おにになる

 その山には鬼がでると云う。鬼は大層美しい姿をしており、人を惑わし喰らう。多くの人がその鬼に喰われているらしい。
 そんな話を思い出しくだらないと思いながら福沢は山道を歩く。真っ直ぐに歩いていく。鬼などと馬鹿げた話だと心のなか毒づく。どうせ山の中で迷い帰らぬ人となったものが多いために作られたものだろう。考え深いため息を吐きそうになった。人は何でもかんでも鬼や何かのせいにしたがる。それが何を傷つけどんな結果を招くかも知らずに。
 人とは愚かな生き物である。それでも福沢がこの山にわざわざきたのは、もし万が一噂が本当であったならば、やるべきことがあるからだ。だが徒労で終わりそうだった。早々に帰ろうと歩く足が速くなる。日がくれた時刻さっさと山を降りようとする。そんな福沢に声がかけられた。
「ねえ、お兄さん」
 聞こえてきたのは涼やかな声。甘く空気にちりんちりんと鳴り響くような可愛らしい声。福沢はぎょっとして声が聞こえてきた方を見た。愛らしい子供がそこにはいた。褪赭色がきらきらと輝きにっこりと細められる。
「こんな時間にどうしたの? もうすぐ日が暮れちゃうよ。
日が暮れたらね、鬼や獣に食べられちゃうんだ。ねえ、僕の家においでよ。そこなら安全だから」
 ふわふわと髪が揺れる。にこにこと笑む笑みは子供らしく愛らしい。だが福沢の背には何故かおぞけが走っていた。体中の毛が逆立ち鳥肌が立つ。
 いや、いいと福沢は言葉にした。そんなことは云わずにと子供が笑う。ねえと呼び掛ける子供のなんと美しく可憐なことか。
 
 鬼は大層美しい姿をしている。
 思い出した一文。まさかと福沢は思い子供を見つめる。ねえ、おいでよと子供が手を差し出す。その白く細い手。呼び掛ける声もすべてが美しい。
 ああ、分かったと福沢は口にした。
 
● 

 子供が案内したのは小さな小屋であった。隅にぽんと置かれた布団代わりと思わしき藁しかないような小さく殺風景な小屋。
「ここでお前は暮らしているのか」
「そうだよ。ここが僕の家なの」
 福沢が聞くのに子供はあっさりと答えた。
「親は?」
「いないよ」
「食べ物はどうしている」
「この辺に茸とか沢山はえてる。あ、でもお兄さんはあんまり食べない方がいいよ。たまに意識なくしちゃうときあるから」
「それならばお前も食べない方がいいのではないか」
「僕は平気。何にもないけど寛いでいてね」
 子供が美しく笑う。口許をつり上げたそれは、何処か恐ろしげでありながらも魅入ってしまう魅惑の笑みであった。
「美味しい!! 良いのお兄さん。こんなに美味しいの僕が食べても」
「ああ、泊めてもらう礼だ。たんと食べろ」
「ありがとう!」
 泊めてもらう礼として福沢は自分が持っていたお握りを子供に渡した。自分用の夕食であったのだが福沢なら一日食べなくとも平気であるし、見て分かるほど痩せている子供に食べさせてやろうと思った。子供はぱくぱくと与えたものを食べる。何度も美味しいを繰り返して幸せそうな笑顔を振り撒いた。
「あ、そうだ」
 食べながら子供が声をあげる。
「お兄さんは今日はその藁で寝てね」
「お前はどこで眠る」
「心配してくれなくとも大丈夫だよ。僕のところはお客さんがよく来るからね。床に座っても眠れるんだ」
「成長によくない。私は床でいい」
「大丈夫だよ。明日には山降りるんでしょ。ちゃんと休ませておかないと駄目だよ。お兄さん。何せこの山は怖い狼や鬼がいるからね」
 子供が念を押すようににこっと笑った。その含みのある笑みに何かを感じながらそうかと福沢は答えた。
 その日の夜、福沢は自分の上で動く何かの気配に目を開けた。それは子供であった。子供が福沢の上でまたあの美しい笑みを見せた。
「あ、起きちゃった。早いな。でもいいや。ねえ、お兄さん。
 僕と気持ちいいことしよう」
 着物をはだけさせた子供が福沢の上にのし掛かる。しなを作り、薄く開いた口元から赤い舌が誘うように蠢く。
 子供の小さく細い指先が福沢の上を這い、そして福沢の下のものに触れようとした。その手を福沢が掴む。
 きょとんとした眼差しで子供が首をかしげ、それからすぐに妖艶な笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。お兄さん。とっても気持ちよくなるだけ。恐いことなんてなにもないよ。ねぇ」
 甘く潜められた声が耳元で囁く。熱が籠った熱い息を吹き掛けて我慢できないというように身動ぐ。ねっとりした舌が福沢の耳を嘗めた。
「ねえ、僕のここにお兄さんのを頂戴」
 身を起こした子供が脚を開き隠された場所を晒す。
「ねえ、熱いのが欲しいの」
 蕩けた目。赤く欲情しきった顔をする子供。
「お兄さん」
 甘く呼ぶ声が熱を煽る。子供の唇が近付いてきた。口付けようと目を閉じる……のが、ばっと見開いた。福沢と子供の間に大きな手が割り込んでいる。福沢の手だ。
「生憎私は子供に欲情するような趣味はない」
 福沢の平坦な声が告げる。きょときょととまばたきをし不思議そうに見つめる目。
「でも、僕、体が熱いの。欲しいなぁ」
 至近距離でまた潤んだ目が問い掛けてくる。はぁと福沢はため息をついた。上に乗る幼い子供の手を掴み抱き寄せる。体を反転させて子供ごと横に転がった。子供の足の間を福沢の手が触れる。
「っぁ」 
 高く甘い声が子供からでた。体を捻って見上げてくる子供の頬は赤く、目には涙が溜まり誘うように微笑んでくる。そんな子供のものに触れた福沢はすぐにその手を離した。今度は横にした子供を自分の方に向け子供の背を優しく叩いていく。
「子供は寝る時間だ」
 えっと声が子供から漏れた。呆然と見上げてくる子供。抜け出そうとするのを抑え込んで福沢は眠りについた。


 朝、福沢が目を覚ますと腕のなかで子供が拗ねたように頬を膨らませていた。むぅと唇を尖らして見上げてくる。
「あんな状態で放置なんて酷いよ。お兄さんなんて狼にでも食われちゃえ」
 子供が云うのを福沢はただ見つめる。
「帰り道なんて教えてやらないんだから」
「ああ、いい」
「え?」
「一人で帰れる」
「一人で……って」
 子供が固まるのに福沢は起きあがり身支度を整える。
 

中略


  
「福沢さん。ただいまーー。見てくださいよ。今日もたくさん貰ってしまいました」
 聞こえた声に福沢は振り返り感嘆の息を洩らす。毎度毎度凄いことだと。
 あれから時は何年も流れ子供は立派な青年へと成長した。美しかった子供は美しいままに成長して今や町で一番の色男。老若男女にすかれ買い物をしに行けば必ず何かしらおまけされ、持っていた硬貨以上のものを持って帰ってくる。今日も二人暮らしだというそれほど貰ってきてどうするのだと云うほどの量を貰ってきていた。
「半分は漬け物や乾物などにして鬼の里にいる乱歩さんに送ったらどうですか。喜びますよ」
 福沢の考えが読めたのだろう。にこにこと笑っていうのに、そんなわけあるかと内心で返す。喜ぶどころか怒る。そうやって送ったものがどれほどあると思っているのか。
「あ、何なら二人で山籠りよろしくこの小屋にこもりますか。これだけの量です。二週間以上はいきますよ」
「ふざけるな。仕事があるだろう」
「はーーい」
 福沢はここだけでなく近隣の村の警備、子供は大きな店の店子をして生計を立てて今は暮らしている。
「まあ、取り敢えず保存食にはするか。腐らせるのも勿体無いしな。手伝ってくれるか」
「はい!」
 拗ねていた子供は突端に笑顔になる。共に厨房にならび調理している間子供は今日あった様々な話を聞かせてくれる。この数年で子供は表情豊かになり、よく話すようになった。まあ、それと同じように隠し事をするのがうまくなり、その気持ちを悟るのが難しくもなったのだけど。
「あ、そうだ。次の週末に神社で祭りがあるんですよ。福沢さんもたまには一緒にいきませんか」
 子供が楽しげに聞いてくるのに福沢は困ったような笑みを浮かべる。
「私は鬼だ。境内には入れないのは知っているだろ」
「知っていますよ。福沢さんはそう云って毎年一緒に行ってくださらないんですから。だから今年は神社の人に福沢さんと来ますねと云っておいたんです。是非来てくださいって神主様云ってくださいましたよ。
 招かれたら鬼でも境内に入れるんですよね」
 子供が笑いながら告げたのにまたお前はと呆れた声が漏れる。是非一緒にいきましょうと子供が云うのに、まあ、いいかと頷きそうになりながらふと福沢は思い出した事があった。
「こう云うのは恋仲のものと云った方がいいのではないか」
「はい?」
 きょとんとした顔をして子供が首をかしげた。何を云われているのか分からないとでも云うような目で福沢を見つめる。その目がとても大きく見開かれていた。
「何のことですか」
 震える声がとうた。聞いたのは間違いだったかと思いながらもそれでも福沢は言葉を続ける。
「噂で聞いたのだが店子の女の子と付き合っているのであろう」
「ああ、なるほど。その話でしたか。その噂なら私も聞いていますよ。でもがせですよ。付き合ってなどいません。その子には悪いですが興味一つ持っていませんよ」
 やや詰まらなそうに子供は話す。機嫌が悪くなった子供にこれ以上何かを云うのは止めておいた方がいいかと考える。だけども子供に問い掛けを続けてしまう。
「とは云え、お前ももう二十を過ぎただろう。もうそろそろそう云う相手の一人でもできたのではないか」
「まさか。いませんよ」
「そうか。早く結婚してお前の子と云うものを見てみたいものだがな」
 福沢の言葉の途中から子供は完全に動きを止めていた。そして呆然と福沢を見つめる。
「本当に気づいてないんですか」
 小さな声が落ちる。子供が薄暗い目で福沢を見るのを見えない振りをしながら言葉を続ける。
「子供の頃のお前はそれはもう愛らしかったからな。お前の子供も美しく愛らしい子になるのだろうな。どんな子に育つか楽しみだ。以外にお前は親馬鹿になったりす
「止めてください」
 語る福沢の言葉を子供の小さな声が止めた。泣き出しそうに拳が震えていた
「本当は気付いているんでしょう。それなのにそんな話しないでください。
 私が貴方を好きだって、ずっと貴方をそう云う目で見ているんだって気付いているんでしょう。なのに何でそんなことを云うんですか。見てみぬふりをし続けるんですか。
 私は、私はずっと……」
 子供の泣き声がした。見つめてくる目は涙こそ流していないものの潤み震えている。福沢はそれを直視することが出来なかった。どうしてと聞かれるのに答えることができない。


 もう何年前の事だろうか。福沢を見つめる子供の目にそれまでとは違うものが混じり始めたのは。熱に浮かされたかのような熱く潤んだ目が福沢を見つめるようになった。よく引っ付いてきたのが引っ付いてこなくなり、だけど時おり物欲しげに眺めてくる。おずおずと触れてくる。悲しそうに福沢を見つめながら、嬉しそうにして、それで苦しそうにする。
 何かを云いたげに福沢を見つめながら結局何も云わずに口を閉ざす。
 気づかないはずがなかった。
 だけど福沢はそれを見てみぬふりをした。福沢が鬼であったからだ。鬼でなければ……。
 初めて優しくしてくれた人だから。ずっと傍にいたから一時の過ちを犯しているだけだと己に云い聞かせた。いつか別の相手のもとに行くはずだと思っていた。
 それがこんな風に直接口にしてくるとは思っていなかった……。





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