寒い日の

 これから寒くなるからな。
 それは何てことのない世間話だった。
 二人でのんびり横濱の街を歩いていた。仕事が早く終わり家に帰る前にたまには何処か行くかと誘われ。だけど二人して行きたい所は特になくただふらりふらりと街の中を歩く。無意味な時間。かつてならこんな時間を過ごすのを嫌っただろう。でも今はその時間が心地好くずっと続けばいいだなんてそんなことも考えていた。それは共に歩く人のお陰で。何となく嬉しくなって手を伸ばした。触れる寸前僅かに迷ったのに気配で気付いて引きかけた手を握りしめてくれる。
「見られちゃいますよ」
 自分から繋ごうとしたくせにそんな可愛くないことを言った。耳が少し赤くなってる気がする。
「嫌か」
「嫌じゃないですけど……」
 寧ろ嬉しいとは口にできなくて、でもそれならいいと手を握ったまま先を行く手は強く熱くてそれが幸せですぐに忘れてしまった。云いたかったって思った筈なのに。
 少し早くなった歩調。先行くのを追い掛け隣に並んで歩くとまた恥ずかしい気持ちがやって来た。何だか周りから見られている気がして。
「探偵社の皆に見られてしまったらどうしましょう」
 だからそんな話をした。して後悔した。言ってからもし本当にあったらと恐ろしくなってしまったから。皆には一応伝えているけれど恋人として側にいる所を見られるのは恥ずかしかったし、またからかわれてしまうのが嫌だった。手を離そうとするのに繋いでる手はさらに強くなった。
「……どうせからかわれるだけだ。好きにしておくといい」
「だけってそれが恥ずかしいんですけど。社長をからかう人はいませんからどれだけ恥ずかしいか分からないんです」
「そんな、ことはない。与謝野や乱歩、あの二人がどれだけしつこいかお前も知っているだろう」
「そりゃあ……。じゃあ、離します?」
 でた二人の名前に思わずうっと喉元で声がでた。太宰の事を探偵社の皆はからかってくるが流石に社長である福沢をからかうことはない。だがその二人だけは太宰だけでなく社長もからかってくるのだがそれが他の者よりずっとえげつな……容赦がなかった。
 そろりと太宰は手を引こうとする。だが福沢をそれを許さなかった。
「良い。手を繋いで居たいのだ。駄目か」
「……駄目ではないけど、でも」
 耳の先まで赤くなっているのが分かって太宰は余計に恥ずかしくなる。心拍を操り顔色を制御するのを得意とする太宰だが、今はそんなことすらできなかった。しようとしてもうまくできずにさらに赤みは増すだけだった。
「こうしていたいんだ」
 福沢の声が社にいるときよりも柔らかくなっていた。囁かれた言葉にますます頬を染め上げながら太宰にできるのは頷くことだけ。一歩だけずれていた足並みが揃い二人ならんだ。
「社長の手、熱いですね」
 無言で歩くことに気恥ずかしさを感じだし太宰は何とか声を絞り出す。出てきた言葉は羞恥を煽るようなものだった。
「嫌か」
「……嫌じゃない……です。寧ろ」
 好き。
 赤くなって俯き呟く声は羽虫の出す音のように小さい。常に飄々としている太宰のそんな姿に見入りながら福沢は少しだけ探偵社の皆の姿を浮かべた。太宰のこんな姿など滅多に見られないのだからからかいたくなる気持ちは痛いほど分かった。同時にだからこそあまりからかってほしくないのだけどと誰にも云えないことを思う。
「お前の手は冷たいな」
 太宰が折角会話をしようと声を出したのだからと福沢は話を続ける。実を言うと彼も太宰と同じ気持ちを抱いていたのだ。
「そうですか……」
「ああ」
 自覚ない太宰が小さく首を傾けながら福沢の手を少し強く握る。熱い熱がより強くなって伝わるのに落ち着きかけていた頬がまた赤くなった。繋いでいない手を自身の腕にそっと這わせる。福沢の手よりずっと冷たい感触がした。
「嫌いですか」
 思わず手を離してしまうほど冷たかったのに不安になり問い掛ける。ふるりと首を振った福沢の顔は無表情に少しだけ心配の色をのせていた。
「嫌いではないが、ちゃんと食べているか心配になる手ではあるな。冷え性だとしてもこれは冷たすぎるように思う。もしやまた一日酒ですますような事をしてはおるまいな」
「そんなこともうしてませんよ。でも……一人じゃあんまり食べるきになれなくて……」
 叱るほどでもないものの僅かばかりきつくなった声。睨むように見つめてくる瞳。それらに微かに笑い声を出していた途中で言葉を止める。繋いだ手とはまた違う意味で頬が赤くなり言って良いのか悩んだ。それでも口を動かして
「心配なら社長が私に食べさせてください。貴方と一緒なら沢山食べられる気が、します」
 悪戯をする子供のような顔で笑ったつもりだがそうはならなかった。失敗して奇妙な笑顔になってしまったことに気付いて誤魔化すため笑った。
「そうか。なら今日は私の家に来るか」
 掛けられる声。きっと言ってもらえると分かっていたのに小さく目が見開いた。
「良いんですか」
「ああ」
 太宰の目が嬉しげに細められる。細められた目には口角を爪の先程微かにあげた福沢の姿が写っていた。ふふと自然と口から笑みが出る。無意識に太宰の手が福沢の手をむぎゅむぎゅと握り締めてきた。痛みを少し感じるぐらいの力に太宰の喜びようが伝わってくるようで目元までもほんの一ミリ程度ではあるものの下がっていた。
 また無言になりかけるのに太宰が声をあげる。
「今日は何を作ってくださるんですか」
 問いかけてくる瞳は期待を込めてきらきらと輝く。社長が作るものは何でも好きなんですけどね。と言う軽やかな声に福沢の頬が分からぬ程度に緩む。
「鍋だ」
「鍋ですか?」
 すぐに口にされた事に太宰は目を瞬かせた。好きだけど何でと首を傾けるのに答える。
「ああ。昨日乱歩が鍋を食べたいから今度私の家にくると言ってきてな。それで」
 他にも何かを云おうとしていた福沢は一度言葉を止めた。掴んでいた手がゆるく離されかけたから。何かあったかと太宰を見る。
「乱歩、さんが。そうですか」
 耳に届くか届かないか太宰からでた小さな声。寂しげな顔をして俯く。乱歩が福沢と特別な関係、親子じみたものであることは知っている。よく乱歩が福沢の家に泊まりに行くのも親子の触れ合いでそれ以上の意味合いはないことだってちゃんと分かっている。でも福沢から乱歩の話がされるのは彼を取られたようであまり好きではなかった。むぅと口を尖らせてしまうのにぽんと頭の上に手がおかれた。
「それで乱歩と食べる前にお前と食べようと思っていたのだ」
 福沢に視線を向けた太宰はきょとりと首を傾ける。
「今年の初鍋は太宰と共にと前から決めていたからな」
 あっと目が震えた。ゆるりと震えてふわりと細められる。嬉しいと声にでずともその表情で告げる。離れていこうとしていた手を握り締めると弛い力で握り直してきた。
「それとも他に何か食べたいものがあったか」
「いえ。鍋が私も良いです」
「具材を買って帰るか」
「はい」
 気ままに歩いていた二人が目的地を決めて歩き出した。近くのスーパーも良いが鍋の買い出しなら少し歩く距離にあるスーパの方が良いかと方向転換を福沢がかけるのに、太宰は不思議そうにしながらも続いた。首を傾けながらも何も聞かない。ただ期待する目を向ける。きっととても美味しいものを作ってくれるのだろうと信じている目だった。
「そう言えばもう鍋なんですね?」
 歩きながら太宰はふっと思ったことを口にした。まだ早いようなと言うのに確かにと頷いてから福沢は否と思い直した。
「もう十月だ。鍋を食べたくなる頃だろう」 
「十月……。そうでしたね。まだ日中熱いですから八月とかそれぐらいの気持ちでした。でも夜は涼しくなってきていますよね」
 目を丸くして太宰が少し考えるように顎に手をあてる。ああと二度頷いた。暦上ではとっくに秋だと言うのに熱いものだから夏の気分が抜けきれていない。だが少しずつ冬の気配もしだしていた。
「そうだな。夜は涼しく眠りやすくなってきた」
「社長でもそんなこと思うんですね」
「私とて人の子だからな。あまり熱いと寝苦しい」
 福沢が言うのにわざとらしく目を丸くした太宰。キョロキョロと辺りを見渡してきてから一瞬だけピットリとくっついてきた。
「では、もしかして私がこうして眠るのはお嫌いでしたか」
 目は輝いていた。分かりきったことをわざとらしく聞く生意気な子供。それでいて輝く目の奥に不安がちらつくからどうしようもない子供だった。
「嫌なわけないだろう。ただこれからの季節の方が抱き合って寝たいと思う頻度も増えると思うが」
 良かったと子供は笑いそれでもまだその瞳から不安は消えきれなかった。
「やはり暑かったですか」
「そんなことは気にしてないが、ただお前の体が冷えないか心配になるからな。夜は共に寝た方がきっと安心できる」
 お前もそう思わないか。やわく囁いた言葉に太宰の目は大きく見開いた。えっと言う顔をしてすぐに顔を赤くする。私そんなに冷えませんからと小さな声が言ってくるのに何を言っているのかと首を振る。夏でも時々夜冷えている日は冷たい手をしていたことがあるのに。
「これから寒くなるからな。しっかりと暖めていかねば」
 太宰の返事が少しの間なかった。遅れてそう、ですねと声が聞こえた。


  * * * * * * * * * 


 ひやりとした風が吹くのに福沢は小さく身震いをした。隣を歩く太宰はそんなこともなく普通に歩いている。
 そんな姿を見下ろしそうであったと社を出るときに考えていたことを思い出す。羽織っていた羽織を脱ぎふわりと太宰にかけた。
「……っ」
 ぴくりと太宰の肩が震えて驚いた様子を見せる。その体が少し強ばっていた。
「……福沢さん」
「今日は一段と冷えたからな」
「はぁ……」
「なのにお前はいつもと同じ格好だろ。ずっと寒くないか不安だったのだ。帰りぐらいは暖かくして帰りなさい」
 疑問の声を出すのに返ってきた言葉。それに余計に首を傾ければ柔らかな言葉が落ちてきて太宰の頬が赤く染まった。指先が迷うように羽織をつまむ。
「嫌、だったか」
「い、いえ、ただ貴方が寒いんじゃないかと」
「私は大丈夫だ。それよりお前に風邪を引かれる方が辛い」
 そうですか。羽虫の羽のような小さな声が答えた。羽織をつまんでいた手に少しだけ力がこもる。
「手でも繋ぐか」
 そしたら少しは暖がとれるだろう。暖かいことを知っている大きな手が太宰の前に差し出された。ほらと伸ばされるのに太宰の目は左右に揺れる。
「いえ、その、誰かに見られると恥ずかしいから」
「……そうか」
 迷うように云われた言葉に残念そうな声が届く。太宰の顔が俯いてしまう。髪に隠れて福沢からは太宰の顔が見えなくなった。二人で道を歩きながら会話はない。何時もならこの時間は太宰が探偵社であった話などをしてくれるのだがそれもなかった。
 寒い風がふく
「今日はやはり寒いな」
「……そう、ですね」
 太宰との時間であれば無言の時間も心地よく感じるものだが今日はどうにもそう思えずに福沢は声をかける。返ってくるのは小さな声。
「今日の夜は一つの布団で共に寝ようか。その方が暖かい」
 一瞬太宰の足が速度を落とした。返事は中々返ってこず、数分してやっと小さな声が聞こえた。
「今日は、別々の布団がいいです……」
 より深くうつむいてしまった頭。ふとみた手が強く握りしめられていた。そうか。と福沢から声が出る。お前がそういうならそうしようと。
 また二人で無言で歩く。どれだけ歩いただろうか。後数分で福沢の家に辿りつく頃だった。
「あの、やっぱり手を繋いでくださいませんか」
 か細い声が聞こえた。風に浚われそうなか細い声。
「ああ」
 低く優しい声と共に大きな手が太宰の手を握る。ぎゅうと握りしめるのに太宰の指先がぴくりと小さくだが震えた。
 後少しの距離。
 その間太宰の手が福沢の手を握り返すことはなかった。


中略



 ぎゅっと福沢の腕が太宰のお腹の上で組まれた。
 福沢の膝の上抱き締められた太宰はこてんと頭を肩に預け福沢をみやる。その瞳はゆらゆらと揺れていた。すりとすり寄る体。ふふと笑みの形を唇が作る。
 衝動的と言う訳でもなく、静かに顔が寄せられた。
 ゆっくりと近付いてくるそれを褪赭の目が見つめる。不思議な色合いをした銀灰の瞳が少し陰りを帯びていた。ふるりと銀色のまつげが揺れ、色が隠れた。
 触れる感触。
 薄い皮膚越しに伝わる体温は予想したよりぬるい。
 一度押しつけられ、それからそっと離れていく。
 離れていくものを目で追った。隠れていた銀灰が姿を表す。あげられた口角が奇妙な方向にずれる。そういえば、ぼんやりとしたふりをした声が出る。
「最近していませんね。しますか」
 ゆったりと描かれる口元。福沢の目元が微かによる。ばっさりと髪が揺れる。固い髪の先が少しだけ当たった。それが理由ではなく太宰の目が歪む。
「何で……」
「しなくてはならぬものではあるまい」
「でも……」
 私は唇が震えながら動く。音にしようとしてならなかった言葉。福沢の腕が太宰の頭を抑えた。軟らかな髪を撫でる。ふわふわとした感触。常ならば顎を撫でられた猫のように目を細める太宰が今は開いた目。口元がへの字を作る。
「私は……」
 きゅっとでた言葉その先は震えた。ふわりと髪の毛が福沢の首筋をくすぐる。
「私は、抱かれたいです」
 囁くより小さな声が届く。音にした口は閉じられて震えていた。目を閉じるのにぽんぽんと福沢の手が髪を撫でる。頬や額に口付けを落とされて首を竦める。
「私はその必要はないと思っている」
 最後に瞼に口付けて福沢は柔らかくほぐした声で告げる。
「嫌いですか」
 揺れる目は不安げに福沢を見る。
「いや、だがこうしているだけで満足できる」
 触れる手の優しさが増す。愛しさを込めて見つめられるのにそれが嘘でないことを太宰は知っていた。
「私は、」
 それでも声は震える。
「恐いです」
 口にしてしまう本心は助けてとすがるものであった。
「…………」
 返す言葉を探し暫し無言になる。腕だけが太宰の体に触れ何かを語ろうとする。
「心なんてすぐに移り変わってしまうではないですか」
「そうだな。そんなものだな」
 それだけで届く筈もなく太宰からでる悲しい言葉。それを否定することはしなかった。何を云っても綺麗事で実際そうであることを福沢も知っているから。
「だから」
 だけどそうでないことがあることも、移り変わるものが決して悪い方向だと限らぬことも知っていた。
「でも移り変わらぬものだってある。それにいくら移り変わってもその度同じ者に惹かれていたら結局変わらない」
 太宰の声を遮って告げた言葉は静かでそれでいて聞き漏らすことのできない力強さを秘めていた。ぱちりと瞬きが一つ落ちる。ことんと首を傾けた太宰は不思議なものをみるような目で福沢を見る。
「何です。それは」
 問い掛けてくる声に福沢は柔らかく微笑む。皆には見せぬような太宰にだけ見せる特別な微笑み。
「見えていなかったものを知って、気付いていなかったことを気付いて、そうやって何度でも惹かれている」
 誰にと言うような言葉は無粋だった。向けられる瞳がすべてだ。
「わたしは……」
 触れる手が迷う太宰の頬を撫でる。
「愛しい者を抱きたいとは思うがその欲がすべてではない。私が好きなのは体とかではなく全部だから。抱けないぐらいで飽きたりはせぬ」
 福沢の声が余韻を伴い太宰の中で渦巻く。安堵しそれでも恐れる気持ちが掬う。唇が動いた
「嫌いなんです」


「寒い日が嫌いなんです」



 昔、太宰は一人で生きていた。親に捨てられ路地裏で物を盗んだり、人を殺したり、時には人に抱かれたりしてそんな風に一人で。いつだって苦しかったけど特に冬の寒い時期は飢えに凍えそうな寒さまで加わって毎日死にそうだった。そんなときにも抱いてくる奴等は居て手酷く抱かれた後冷たい外に置き去りにされる。申し訳程度に着ていた服が重ねられたら良い方で何もせずに捨てられるのが大抵だった。
 朦朧とした意識が戻って動き出そうとしても体は殆ど動かず凍傷して何故死なないのだろう、死んだ方がましなのにとそう思うほど。
 そんな日の記憶があるせいだろうか。
 冬になってふっと太宰はかつての恐怖を思い出した。
 抱かれそしてそのまま死んでいくのかと言う恐怖。動けない体を引き摺って何とか生きていくその痛み。

 抱かれるのが、誰かの手が己に触れるのがとても怖くなってしまった。


 寝息をたてだした太宰の頭を福沢の手が撫でる。
 ぽつぽつと時間を掛けて話した太宰は話し終えると同時に眠ってしまった。ほんの少しの話だったのにとても疲れた顔をしている。冷えとは違う意味で顔が青ざめて見ている福沢も辛かった。

 太宰を起こさぬように抱き締め直す。





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