40 望む面影

駄目ですよ
 その時、そう言って笑ったのは他の誰のためでもなく、太宰自身の為だった。
 何となくこれは毒になるものだとそう感じ取ったのだ。その考えは間違いではなかったと太宰は思う。
 あれからとても近くでその人の事を見てきた。周りに、そしてその人、太宰の上司である探偵社社長福沢諭吉にも気付かれないように観察してきた。
 強面で外の人には恐れられているものの、その中身は優しく社員には誰より慕われていた。仲間思いで時には本当の家族のように親身になって心配してくれる。厳格であるが、茶目っ気もある。そとに対する目は厳しいものもあるが、うちに向ける目はとても穏やかでその中にはいつだって仲間に対する愛情があった。
 まるで父のような存在。
 福沢に対してそう言った安心感を覚えている者も多くいた。
 太宰だけがそんな温もりから一歩はなれた場所にいた。
 探偵社を一つの家族とするのであれば、太宰だけはそこから外にいる。赤の他人のままであった。
 太宰はそれで良かった。
 何故ならば太宰にはなさねばならぬことがあった。自分の何を犠牲にしてもなしたいことがあった。
 その為に立ち止まることなど出来なかったのだ。
 太宰の足を立ち止まらせる可能性のあるものは全て排除する必要があって、そしてそれが福沢の存在だった。
 ただ一つ、唯一と言える立ち止まらせるかもしれないその可能性がそこに宿っていた。羨ましいと太宰はそう思ってしまったから。
 彼の弟子である国木田が。彼の子供みたいなものである与謝野や乱歩が、心底羨ましいとそう思ってしまったから。
 だから排除してその優しさに触れることなく歩み続けた。
 そうしてなすべき事をすべて成し遂げたのだった。
 その後、何もなくなった世界で太宰は触れてこなかったやさしさがどういうものなのか知りたいと思うようになった。それがどう言うもので、どうしてみんなそれを欲するのか。
 ずっと考えてでは自分はどうなのだろうと太宰は思った。
 どうしてそれを羨ましいと思い、欲しいと感じたのか。優しい人ならいくらでもいる。探偵社の他のみんなだって優しい。それなのに何故福沢だけを駄目と思い避け続けていたのか。その癖欲していたのか。その理由は何なのか。
 考えて太宰は一つの答えにたどり着いた。
 それは最初に太宰が諦め捨てられ、捨てたものだったからだ。
 気付いて太宰は自分自身に、嫌気がさした。いらないと捨てたくせに求めていたのか。どうしてそんなものを。
 元々分からなかった自分自身がさらに醜い怪物のように見えた。
 それでも欲しいと太宰は思ったけれど、それが与えられることのないものであるのを知っていた。
 太宰の異能が邪魔をするのだ。
 太宰の異能、人間失格は、他者の異能を無効化するものだ。他者の異能の出力を調整する異能、人上人造不をもつ福沢とは相性が悪かった。
 触れたら他の社員に迷惑がかかる。
 荒事を専門としている上にそれなりに恨みも買っているからもしもの時に異能が使えないなんて事態になれば目も当てられない。敦や鏡花といった異能を制御しきれていない者もいるのだ。
 だから触れられなかった。それを理由に福沢との距離を取ったのは太宰でもあった。
 だけども触れたいとそう思ってしまった。それでも触れられてみたいと。
 何もかもなくした太宰はもう我慢すること一つ出来なかったのだ。自分の物にしたいとまで思ってそこで太宰はある一つの方法を思い付いた。
 異能があるから触れてもらうことが出来ないのなら、異能などなくしてしまえばいいのだと。
 異能は生まれつきのものでどれだけ嫌でもその力をなくすことは通常であれば出来ない。だけど太宰には一つだけ異能をなくすことの出来る心当たりがあった。
 それは脳の機能半分以上を麻痺させてしまうことだ。
 異能は脳に宿っていると言うのは有名な話である。そこから脳の機能を麻痺させることで異能を使えなくさせることが出来るのではないかと言う研究は様々なところで長いこと行われていた。
有効な道具はまだ出来ていないが、脳の機能を大きく破損させてしまえば異能が使えなくなることはすでに証明されている。何処までのダメージを与えればいいのかはまだどの機関も掴んでおらず、詳しいことは何も分かっていないけれど、太宰にはきっと自分は異能をなくすことが出来るだろうと言う自信があった。
 そしてそれには物理的な事など何も必要なかった。太宰はなにもする必要がなかった。ただ待てば良かった。
 待っていればその日は訪れ、太宰の脳は破損する。殆どの機能が消える。
 それだけ太宰の体はすでに壊れ、限界を迎えようとしていたのだった。すべて太宰が休むことも止め、自分の体を労ることもせずに無茶に無茶を重ね続けた結果だった。
 それでも今までなんとか持ちこたえていたものは、すべてが終わってからは急速な早さで崩れていた。今では最後がいつ訪れておかしくないほどになっている。
 視界には黒の斑点がいつもあるだけでなく、時に黒や白一色だけの世界になる。鼓動は安定することがなく早くなったり遅くなったりを繰り返す。腕や足からは時々感覚がなくなり、酷いときは数分近く動かすことも出来なくなる。猛烈な吐き気が毎日のように訪れて、喉が動かなくなり、呼吸が出来なくなるときもあった。
一日数回は世界から何もなくなる時が来る。視界は黒か白に染まり音や匂いもなくなって、立っているのか座っているのかすら分からなくなる。そんな瞬間。
 普通の人であれば耐えることはできなかっただろう。
 これらの症状は常に猛烈な痛みを伴うものだったから。
 太宰が耐えれたのは痛覚を切り離していたからだ。いつからかは分からないが、ずっと昔の幼い頃から太宰は痛みを感じる神経を回路から切って痛覚を感じないですむことが出来た。
感じようと思えば感じられるが、感じたくないと思えば感じない。気のせいとかでもなく、どれだけ強い痛みも太宰は切り離せた。
 その方法で太宰はずっと己の痛みを切っており、おかげでまだ倒れずにすんでいた。これからしばらくの間も倒れないだろう。太宰が本当に駄目になって脳の機能が完全に破壊されるまでは倒れないでいられる。
 太宰はだからその時まで待てば良かった。
 待って待って待った。
 動かなくなる体を動かして待ち続けた。
 そして、その日が近いことを悟った日、太宰は福沢を夕飯に誘った。









 一緒に行きませんかと太宰が誘ったのに福沢は不思議そうにしながらも二つ返事で受け入れてくれた。何処がよいと聞いてくるのに太宰は何処でもいいですと答えた。ではと福沢は太宰を自分のお気に入りの場所だと言う店にまで連れていてくれる。
 個室で向かい合い食べる。
 胃はもうものをいれるな。止めてくれと叫んでいたが太宰は気にせず腹の中に物を詰めた。食べながら探偵社のみんなの話をしていくのに、福沢は静かに聞いていた。もくもくと食べていきながらその目は太宰を見ていた。何かを言いたげなのに太宰は口を止めて福沢を見る。
ニッコリと笑ったのに福沢が箸を止めた。
 太宰とその口が名前を呼ぶ。それから暫く固まり何かあったのかと福沢は聞いた。
「何かとは」
 逆に太宰が問う。
「分からないが、私に何か言わなくてはいけないような何かがあったのでは」
「どうしてそう思うのです」
「……お前、私を避けていただろう。だから」
 にこにこと問うのに福沢は少し迷ってから答えた。その答えに太宰は少しだけ驚いたものの笑ってそんなことありませんよと答える。誰が社長を避けると言うのですか。探偵社にいて社長を避けるようなものはいませんよ。みんな社長が好きですから。と今まで避けていたことをなかったことにして太宰は笑った。福沢は眉を寄せ太宰を見る
「それはお前もか」
「ええ、私もですとも。社長のことは好ましいと思っていますよ。だからこうして共に夕食を食べているのです」
にこにこと太宰が言うのに福沢はそうだといいのだけどなと言ってふっと微笑んだ。口許を仄かに上げて、目元は少しだけ下がっていた。わずかな変化。だけど大きな変化で険しい顔が穏やかで優しい顔になる。そんな変化を見た太宰はその目を大きく見開いてしまった。
 福沢の表情は見たことがある。誰も見ていないところでは福沢は社員たちをそんな優しい目で見ていた。
 だけどそんな顔を太宰に向けられるとは、太宰は思ってもいなかった。
 太宰は仲間とはまた違うから。それなのにそんな目で見られて不具合を起こし軋んでいるのとはまた違う感覚が太宰の中に宿った。ぎゅっと動悸が早くなってそれから思考の中に不純物が混ざる。嬉しいとかそんなことを感じてしまうのを笑みで誤魔化して太宰は口の中に物を詰め込んだ。
 よかったと聞こえてきた声は何処か穏やかでそして安心したようだった。
「私はお前に嫌われているものだとばかり思っていたから、良かった」
 福沢の口許は柔らかに緩んでいる。ほんの少しだけでパッと見は先程と変化がないようにも思えるが、直接向けられる太宰にはそれがありありと分かってしまいさらに動悸が早くなる。どっどっと音を立てているのが分かる。かぁと熱くなるような感覚。そんなわけないじゃないですかと笑いながら顔が赤くならないように注意する。
 福沢から視線をそらすため太宰は並ぶ皿に目を向ける。料理を口に運び噛み締めた。これ以上は嫌だと言う胃はもう無理だと言うように内側から攻撃してきて、むかむかとした感触があった。何度か競り上がってくるものを料理と共に飲み込む。
 動悸を沈めて福沢に目線を戻した太宰はまだだと思った。まだ。まだもう少しだけ。
 ニッコリと福沢に向けて微笑む。


 居酒屋からの帰り、太宰と福沢は共にいた。福沢の家と太宰がすんでいる探偵社の寮は正反対にあったが、遅くなったから送ろうと福沢が行ってきたのだ。社員とは言えど男に優しすぎないかと思いつつも太宰はそれをすぐに受け入れた。そして共に帰る途中太宰の足は違う方向に向かっていた。
 太宰。困ったように福沢が太宰を呼ぶのに太宰はどうせだから回り道をして帰りましょうと笑う。お前がそうしたいなら良いが。戸惑いながらも福沢はそう言った。
 明日は早いぞ。大丈夫なのか。大丈夫ですよ。明日も仕事なことについて福沢は心配して聞いてくるが太宰はひらひらと手を振り簡単に流した。
大丈夫ですよと心の中だけでもう一度告げる。
 太宰は福沢の前を歩いていた。二歩後ろを福沢がついてくる。
 こんな風に福沢と歩くのは初めてのことだった。避けていたのもそうだし、時折、仕事でどうしても共に出掛けなくては行けない時などは、太宰は福沢の二歩後ろを歩いていたから。福沢が戸惑っているのが分かる。それでもなにも言わずに進んだ。後ろを振り返り笑えば、福沢はそっと口許を上げ微笑んでいた。
 戸惑いながらも柔らかな目が太宰を見ていた。振り向いた太宰を見て微笑みはさらに濃くなる。
「太宰」
「何ですか?」
「飲み足りないのか? それなら明日また共に飲みに行かぬか。明後日はたしか休みだっただろう」
 何処か不安そうな顔が太宰に告げる。探るような瞳に太宰は嬉しい申し出ですがと言っていた。空を見上げる。
月が綺麗だ。
こんな綺麗な月の日に死ねるのであれば最高だろうなと思いながらでもまだ死なないのだと太宰は福沢を見る。
 そろそろ良いだろうかと微笑む。
 福沢さん
 そう太宰は福沢を呼んだ。それは初めての呼び方だった。乱歩や与謝野、時に国木田がそう呼んでいるのを聞いたことがある。その頃からずっと気になっていた。少し丸くなった銀灰を見て太宰は笑った。
 次に見るその目はどんな色をして太宰を見るのだろうか。
 失望だろうか。軽蔑だろうか。それとももう写しもしないだろうか。考えながら太宰は微笑む。

「さようなら」

 その言葉を口にするのと同時に太宰は自ら切っていた痛覚のスイッチを入れた。
ぱちりと軽やかな擬音が太宰には聞こえた。
それと共に溢れだす痛み。がんと頭部を殴り付けられる。喉が焼けるように痛み胃はジクジクだかドンドンだかもうどう表現すれば良いのか分からないほど激しく痛み、目を開けていることはできなかった。足からも激痛が走り立ってさえいられない。
 何より痛いのは頭で他の全部の痛みを飛び消しそうな程痛んでは太宰から思考を奪っていく。
 太宰はもうなにも考えていなかった。ここが何処だとか、自分がどうしているとか感じられないまま痛みに叫ぶ。叫んでいることすら知らず、叫んでいる間にもその口から胃にいれたばかりのものがでていている。
 泣けなくなった目から涙が流れていた。苦しいとのたうち回るのに、目の前で起きたことが理解できずに固まっていた福沢が動いてその体を抱き上げていた。大丈夫かと声をかけながらも大丈夫でないことは一目瞭然であった。
 声をかけるがその声は太宰には届いていない。
 だけど暖かなものに包まれる感触だけはまだわずかに感じていて、痛みで苦しみながら太宰はこんな私でも触れてくれるものなのだなとほんの少し笑っていた。













 ぼんやりと覚醒していく意識。

 目を開けて一番に太宰が見たのは真っ白な天井だった。
霞んでよく見えないけれど何もないのならば天井だろうと考えて見つめる。周りを見渡す気にもなれなくてそのままにしていれば、耳が微かな音を拾った。太宰。視界の中に影が入ってくる。それが電灯の光を上から受けきらきらと輝いていたのに太宰は福沢だと知る。
 目覚めたかと福沢が聞くがその声は太宰には聞こえていなかった。何かを言っていることまでは分かるのだが、それを聞き取れるほどの聴力が残っていなかった。
「ずっと、」
 上を見上げて太宰が口を開いた。途中まで開いてそれから首を振る。
髪がわずかに動いた程度でほとんど動いていなかった。太宰の目が閉じていく。医者を呼んでくると福沢は座っていた椅子から立ち上がった。遠退く気配に目を開けた太宰は福沢を見た。
福沢が太宰を見て立ち止まる。
影をおい見上げてくる太宰に近づいて福沢は太宰に手を伸ばした。近づいてくる影を太宰は静かに見ていた。影が太宰に触れる。太宰の頭に手を置いてゆっくりと撫でていきながら福沢は少しだけ悲しそうな、だけど優しい目で太宰を見ていた。
 その目を太宰が見ることはない。
ぼやけた視界は福沢を一つ大きな塊としてしか見ることが出来ず、色で何とか判別しているのだ。
だから太宰には少しだけ不安もあった。もしこれが敦だったらどうしようと。服だろう物の色も福沢のものだから間違いないと思うけれど実は違っていたら。ここに福沢はいなかったらと。とても安堵したのに違ったらそれは悲しくて、
 太宰はだから安心した。
 触れてくるものはきっと手だ。それは敦のものよりずっと大きい。うっすらとだが熱く、そしてごつごつとしてくるのが伝わってくる。敦の手はこんな手ではないからこれは福沢の手だった。
 異能が発動する感覚は一切なかった。自分の中で何かが動くような感覚はあったけれど、それは形になれず途中で消えてしまう。
 触れられるようになったのだ。
 良かったと太宰の口から言葉はでていて、それを聞いた福沢は穏やかだった目元を悲しみ一色にかえた。太宰をじっと見つめてその口が震える。言葉はなにもでていかなかった。太宰の頭をゆっくりと撫でてからまた離れていく。少し屈んで太宰の耳元で話しかける。
「私は医者を呼んでくる。すぐ戻るから大人しく待っていろ」
 低い声は震えていたけれど、音がどんな形になるのかを集中にしていた太宰には分かることはできなくて、太宰はこくりと頷いた。太宰からはなれて福沢は部屋の外にでていく。ドアが閉まった後、外から大きな音がしたがその音は太宰の耳には届かずに太宰は目をもう一度閉ざした。
 少しだけ残念だなと思っていた。
 あの目がどんな色をして自分を見るのか知りたかったのにこれでは知ることなんて出来ないと。
優しい色をしていただろうか。それともやはり失望や軽蔑した眼差しだっただろうか。どちらだろうかと考えながら太宰はいつのまにか眠ってしまっていた。



 次に目を開けたとき一番に飛び込んできたのは銀色の影だった。
 福沢が太宰を覗き込んでいるのに太宰はふわりと口許を変えた。笑みの形だったけれど筋肉が僅かにしか動かずに奇妙な形になっていた。太宰の頭を福沢が撫でていく。異能は発動していないことを感じながら太宰はさらに微笑む。
 太宰が穏やかな顔をしているのに、福沢はそんな顔はできずに太宰を見ていた。引き結んだ口許。ぎゅっと寄った眉。福沢の目は泣きそうになりながら太宰を見ている。
どうしてとその口が動いたけれど太宰に聞こえることも見えることもなく何の意味もないものになった。
 ふわふわと触れていく手だけが太宰が鮮明に感じることの出来ているものだった。
 一回目よりもずっと確かに感じられるのに太宰はふふと笑った。福沢の目が見えないのは悲しいと思ったがこれが感じられるのならもう良いかとも思った。幸せなのに微笑んでいればぽたぽたと何かが落ちていく。
 きょとんと太宰は大きく瞬いた。
笑っていた顔が驚きに変わる。対した変化はなかった。顔の筋肉も今はほとんど動いていない。じっと上を見上げるのにもう一回ぽたりと何かが太宰の顔に落ちる。流れていくそれは涙。
 福沢の目から涙が溢れていた。
「ないて、いるのですか」
 問いかける声は殆ど音になっていない。福沢は答えずに太宰を見ていれば太宰はまたその顔を微笑むために動かす。
「泣いてくれるんですか」
 掠れて聞こえない声はだけど嬉しそうと言うことが分かるものだった。涙で汚れた顔をさらにぐしゃぐしゃにしながらそれでも福沢は太宰を見つめ続ける。
 暫く無音の時間が流れたのに、太宰からは微笑みが消えて静かな目が福沢を見た。焦点はあっていなくてすこしずれている。
「もう無理だって分かっていたんです。今さら病院に行ったところでどうにもならない。死は回避され、多少はまあ塞げるのかもしれない。でも多少でして、足も腕も目も耳も口も鼻も、……脳も影響は受け満足に働かなくなるのは分かっていた。それならどちらも、同じではないですか。
 多少ましになったとしても、壊れてまともに動けなくなるのであればどちらも同じ。五十歩百歩の違いなんて私にはいらなかった。
 それなら死んでしまった方が良い。死ぬまで待とう。そう思っていたんですよ。でも……」
 掠れた声。
 動かない口を無理矢理動かし、喉から空気を押し出していた太宰は途中で止めた。これ以上は言ってはいけない言葉だとまだ判断できるだけの思考は残っていた。うまく形はまとまっていなくて、ぐるぐる渦巻いているけど分かる。だから口を閉ざしたのを福沢が見ている。
 ゆっくりと撫でていく手にすり寄るように頭が動くがそれは本当に小さくて意味はなかった。変わりに福沢がその頭を強く撫でていく。
 ふふと笑いながら太宰は目を何度か閉じる。
 眠いのか
 福沢が聞くのに太宰は答えなかった。聞こえておらず何か言われることだけは分かって福沢を見る。その目の上に福沢の手が乗った。そっと屈んで眠ると良いとささやく。その声を聞いた太宰は頷くまもなく眠っていた。


 すぅすぅと寝息が聞こえるのを聞きながら福沢は起き上がり太宰の頭を一撫でしていく。これからこういう時間が増えていくのだろうと太宰を見つめた。
 太宰にはまだ言っていないが、大きなダメージを負った脳は一日起き続けていることすら出来ず数分、よくて数十分起きたら眠るのを繰り返すような日々になるだろうと宣告されている。
 多分もう知っているのだろうな。
 思いながらもう一度だけ撫でて、福沢は太宰の眠るベッドの隣に置いてある机に向き合った。机の上には書類が束になっておかれている。太宰が起きるまで手にしていた書類を再び見て筆を手にしていた。


 太宰は夢を見た。
 小さな体で銀色の影にお父さんと呼び掛ける。穏やかな気配。頭を優しく触れられる。ふわふわと触れてもらえるのに太宰はふわりと笑った。
 そんな日が本当にあれば良かったと思った。






中略


 太宰に父親がいることは知っていた。入社するのに必要だった戸籍のなかに父親の名前ははっきりと書かれていた。母親はいなかった。だが父親がいるのに緊急連絡先は紹介人の種田長官になっていた。
 不思議とも思わなかったが念のため、入社してすぐに太宰にどうしてかと聞いていた。
 その時太宰は福沢から言われた父親と言う言葉を一度繰り返した。
少し見開き、開いた口。ことんと傾く首。それ以降はほとんど見ることのなかった太宰の驚いた顔。父ともう一度繰り返してから太宰はああと頷いていた。
 そう言えばいましたねと呟く太宰はそんな存在のことすっかり忘れていた。
「家出、したわけでもないんですが、十より前の頃から会っていませんので覚えていませんでした。向こうも私のことなど忘れていることでしょう。
ですので連絡は種田長官に頼みます。とは言え、私が死んだとき以外はしないでほしいのですけどね。私がもし死んだりしたとき適当な扱われ方をして死体が変なところに渡らないため、特務異能課が処理すると言うそれだけのはなしなので。
 ほら私の異能は少し特殊ですから、その体を使って何かたくらむ奴らがいないとも言いきれないでしょう。死以外は連絡しなくて大丈夫ですよ。一人でどうにだってできますので」
 その時の太宰の姿は少し寂しそうに見えた。何て言っても太宰は笑うだけなのだろう。


 その日のことを思い出しながら福沢は家族かと呟いていた。見上げるのは太宰がいる病室だ。
今ごろは眠っている頃だろうか。外にでたことを後悔した。
 忘れていた父親。きっとその後にまた太宰は忘れたはずだ。太宰にとって必要でなく、そしてきっとあの日太宰が言った通り向こうだって必要とせず忘れていた筈だ。
 それが何で今頃。
 握りしめた手に爪が食い込んで僅に痛みを感じた。

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