大地の陽番外編 | ナノ
「弁慶さん見て!」
「ええ、見てますよ」
「‥‥‥いや、私じゃなくて花ですよ?」
「ええ。ですから花を見ています」
‥‥‥と涼やかに言っているのに、弁慶はさっきから花など見ていない。
「‥‥‥あ、もしかして『君という花を見ているんですよ』とか言う気なんでしょ?」
横目でチラッと見上げ、自分の真似をするゆきに先手を打たれ、弁慶は苦笑するしかなかった。
「真実だから仕方ないでしょう。君より綺麗な花を、僕は知らないんだから」
「‥‥‥もう!いっつもそうなんだから」
真っ赤になって照れる、と予想していた弁慶。
けれどゆきが、ふいと顔を背けたのを見て、おや、と訝しんだ。
いつもなら、ここで恥ずかしそうに俯くのに。
何かあったのだろうか?
ゆきの様子を横目で伺いながら弁慶は疑問を浮かべた。
ここ数日、ゆきに何処となく覇気がない。
だからと言うか、最近薬師の仕事が忙しくあまり構ってやれない償いもあって、今日は休みを取ったのだ。
新婚なのに、夜遅くならないと帰れない事も度々ある。
休日でも急な患者が出れば、放ってはおけない。
ゆきもその辺はよく分かっていてくれるから、いつも笑顔で送り出してくれた。
ゆきの優しさにすっかり甘えていたのかも知れない。
と、流石に反省しての今日の外出だったのだが。
「この先に、君に見せたいものがあるんですが、いいと言うまで眼を瞑ってくれませんか?」
「はい」
素直に眼を閉じるゆきの唇を塞ぎたい衝動を押さえる。
代わりにその身体を抱き上げれば、一瞬、びくっと収縮した。
「‥‥‥わあっ!」
「しっかり捕まって下さい」
「‥‥‥私、重たいですよ」
「そんなことありませんよ。僕の大切な君が、重い訳がない」
「‥‥‥でも」
「それに、僕の腕は君を守る為にある、と以前誓ったでしょう?」
抱き上げたまま歩く。
伏せた顔から表情を窺い知る事は叶わない。
けれども、首にしがみつく腕に力が籠った。
「‥‥‥もういいでしょう。眼を開けて下さい」
腕からそっとゆきを降ろして立ち上がらせ、弁慶は言った。
ぎゅっと瞑っていた眼を急に開けたから、溢れる光に くらっと目眩がした。
何度か眼をしばたかせて外の光に慣らす。
そして再び辺りを見て‥‥‥‥‥‥今度は絶句する。
「ここは昔から時々薬草を摘みに来ていた場所なんです。春には花がとても綺麗だったから、君にも見せたくて」
「綺麗‥‥‥」
そこは一面の春の花。
こんなに綺麗な花景色を、ゆきは他に知らなかった。
「‥‥‥‥‥‥天国みたい」
「ふふっ。そうですねと言いたい所だけど、まだ天国に行くには早いですよ」
弁慶は笑いながら屈むと、足元の花を一輪だけ摘んで立ち上がった。
ゆきの正面に回り、花を髪に挿す。
ありがとうと小さく笑うと、ゆきは意を決したように顔を上げた。
「‥‥‥弁慶さん。私といて幸せですか?」
「幸せです」
間髪入れずに答える。
「‥‥‥‥‥‥私、弁慶さんの側にいられるのに、何にも出来ないのに」
「それは」
「だって弁慶さんが疲れているのに、こうして私を気遣ってくれるじゃないですか。今朝だって結局ご飯を作ってくれたし、私は役に立てていないなあって‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥ずっとそんな事を考えていたんですか?」
こくん、と頷く。
緩む頬。
不謹慎だと思いながらも弁慶は、それを押さえる事が出来なかった。
何があっても、浮かべる表情ですら計算出来た、この自分が。
「‥‥‥僕の方こそ、あまり君の側にいてあげられないから、悲しませているのかと思っていましたが」
「そんなことない!私は幸せです!!だからこそ!!」
ゆきが顔を上げると、視線が重なった。
「私は、弁慶さんをもっと幸せにしたい」
「ゆき」
溢れそうなものを込めて名を呼ぶ自らの声が掠れている。
腕に閉じ込めたゆきが、小さく呼ぶ自分の名も。
「これ以上僕を幸せにする気なんですか、ゆきは」
「‥‥‥まだ何もしてないのに」
栗色の髪に頬を寄せ、弁慶は眼を閉じた。
さらさらと流れる髪は肌に優しく触れる。
ゆき自身の優しさのように。
「‥‥‥‥‥これ以上幸せになれば、僕は死ぬかもしれないのに?」
「ええっ!?」
死ぬ、と言う単語にゆきは弾けるように顔を上げた。
すかさず口接けると赤くなる頬。
また唇を寄せる。
「君が僕を見て笑ってくれる。それがどんなに幸せな事か、君に伝えてなかったのは僕の失態です」
一度は諦めかけた最愛の存在を、こうして腕に抱ける。
それがどれ程の幸福かを。
「君が僕の腕の中にいると思うだけで、僕は何でも出来る程幸せなのに」
「‥‥‥大袈裟ですよ、それ」
「心外だな。大袈裟ではありませんよ。それに今朝の事は、僕が君を酷使したからじゃないですか」
「うっ‥‥‥そうだけど」
口ごもってから、ゆきは恥ずかしそうに笑った。
今、ここに彼女がいる事が奇跡のようなのに。
「愛する君を手に入れた僕は、世界一幸せなんです」
「‥‥‥はい、私も。あ、愛する弁慶さんの側にいられて、幸せです」
笑顔でゆきは、弁慶に抱き付いた。
強く抱き返す。
‥‥‥ここで押し倒したらゆきはどうするのだろうか。
ふと過ぎった思考に気付かれないように、最初は優しく口接けた。
徐々に深く、奪うようなそれに変えてゆく。
そこから先は、二人だけの甘い秘密。
春の陽射しの下の昼下がりの出来事。
前
戻る