あそこに、逃げ場はない
学校はもはや、僕の監禁場所


逃げても逃げてもどこまでも追い詰めてくる赤司くんが怖い。学校に行ってしまったら、そこはもう彼の庭、僕に勝ち目はなかった。思い知らされた限界、僕に残された最後の方策は家に引きこもること。幸い、両親は共働きで日中は家にいない為、彼等に僕の現状を悟られず、ひとり息を潜めることが出来た。ただひとつの不安要素は、もしかしたら赤司くんが僕を迎えにやって来るかもしれない、そのことだけ。戦々恐々としながらも、受験勉強をしつつ時折大好きな読書に没頭したり。自分の家はさすがに居心地が良い。あの緊迫した日々とはかけ離れた安心感。赤色の影に怯えることも少なくなり、夜もよく眠れるようになって、やっと自然な呼吸運動がかなった。こうしてかれこれ一週間経過。予想外だったこと、赤色の彼から一切の音沙汰もない。解放されたんだ、ジワジワとこみ上げてくる喜び。さすがに蛇のようにしつこいあの人も、この追いかけっこに飽きたのだろう。日差しの柔らかな昼下がり、ボフンとソファに体を預けて、ホッと胸を撫で下ろす。あの人の存在にいちいち脅えて暮らす生活はもう終わりだ。自分の中で、区切りをつけると、心に縛り付けていた鎖が緩む。そうすれば、ゆるゆると思い起こされていく、過去の記憶たち。

『黒子テツヤ…キミはきっと、ここで諦めちゃいけない。俺の瞳には新しく生まれ変わった強いキミの姿が見えるよ』

黒子テツヤを救ってくれた赤司征十郎が好きだった。今はもう、恐怖の対象でしかないけれど。あの時、彼に出逢わなければ大切なバスケを一足早く手放し、勝利の喜びを知ることもなかっただろう。前向きに捉えれば、赤司のおかげで味わうことのなかった幸せを与えてもらい、逆に彼のせいで味わいたくなかった苦しみを喰らわされた。自分の人生の苦楽のページにはいつも赤色の少年が映っている。どんなに些細なことにも、ひっそりと注がれていた彼の瞳、真っ直ぐ揺らがない視線。ひとりぼっちの空間、結局赤司征十郎の事ばかり考えている黒子テツヤ。

『黒子君、キミは帝光中学バスケット部になくてはならない存在になっている。ほら、俺の予測通り、キミは強くなった…新しい道を見つけて努力を惜しまないで走り続けたから…俺の言葉を信じて、頑張ってくれて、ありがとう』

昔の、出会った頃の、優しいあの人に想いを馳せて、切なくなる。あんなに穏やかな微笑みを向けてくれていたのに。どうしてこんなことになってしまったの?あ、ダメだダメだ、また、彼のことばかり。このままでは、いけない。断ち切るように、ソファから立ち上がり、昼食の洗い物に手を付ける。ひねった蛇口から、ザーーー、ひたすら垂直に落ちる水。伏せた瞼、ポタポタ、瞳から不規則にまばらに落ちる水。辛くて悲しい冷たい記憶だけ、綺麗に水へ流してしまいたい。心の奥にベットリと付着したままの濁った感情が、いつまでたっても拭いきれない。そのせいで、ちっとも前に進めないんだ。時間が経って、消えたはずの鬱血痕。しかし未だに残るは、白い牙で噛まれた瞬間の、ガブリ、生々しい気色悪い感覚。ドクンドクン、生きている。僕の身体の端々に、赤司くんが生きているんだ、あぁ、僕は、全然変われていない。あの夏の日、赤司くんの勝利の為の駒役は放棄した。ただ、冬になった今でも、赤司くんの所有物のひとつに過ぎないのだ。悔しい、悔しい、悔しい。恥辱諸共、海へ投げ捨てて、死んでしまえたら、どんなにいいだろう。母なる海は激しくも優しい。一瞬で僕の命を奪い、長い年月をかけて僕をゆったり浄化してくれるだろう。死にたいなんて、思う日が来るとは思わなかった。本当は楽に生きたいだけなのに。実際は、生きているのに、死んでいる。生きたいのに、死ぬしかない、無酸素の水槽の中、もがき苦しんでいる。この不条理な現実に涙腺が耐えきれず、視界が水溜りでボンヤリとしたまま、泡のついた食器を洗い流し、カゴにお皿を入れようとすると、

ポロッ、指先から滑って、床へ真っ逆さま、ガチャン、落ちて、粉々

「あっ!…大変…です、…どうし、よ…いっ、た……わっ、血が…」

反射的に割れた真っ白いお皿をへ手を伸ばしてしまうと、鋭く尖った破片で指先を切ってしまった。プックリ水玉を作る赤色。あか、アカ、赤、その色、誰を象徴するか、僕は知り過ぎている。ズキン、胸の奥の奥が、ひどく強い痛みを訴えた時、

ブブブブブ…携帯電話が鳴った。心臓がドキリと跳ね上がり、身体がフルフル震え出す。見たくないけどすぐに見なければいけない。そんな気がして、怪我をした指先をティッシュで押さえ、簡単な止血をした後、携帯電話を手に持つ。遠隔操作されているよう、仕方なし、受信した一件のメールを開けば、


“テツヤ、大丈夫かい?切った指先はちゃんと消毒をするんだよ”


差出人は赤司征十郎、ここにいるはずもないあの人が、どうしてこんな言葉を投げかけてくるのか。まさか、隠しカメラが。その可能性を疑って台所をくまなく調べてみても、叩けば埃だらけ、それらしきモノは何もなく。完全に恐怖から脱却する望みは絶たれた。襲ってくる、リアルに助長された未知の恐怖が。


みえないはずのものが、みえる

ふつうのにんげんが、できることじゃない

ぼくはみられている、ずっとずっと、あかしくんに

ざんこくなかみさま、おしえてください

あのひとは、“赤司征十郎”は、いったいなにものなのでしょうか?




みえている、みられてる、どこからも、どこまでも、僕は赤い籠の中











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