カツカツと鳴るヒールの音が響いている住宅街。本当は慣れないけれど少しでも大人に見せたくて、思いきって9センチのピンヒールを買ってみた。それでも隣の京治くんにはまだ遠い。

付き合い始めて三ヶ月が経つ。記念日はバレー部の合宿があったから会えなかったけれど、こうしてどこかできちんと折り合いをつけてくれるから今の今まで喧嘩もしたことがないし京治くんに対して不満を感じたことも一度もない。自分の彼氏だからという贔屓目を除いたとしても京治くんは完璧な彼氏だと思う。だからこそだ。
中学時代バスケ部に所属していた私とバレー部に所属していた京治くんは、同じ体育館で部活をしていたので顔見知りではあった。だからといって仲が良いわけでもなく話したこともない。そして私は中学を卒業して、その後一年遅れて京治くんは梟谷に入学してきた。「あーあのバレー部の子梟谷に来たんだ」と認識したのも随分あとになってからのことだ。

その彼からまさか「付き合ってください」と言われる日が来るとは夢にも思わなかった。同じクラスでバレー部のマネージャーをしている友人を通して少し話すようになった程度、「中学同じだよね」と話しかけたときも表情は一切変えずにただ頷いた彼。あのときと同じくらい表情を変えずに好きだと言われて自分の耳を疑った。

なんで私なんだろう。疑問は後から後から沸いてくる。自分で言って悲しいくらい器量もよくないし、バスケのセンスもなかったから高校ではやめてしまった。頭がよいわけでもおしゃれなわけでも人付き合いが上手なわけでもないのに、どうして完璧な京治くんは私なんかがいいんだろう。聞けやしないからこそ疑問は払拭されずにそのまましこりとして残る。そうして少しでも彼に釣り合うように、年上として京治くんに幻滅されないようにしている。

京治くんは口数が多い方ではなくて、私もそんなにお喋りがうまい方ではないから自然と沈黙が多くなる。なにか話題を振らなきゃと思って話すと京治くんは無理しなくていいと言うけれど。焦っているのが全て伝わってしまっている気がして余計に虚しくなるのを京治くんはきっと知らない。

そんなことをひっそり思った罰が当たったのかもしれない。私には勿体ないくらいの彼氏がいるくせに、こんな贅沢な我儘を思った罰だ。ぼうっとしていたため側溝に気づかずヒールが嵌まってしまった。ぎょっとして見下ろしつつ何事もなかったように歩き出すと、京治くんが突然手を繋いできた。びくりと肩を揺らしたのが伝わったのか、涼しい顔をしながら京治くんは紡ぐ。

「危なっかしいと思ってたんですよ、それ」

私が先程見下ろしたものを、ちらりと見下ろしてすぐ逸らす。手を繋いでいる緊張より、なんだかそれがすごく苦しかった。

少しでも大人に見せたくてはいてきたのに、結局心配されているようじゃなんの意味もない。これじゃどっちが年上なんだかわかったもんじゃない。なんだかとても虚しくなってきた。
こうやって少しずつ、少しずつ幻滅されていくのかもしれない。不満なんか一つもない、代わりに不安ならいくらでもあった。少しずつ積もった不安が堰を切る。折角繋がれた手を振りきると、いつも表情を変えない京治くんが目を丸くした。

「大丈夫、歩けるから」

ただの照れ隠しじゃないことくらい、京治くんに隠し通せるとは思っていないけれど殆ど反射的なものだった。嫌だったわけではなくて悔しかっただけ。いつでも年下の京治くんの方が余裕で、私はいつでも彼の一挙一動に左右されている。
好きだと言ってくれた人の期待に答えたい、それだけのことができない自分が情けなくて嫌になる。
いつもより居心地の悪い、気まずい沈黙が訪れる。久しぶりに会えたのに、こんな態度を取られて嫌な気分にさせたかもしれない。うまく振る舞えない自分に心底嫌気が差した。
倦怠期は三ヶ月でやって来ると言う。それを乗り越えられなくて別れる高校生カップルなんて珍しいわけじゃない。だけどその現実が見え隠れすると途端に焦る。不安だけど別れたいわけじゃない。
さっきの態度をどう謝ろう。彼はきっと理由を聞いてくる。情けない理由をそのまま吐露するべきか悩んでいると、隣から小さな溜め息が聞こえてきた。

「ほんと意地っ張りですよね」

呆れた目で見下ろされて、咄嗟に言葉が出なくて黙りこくる。ここで謝っておけばいいものを、こんな呆れた目をされたのは初めてで本格的に悲しくなってきた。振られるのも時間の問題だ。そう思った。なのに。

「そういうところ嫌いじゃないですけどいい加減もっと楽しそうにしてくれません?」

むにっ、と長い指で頬をつままれたのもあって驚きでなにも言えない。有無を言わせない強引な態度に面食らっていると、少しだけいじけたような声が聞こえてくる。

「なまえさん俺といるときいつも顔強張ってます」

ぎょっとして見上げるも、京治くんはこちらを向いてくれないので表情が読み取れない。ただでさえいつも顔色を変えないからなにを考えているか掴みきれないのに、こういうとき本当に困る。だけどその声で、なんとなく伝わってきた。

私がいつも不安なように、同じくらいの不安を京治くんにも強いていたのかもしれない。私がもっと肩肘張らずに素直になっていたら、こんな気持ちを味あわせなくてもいいし私だってもっと楽なはず。振られるだなんて一瞬でも思った自分が情けない。好きだって言ってくれたのは彼なのに、なんでもっと信用しない。
すうっと肩の荷が降りていく。相変わらずいじけているような京治くんの手のひらに自分から指を絡ませると、少し驚いたようだったけれど私の倍の力で握り返された。
なにも言えやしないし、顔を上げることさえままならないけれど今はこれで許して欲しい。

三ヶ月の倦怠期とは言うけれど、一歩踏み出すための期間なのだと思えばなんてことないと思った。

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