「黒尾ってかわいいよね」

バスケットボールが体育館の床に跳ね返る音を聞きながら外へと続く扉を開け放ち、校庭でサッカーボールを追い掛ける長身を目で追う。体育館と校庭までは結構距離があるけれど、太陽に向かって伸びているのではないかと錯覚するほど逆立った髪型の男はそれはそれは目立っていた。

「かっこいいの間違いじゃなくて?」

外に出たがっている犬のように校庭を眺め続ける私に怪訝な視線を寄越しながら友人は言った。

「間違ってない。超かわいい。朝練あるのに毎朝早起きして髪逆立ててんのかなって思うと超萌えない?」
「あ、あれ寝癖らしいよ」
「うわやばいそれめっちゃかわいい」

毎朝毎朝がんばってセットしているのだろうかと思っていたけれど、なるほどあれは寝癖か。起きたままの状態で学校に来るなんてそれはそれでかわいい。社会人になったら許されないし、学生である今のうちに黒尾の寝癖を拝んでおこうと凝視する。

「ていうか寝癖気にしてるらしいからあんま弄んない方いいよ、黒尾怒るかも」
「気にしてるの!?あーもうだめだ、黒尾がかわいすぎて息止まる」

のたうち回る私と冷ややかな視線を浴びせてくる友人を見かねて、体育教師の怒声が飛んでくる。断じてサボっているわけではない。他のチームが試合をしている間、審判にも選ばれなかったためこうして見学しているだけである。男子のサッカーを。五組と合同での体育は週に一度しかないのだから、この目に焼き付けておかねばならぬと目を皿のようにして眺め続けた。視力2.0を誇る自分の両目を褒め称えたい。

「ていうかなんでそんな黒尾のこと詳しいの?実は黒尾のことかわいいと思ってるでしょ?」
「なわけないでしょ。一年のとき同じクラスだっただけ」

黒尾と同じクラスか。私はとうとう黒尾と三年間同じクラスになることはなかった。といっても黒尾のかわいさに気がついたのが最近なので、何故もっと早くにマークしておかなかったのだとそれだけが悔やまれる。一、二年のときの黒尾も大層かわいらしかったに違いない。一年のときの黒尾を知っているという友人が心底羨ましく思った。

「あとなんかないの、黒尾のかわいい話」
「ないよそんなの。ていうかあいつ秋刀魚の塩焼きが好きとかそんなレベルだよ、かわいい要素一個もないでしょ」
「秋刀魚!あーもう無理どんだけかわいいの黒尾、目の前で秋刀魚焼きたい」

かわいいが基準値を越えた途端、その人にはかわいい補正がつきまとってくるのでなにをやってもかわいく思えてくるのはなにも女子だけに限らない。盲目フィルターとはよく言うけれどきっと今がその状態なのだと思う。

「ていうか夜久とか、それこそ黒尾の幼馴染みの一個下の子の方がかわいくない?」
「なにそれ、黒尾に一個下の幼馴染みいるなんて知らないし、ていうか黒尾に一個下の幼馴染みがいる時点でもうかわいい」
「あーもうやだあんた話通じない」

呆れ返る友人を尻目に、サッカーではしゃぐ男子高校生黒尾の姿を目に焼き付ける。クールを気取っているけれどどことなく楽しんでいるのが隠しきれていなくて、相手を出し抜いては不敵な笑みを浮かべている。あんなにはしゃぐ黒尾が見られるならいっそ私もサッカーボールになって蹴られてしまいたいと思うほど、今の彼は輝いている。

男子バレー部の主将であの顔立ちとあの体格、そしてあの髪型。最初は黒尾を怖い人だと思っていた。その黒尾のかわいさに気がついたのはつい最近のこと、コンビニの前でたむろうバレー部を見かけたときのことだった。部活帰りであっただろうそのとき、みんなが炭水化物を摂る中、あの黒尾が手にしていたのはまさかのアイスクリーム、驚きを隠せなかった。思わず二度見したほどである。以来、黒尾を見る度にあの光景がフラッシュバックしては私の視界を覆っていく盲目フィルター。もう黒尾がかわいい男の子にしか見えなくなったのである。

そして今現在、放課後。
前方に黒尾を発見する。珍しく一人だ。今日は追試があったので放課後は潰れたけれど、こうして黒尾と遭遇することができたのでよしとする。あーあの後頭部かわいいな撫で回したいな、と衝動に駆られながら堪え忍ぶ。生殺しもいいところだと、かわいいが服を着て歩いている黒尾を恨めしく見つめていると、その視線が突き刺さったのか突然黒尾が振り向いた。いつもの眠そうな目がかわいい。そんな気楽なことを考えていたけれど、その目は真っ直ぐに私を見つめていて思わず固まる。私の後ろに実は黒尾の友人でもいるのだろうかと振り向いてみたけれど、だだっ広い廊下には私と黒尾の二人きりだけだった。

「おい、目逸らすな」
「え?私?」
「他に誰もいねえだろ」

やばい、黒尾と喋っちゃった。喋ると全然かわいくない、寧ろ不愉快さを全面に出してくる視線は恐ろしいことこの上ない。

「最近人のことかわいいとか変な風に言ってんのお前だろ」
「知りません全然人違いです」
「しらばっくれんのか?いい度胸じゃねえか」

なにを考えているかわからない無表情で黒尾は距離を詰めてくる。目の前まで来ると、途端に黒尾がかわいいなんて言えなくなる。身長も相俟ってか目の前の黒尾からは威圧感しか感じない。

「二組のみょうじなまえだろ」

なるほどそこまで調べがついているのか、情報源はどこですか。聞こうにも聞ける雰囲気ではない。蛇に睨まれた蛙の気持ちを味わいながら、年頃の男子をかわいいと言ったバチが当たったのだと状況を受け入れた。

「あのな、女にかわいいとか言われても嬉しくねえんだよ」
「ごめんなさい遠くから見たらかわいかったんです」
「近くで見たらなんだよ」

すみません怖いです、なんて言えるはずもなく押し黙る。ここで胡麻でも擂ってかっこいいですね、なんて言えたら気をよくしてこの状況から解放されるかもしれないのにここに来て正直者が祟った。私は随分世渡りが下手くそらしい。
質問されているのだからなにか言わなくてはと思えば思うほど言葉が出てこない。私の答えを待っていた黒尾が、やがて鼻で笑ったのがわかった。

「てかなにお前、俺のこと好きなの?」
「は!?」
「は?違うのか」

その態度だけ見ると冗談っぽいのに、笑っているのに目が笑っていない。なんかこの人話してみるとわかりづらいな、と失礼なことをひっそり思ったのを察したのか黒尾は続ける。

「俺のこと好きっつったら黙って見過ごしてやったのにお前バカだな」

なに言ってんのこの人、そう思うのに嫌な笑みを貼り付けた黒尾の態度に少しだけ胸がざわつく。

「……ほんとに好きって言ったら帰ってもいいの?」
「さあな。お前次第」

なんだそれ。結局私の態度次第でどうにでもなるのか。ていうかそれって黒尾の気分次第の間違いでは。
どう言ったら黒尾の気に障らないだろうか頭を悩ませる。真剣に言った方がいいのだろうけど変な空気になることは間違いない。だからといって「黒尾?好き好き〜」なんて適当に言える空気でもない。さてどうしたものか。真剣に考え込んでいるとやがて黒尾が口元に手を当てて俯き出した。何事かと顔を上げると、肩を震わせている。

「どうしたの黒尾!具合悪い?保健室行く?さすがに担げないけど肩なら貸すよ!?」
「んなわけねえだろ、お前ほんとバカだな」

そのうちゲラゲラと腹を抱えて笑い出した黒尾に、さっきのは笑いを堪えていたのだと知る。意味がわからなくて困惑していると、笑いすぎて目尻に涙を浮かべた黒尾が口を開いた。

「真に受けてんのかよ。冗談に決まってんだろ」
「はあー?冗談言っていい空気じゃなかったよね!?なんなのほんと」
「お前の方がなんなんだよ」

かわいいと思っていた黒尾だけれど、話してみるとかわいくないことを知った。それでも前より黒尾のことを知った。意外と厄介な人だけれど、これを機に黒尾が話しかけてくるようになったのはまた別の話である。

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