大地の陽番外編 | ナノ
(あ、あの子は‥‥‥)
窓越しにチラッとみた少女に引っ掛かり、詩紋―――流山詩紋はブレーキを踏んだ。
赤いポルシェを路肩に止めて、運転席から滑るように降りた。
「あ、いけない、鍵‥‥‥」
キーを抜く。
眼についた小さな古いキーホルダーに一瞬だけ捕われ‥‥‥そうだった、と目的を思い出して走った。
遠い空の、下で
駅前の噴水。
縁に腰掛けて、少女はいた。
五年も経てば子供だったあの娘も、今は‥‥‥。
と、時々思い返しては胸を痛めた。
詩紋にとって、忘れられない少女がそこにいた。
「ゆきちゃん!!」
あまりにも急に声を掛けたものだから、少女はびっくりしたのだろう。
キョロキョロと辺りを見回して、首を傾げた。
その仕草はまるで「え?ゆきちゃんって私?」と言わんばかりに。
(そっくりだね)
懐かしい面影を重ねて、詩紋はそっと笑む。
やがて、自分を見つけた少女が眼を見張り‥‥‥
ばぁっと、顔を綻ばせた。
母親そっくりな笑顔。
「うそ‥‥‥詩紋くんっ!?」
最後に会った頃より柔らかく、子供から大人への過渡期に当たる年頃独特の、弾む声。
面立ちはそのままで、随分大人びて。
それでも「詩紋くん」と、あの頃のままに呼び掛ける。
「良かった。君じゃないかと思ったんだ」
「うわあっ詩紋くんだ!凄い!」
嬉しそうにキラキラ表情を光らせて、立ち上がる安倍ゆき‥‥‥いや、今は元宮ゆきは、母親のあかねによく似ていた。
幾分幼いものの、この笑顔はそっくり。
「誰かと待ち合わせだった?ごめんね」
「ううん、違うの」
小さく首を振るゆきの顔がほんの一瞬だけ、小さく歪んだのを見逃さなかった。
「‥‥‥‥‥‥僕は今暇なんだけど。ゆきちゃんさえ良ければケーキ食べに行こうよ」
「うん!」
その心底ホッとしたような笑顔を見て、胸を痛める事もあるなんて。
詩紋は今まで思いもしなかった。
「え?そうなんだ!もう高校生なんだね!随分綺麗になったと思ったんだ」
「ほんとかなあ?だって詩紋くん、私だってすぐに分かったんでしょ?」
「それは、あかねちゃんにそっくりだったから」
「あ、そうか」
ふふっと笑いながら、ゆきは二つ目のケーキに手を伸ばした。
詩紋がお勧めのケーキ屋は、ゆきは来た事がなくて、モノトーンを基調としたシンプルな造りの店だった。
「ん〜っおいしい!」
「良かった。ゆきちゃんは昔からタルトが好きだったもんね」
「うん。でも、詩紋くんが作ってくれたタルトが一番好きなんだよ?」
今でも。
と小さく呟き、ゆきは頬杖をつきながら‥‥‥窓の外を見た。
すっと眼が細くなり、愁いを帯びる。
(この顔は泰明さんだ)
彼女は紛れもなく、泰明とあかねの娘だと、詩紋は切ない思いで納得した。
「詩紋くんの番組、毎週見てるよ。お陰でお菓子作りが得意になったの」
「そうなんだ。それは嬉しいな。ゆきちゃんが見てくれてるなら僕、また頑張るね」
「詩紋くんがテレビで教えてくれるお菓子は、いつも誰がやっても上手に作れるんだよ。相変わらず教え方が上手いね」
ゆきの一言に、互いに沈黙が降りた。
カランと、飲みかけのアイスティーの氷が溶けて音を立てる。
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