大地の陽番外編 | ナノ
嫌な予感がする。
弁慶は目の前の、小さな存在に危機感を覚えた。
この存在が見つかってしまえば、彼女はきっと虜になってしまう。
「そうなる前に、追い出しましょうか」
弁慶の視線の先で、じっとりと冷や汗をかいているのは
「おはようございます‥‥‥あれ?‥‥弁慶さん、何を睨み付けて‥‥‥‥‥‥‥‥って可愛い猫ちゃんだあっ!!」
一匹の愛らしい子猫だった。
嫉妬心
久し振りに晴れた空の下、
梶原邸の庭には、水気を含んだ新緑の薫りが燻る。
ゆきの視界に飛び込むは主に葉色。
そして目の前の人物が纏う、黒い外套。
「ゆき、おはようございます。今日は早起きですね」
よりにもよって、一番来て欲しくない人物が来るとは。
弁慶は舌打ちしたいのをぐっと堪えて、笑顔で挨拶した。
望美や譲なら簡単に騙されてくれるだろう、優雅な微笑。
だが三年近く、殆ど毎日共にいるゆきには通じない。
「あ、怖い笑顔になってる」
ぷっと吹き出しながら、ゆきは弁慶に近付いた。
‥‥否、弁慶の脇を通り抜けて庭に下りた。
瞬間、ふわりと霞める春の花の香に、弁慶は瞠目する。
知らず伸ばしかけた手は空で拳を握り、降ろされた事を、目の前の少女は気付かないだろう。
「うわあっ!めっちゃ可愛い〜っ!!どうしたの?迷子?」
「ゆき、待っ‥‥」
待ってと言おうとし時にはもう、ゆきは子猫を抱き上げていた。
「弁慶さん!こんな可愛い猫ちゃんを苛めちゃ駄目ですよ!ね?」
「ゆき、その猫をどうするんですか?」
弁慶の問いも聞こえていない。
「よしよし、怖かったよね?もう大丈夫だからねっ。このゆき様が、怖〜いほっかむりから守ってあげますからね〜!‥‥‥‥‥‥あ」
子猫を撫でる手をぴたりと止めて、ぎこちなく振り向いたゆき。
(いい度胸をしてますね)
普段から思う言葉でなきゃ、こんな時にさらっと出る筈はない。
「では、僕も君を、怖〜いほっかむりから守ってあげましょうか?」
本日最初の『外見菩薩の暗黒すまいる(命名:ゆき)』を発動させた。
「あはははは‥‥‥だ、大丈夫ですよ‥‥」
「まぁそう言わずに」
「‥‥‥の、望美ちゃんと九郎ちゃまにも見せてこようっと!」
捕まえようとする弁慶の手をすり抜けて、ゆきが邸の中へと消えて行く。
子猫と共に。
(‥‥‥‥‥)
いつもそうだ。
彼女は弁慶の手をすり抜けて行ってしまう。
幾つもの苦難を乗り超えて、やっと手に入れた恋人なのに。
すぐ側にいるのに
思い通りにならぬ、夢幻花のような彼女。
‥‥‥取り敢えず、『その子猫は』とか『密着し過ぎだ』とか、言いたい事は山程あるけど。
その前に。
「九郎ちゃま‥‥‥ですか」
今を時めく源氏の総大将を「ちゃま」付けするゆきの慌て様に、弁慶は笑った。
「‥‥‥仕方ないか」
早くゆきと猫を引き離さないと。
独占欲だと笑いたければ、笑えばいい。
開き直って、弁慶は足速にゆきを追った。
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