38 hello summer

「海に行きましょう」
 太宰がそう言ってきたのは登った太陽が中々降りなくなった夏の始まりであった。降り注ぐ日の光が天敵のようにも見えだした頃、突然そう言われて福沢は間抜けにもはあと口を開けた。
 居間なんてと首を傾けるのに太宰は海に行きましょうと最後同じことを口にしていた。にこにこと笑う太宰に向けて彼は手を伸ばし、そのほほを掴む。ぎゅっと引っ張るのに太宰はいひゃいと声を上げていた。やめてくだひゃいと涙目になりながら太宰が訴えてくるのにはいと手を離す。
 赤くなったほほを抑えて福沢を睨みつける太宰。何するんですかと頬を膨らませるのには答えず、額に手を置いていた。じいと太宰を見つめ、それが今度は額と額を合わせる。
 太宰からは戸惑った声が出ていく。
 何するんですかと聞こえてくるのに福沢はゆっくりと離れていた。
 首を傾けて熱もないようだなとつぶやく。はあと太宰の目が丸くなった。何を言っているんですかと呆れた顔で福沢を見てくる。あっと声を上げた。
「もしかして私を偽物か何かと思っていましたね。この私が偽物の訳ないじゃないですか。何を考えているんです」
 ぷくうと膨らむ太宰のほほ。幼い仕草で怒るのにきょうはそう言う気分なのかと福沢は思っていた。そしてだってと口にする。
「お前は夏に海に行くなど馬鹿らしいと思っているだろう。人も多いし、日差しもある五。海どころか夏に出かけること自体、馬鹿だと思っているんじゃないか」
 それなのに何故。福沢が問いかけるのに太宰はぐっと奇妙な声を出した。唇をへの字に尖らせて福沢を睨む。そーーですけどと聞こえてくる声は少しばかり不満げで私だってたまには行きたくなるんですよと言っていた。
「そうか。どうして海に行きたくなったのだ。興味もないだろう」
「だって今度探偵社で行くじゃないですか」
 福沢の手が赤くなった太宰のほほに振れる。やわやわと皮膚を気遣うように撫でながら問いかけられたのに太宰はその口を小さく尖らせながら答えた。不満があると言うよりも不安があると言うような感じだった。
 言われた内容に福沢は少し目を見開いた。太宰が言ったのは今度行く社員旅行の話だろう。
 毎年社員の意見を聞いて行く場所を決めている旅行は今年は海に行くと決まっていた。
「私だってそんな毎回雲隠れするわけではないですし、貴方と会えないのは寂しいし、それに私だって」
 太宰の声は小さかった。口を閉ざしてしまいながら太宰は笑う。ソシエ海に行きましょうとまた言ってくるのだ。
 そうだなと福沢は頷いていた。。
「では今度の休み二人で海に行こうか」
「はい」


熱中症


「私、実は男の人が好きなんですよね。特に年上がタイプで実は社長は私のタイプど真ん中なんですよ」
 そんなことを言ってしまったのはきっと茹だるような夏の暑さのせいだったのだと思う。頭の中まで沸騰してしまうようなその暑さのせいでそんな馬鹿げた言葉を口にしてしまったのだ。


 そもそもの発端は父親にあった。
 私の父親は人間の愚図を煮詰めたようなそんな男で私の事を欠片も愛してはいなかった。ただ性欲的な目で見てはおり、私を醜い欲を受け続けてきた。幼い頃から何度も抱かれて何度も欲を吐きだされてきたことで、何時のころから私の恋愛対象は普通から離れていった。
 女の横りも男に欲を感じるようになり、女の子を気持ち悪いとまで思うようになっていた。色々あって森さんに拾われた後、彼の教育で女を抱くようにもなったが、それでも魅力を感じるのは男だった。
 男を好ましいと感じてしまうのにそれが普通ではないことを知ってしまった。
 それは奇妙なことをあると知って私はごまかすように女に声をかけるようになった。別にそれを知られることがどうかと思わなかった、人にどう思われるかは大切なのだと森さんが口うるさく言ってきたからだった。
 そしてそれは癖となってマフィアを抜けた後もそうするようになった。女好きと言う狂言は特殊な性癖だけでなく本心を隠すにも丁度良く私はいつも女好きのふりをした。男が好きなんて誰にも言ったことはない。
 おそらく一生そうなのだろうと思っていた。
 私は男に魅力を感じるものの誰かと好きになろうと言う事はなく、誰かと共になりたいなどと考えたこともなかった。
 そういう機能はなく、ただ性的な欲求だけが男性に向いているだけなのだ。
 そんな秘密を漏らしてしまった相手は私が勤めている会社の社長である男だった。
 一目見た時から好ましいと思っていた。どうせ欲を晴らすならこんな男がいいと思っていた男。だからと言って言うつもりはなかった。
 本当だ。
 男に好き。タイプだなんて言われたら気持ち悪いと思われるだろうし、相手は社長。止めさせられても困るのだ。だから言ってしまった時は驚いた。
 でも社長の方が驚いていた。
 それはそうだろう。目を見開く社長は私をじっと見ていた。周囲の光景までしっかりと見えているのに驚きが引いてきた私は珍しいと思った。
 この男もこんな顔をするのだと思い見つめるのに、福沢の口が遅れて開く。
 赤い舌に鋭そうな歯が見える。
 あの舌になめられるのは気持ちよさそうだと思いながらただ立っているのに汗が流れて落ちていく。全身にじんわりと掻いた汗。もう帰りたいと思うぐらいに歩い。日差しもきつくなって立っているのも嫌だった。だけど社長は冷かったりするのだろうかと思った。
 突然カミングアウトされて恐ろしいと思っていたりするのかと。
 じっと見てくる目はそらされなかった。とにかく私を見てきて暫くしてから上を見上げる。ぽかんと開いたままの口。今度は下を見た。固まっていた体が動いで腕を組んだ。何かを考えこむように深く俯きながら社長は暫くしてから私を見てくる。
「もう一度言ってくれないか」
 そう言われたのに考えたのはすこしだった。蒸し暑く茹だるような気温。脳みそまで溶けそうだけど、私の脳はちゃんと形を作っていた。
 にっこりと笑う。
「何でもないですよ。ただの冗談です。気にしないでください」
 社長の目がまた見開いた。それからはっと声が落ちていく。それを見ても私は行きましょうと言った。


 そう冗談なのだ。質が悪い冗談。のぼせるような夏の暑さがそんなことを言わせたのだ。



夏もんもん


 夏と言えばクーラーである。むしむしと暑い夏。ともすれば倒れそうにもなるのにその暑さから解き放たれる冷たい風。ボタン一つ押すだけで涼しさが段違いなのに、福沢の家には未だついていなかった。
 扇風機一つあれば充分だろうと思っていたのがその理由で熱いと思うこともあったが、庭先への水かけや氷枕で対処していた。
 熱いと福沢が養っていた二人の子供は大変不満で今じゃ家を出てしまっていた。
 それでも福沢は気にしていなかった。
 こんなものだろうと思い、それなりに快適に暮らしていたのだが、今年の夏、福沢はついにエアコンをつかえるかと決めていた。
 原因は今、福沢の前でぐったりと横たわる太宰にあった
 件の男はその全身をだらしなく伸ばし、縁側の狭いスペースを殆ど取っている。そのことにしまっている。どうでもよいと言うか気にしないが、太宰が熱い暑いと唸っている瞳は罪悪感のようなものを福沢に隠したてていた。
 大丈夫かと声をかけながらその手はかいがいしく世話を焼いている。はたはたとうちわであおぎ、氷枕を額や首筋にあてていた。
 養い子たちが見たら僕らの時はそんなことをしてくれなかった。自分で涼を取れてうちわや氷枕を渡して来るだけだったといろいろ言われそうだが、何しろ関係性が違い過ぎると福沢はそんなことは気にせずにいた。
 太宰と福沢は現在お付き合いというものをしており、太宰は福沢の恋人であるのだ。
 甘やかすのは当然のことと思い、そして何より福沢は太宰を甘やかすのとてもすいていた。氷枕を置いていきながら突っ伏している太宰に大丈夫かと問いかける。ふわふわとその頭をなえながら、冷やした手を頬に撫でる。
 暑いと呻いていたがふふと笑って福沢の手に擦りついてきていた。冷たいですねと嬉しそうなのにほほ笑む。温くなったので手を冷やしてもう一度その頬につけた。頬から首筋へと移動していく。
 はたはたと風を送るのも忘れなかった。それでもまだ暑いのだろう。太宰はといきおりあついて口にしてその体から大量の汗を流していた。
 たまに体勢を変えるのに床が水浸しになってりうのが分かる。暑いと口にしていく太宰のほほを撫でる。暑さでゆがめられた目が福沢を見上げる。手にすり寄ってくるのに暑いともう一度口にしていた。
 扇風機の羽がウィーンとうなっている。


「明日業者が来るがお前はどうする」
 福沢が問いかけたのは家のことだった。ここ最近は食べすぎている気もするそうめんを食べながら太宰に問いかけていた。辛いものは夏の暑さに良いと聞くので今日は唐辛子やショウガを使ったスープにしていた。ひりひりと舌に残る辛みが食欲をそそる。ずるずると食べていた太宰ははいとその首を傾けていた。
 業者と呟いてから暫くしてああと声を出した。
「確かエアコンをつけると言う話でしたか。それのですか」
「そうだ。ここと私の部屋にお前の部屋。それと客間と与謝野に乱歩の部屋へつける予定だが、業者が来ている間は他の部屋にいるか、それとも出かけているか。
「一応明日の十時からにはしてもらっているが」
 太宰が問いかけるのに頷いた福沢。うーーんと口元を尖らせた太宰は随分多いのですねと言っていた。別に私の部屋は使わないからいらないのですけどと言っているのには特に何も答えず、福沢は太宰に聞く。聞かれた太宰はまた唸り悩んでいた。
 茄子のお浸しを食べる。ポン酢を使ったそれはさっぱりとしていてこの季節に食べるにはもってこいであった。麦茶を飲みながら太宰は唸っている。
「どっちでも私は良いんですよね。福沢さんこそどっちがいいとかないんですか」
「私はお前がいいのならどちらでも構わないからな。外に出てもやることはないだろうし、業者に頼んで先に私の部屋につけてもらってから移動したらお前も涼しい場所にいられるか」
「そうですね。それでいいならそれがいいですね」
 二人とも悩みながらまとまる話。太宰がそう麺を食べる。盛り合わせのささ身肉と一緒に口にするのを福沢は楽しそうに見ていた。


 夕食を食べ終わると二人はお風呂に入っていた。入浴がすめばすぐに寝室に向かう。他の時期なら二人で遅くまで話したり、本を読んだり、ボウと過ごしたりして二人の時間をのんびりと楽しむのだが、暑い夏にはそんなことをする気も起きず、扇風機を二台ほど回した部屋ですぐに寝てしまうのだった。
 日が高くなってきている時期、少々勿体なき気もするが、二人、特に太宰は起きて熱さを堪能するような余裕はなかった。
 ただ寝るまでに少し飲もうと二人はクーラーボックスの中に冷やした酒を入れて持ってきていた。ちびちびと飲むのが最近の二人の楽しみ方だった。
 福沢と太宰、布団の中、隣り合って体を横たえてから飲む。福沢の手が時折、太宰の頭を触っており、クーラーの中にある氷を手にしては太宰の首筋や額に押し付けて居たりしていた。首筋に充てるのに冷たいと肩をすくめる太宰。一瞬猫の耳が見えたような気がしたのに福沢は喉の奥を震わせる。もうと頬を膨らませながらも太宰は上機嫌だった。冷たい酒をあおる。二人でのんびりと酒を飲んでいく。
 その途中福沢さんと太宰が甘い声を出した。
 何だと福沢は太宰に聞く。
 扇風機をかけて居るものの部屋の中は暑い。すだれをかけて少し開けた部屋の隙間からは温い風が入ってきていた。酒も注いですぐに飲まないと温くなってしまう。
 冷たい酒を飲み干しながら、太宰は福沢さんともう一度呼ぶ。
 またどうしたと福沢は優しい声を出した。俯せて眠っている太宰は少し体を起き上がらせて福沢さんとまた名前を呼ぶ。顰められた声の中には甘いものが含まれていた。
 口角を上げた太宰が福沢に向けて妖艶に微笑む。
「ねえ、やりましょう」

[ 35/64 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -