いし、私も年だから鍛えないといけないから甘やかしちゃ駄目だよ」
「年って。なまえさんまだ若いじゃないですか」

苦笑いを浮かべながら真っ直ぐすぎる言葉をくれる菅原くん。てんでどうしていいかわからない。謙遜するのも鬱陶しいだろうし、かといって肯定するにはとてもじゃないけど若いとは言えない。それは日々衰えを感じる自分が一番わかっていることだ。なにも言えずにいる私の手から一つだけそっと荷物を奪うと、菅原くんはそのまま歩き出した。ここで意地を張って荷物を奪い返すのも大人気ないのでありがたく一つ持ってもらうことにする。

「ありがとう、助かったよ」

他愛のない雑談をしているうちに部屋まであっという間に着いてしまった。

「元運動部なんでこれくらい大丈夫ですよ」

先に鍵開けていいですよ、ともたつく私を嫌な顔一つせず待って、またしても笑顔で荷物を差し出してくる菅原くんは本当によくできたいい子だ。育ちのよさが顔立ちや言動に表れている。かといって世間からずれている感じもない今時の男の子。お礼として夕飯に誘うと何度か押し問答したものの最終的には折れてくれた。

とはいえ。

いざ家へ招き入れ居間で待っていてもらう間、台所から菅原くんの様子を覗き見る。所在なさげに、だけど努めて居心地悪さをあからさまに出さないよう行儀よく腰を落ち着かせている。強引だっただろうかと今更失態に気づいたところでもう遅い。居心地悪いなら帰っていいよなんてどの口が言えるというのか。菅原くんごめんね、と心の中で何度も謝りながらさっさと作り上げ、皿を彩っていく。伊達に料理だけはしてきてよかったと心底思った。まさかの最短時間でサラダや味噌汁まで作り上げてしまった。味見はほとんどしていないけれど自分の腕を信じることにする。においに釣られて菅原くんの真ん丸の目がこちらを振り返った。

「もうできたんですか?」

驚いている菅原くんに頷くと感心したように声を漏らした。学生で一人暮しの菅原くんには時折お裾分けと称して料理を食べてもらっている。ありがたく思ってくれているらしい菅原くんには申し訳ないけれど、誰かに自分の作ったものを食べてもらうのはそれだけで孤独感を紛らすことができるのでほとんど自己満足である。だけどこうして目の前で食べてもらうのは初めてのため少し緊張する。いつも「美味しかったです」とキラキラの笑顔を向けてタッパーを洗って返してくれる菅原くんも、実は隣人のお節介を迷惑に思っていたりして、なんて思う。大人は慎重で、そして卑屈になっていく。だけど。

さすがはまだ二十歳そこそこの男子、普段会社の飲み会などで私と同じように疲れた大人の男性とご飯を共にすることはあっても若さ故のその食べっぷりにほっとする。かといってがっつくわけでもなく箸の使い方一つとっても品のよい菅原くんに思わず笑みが漏れるほどだ。

「なまえさん料理ほんとお上手ですね」

どうもお世辞に聞こえないほど純粋な笑顔で言われたのであまりの眩しさに目眩がしそうになる。宮城の田舎の方で育ったらしい彼は、のびのびと健やかに品よく育てられたのだろう。こんなに長い時間を一緒にいるのは初めてのことだけれど、都会に疲れきった擦れた大人が情けなくなってくる。褒め言葉を謙遜しつつそんなことを思っていると、菅原くんはキラキラの笑顔でまたしてもとんでもないことを悪びれもなく言い放つ。

「なまえさんにすっかり胃袋掴まれてますよ俺」

思わず呆けたまま菅原くんを眺めていると、私の視線に気づいたのか「あ!すみません、まだ学生の俺にこんなこと言われても困りますよね」と頬を赤く染めた。そのまま訪れた気まずい沈黙。気まずくなればなるほど真実味を増してくるその言葉に返す言葉が見当たらない。

前略、故郷の母上様。ドラマの中だけだと思っていた現実は意外と身近にあったかもしれません。

いざ現実になってみれば気の迷いだと諭す余裕もない。胃袋を掴まれたと言う菅原くんと、とっくにその笑顔に心臓を鷲掴みされている私のどちらが先に折れるのか、結末はまだ見えそうにない。

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