卒業まで、あと一週間。翌日、僕は東京から京都へ向かう。二月下旬だというのに、珍しく雪が降るここ最近は、誰もいない空き教室で卒業生代表の答辞の原稿を考えていた。そうすれば、自ずと中学三年間の歩みを思い出してしまう。ひとつの物語の終わり、新しい物語の始まりが近付く空気の中。呼び起こすのは所々瘡蓋になった痛い記憶。“アイツ”が唯一気がかりだった空色の影をもう遠くから見つめる事も出来なくなると思えば、貼りつけたままの絆創膏を自ら剥がしてでも思い返す勇気が出る。別に“僕”自身は彼の事なんてどうでも良いのだけれど。ただ厄介なのは、“赤司征十郎”の中に、ふたりいること。“俺”だった頃の“僕”は、“黒子テツヤ”をとてもとても大事に想っていた。心の奥に幽閉された今もずっと、好きだ好きだと声が枯れるまで叫び続けている。“テツヤ”が退部届けを出した時、何食わぬ顔の裏で、“僕”は死にそうになっていた。体の中心、内部から、心臓を破裂させられる悍ましい感覚。「俺の黒子を傷つけたお前なんて、殺してやる」と、激しく怒り狂ったアイツ。どうしてそこまで必死になれる?そんなに“黒子テツヤ”はお前の人生に必要なのか?“僕”自身、“テツヤ”に執着なんか無い。勝利を絶対のものとするなら、役に立たないものは潔く捨てるべきだから。影なくとも色取り取りの光達はそれぞれ歪ながらも輝き、見事に頂点を極めた。それこそ誇らしい、後ろめたい事なんて、何ひとつありはしない。それに、仕方がないじゃないか。結局の所、“テツヤ”自身が決断した離脱を止める権利がどこにある?垂らされた糸を昇ってくるかどうかも、途切れそうな糸にしがみつくかどうかも、本人の心次第だ。そんな自由すら与えようとしないお前の方がおかしい。彼は自ら的確な判断をして、糸を手放して落ちたんだ。むしろ、彼は自分の心を守る為に逃げたのだと僕は思う。僕らとの、僕とのバスケを、僕との繋がりを、絶ったのは“テツヤ”だ。“僕”は悪くない、悪いのは“テツヤ”だ。“僕”に縋り付こうともせず、恩を仇で返して、消えてしまった、裏切者。どうしてアイツの手は掴んだのに、どうして“僕”の手からは離れてしまうの?どうして、


『最後にひとつだけいわせて下さい…君じゃない“赤司くん”へ伝言です……優しいあなたがとても好きでした…ありがとう、さよなら…それでは』


お前が好きなのはアイツで、僕とは瞳すら合わせずに去ってゆくのか?それっきり僕から逃げて遠ざかって消え失せて離れ離れになるのか?春が来たら僕の事なんてあの雪が溶けてなくなるように綺麗に忘れてしまうのか?僕がまだ本心を土に埋めたまま、心の裏側で鳴き続けたまま、楽に死ねないまま、


「……まだ、“テツヤ”を…好きなまま……」


原稿を書く手が止まって、その紙に水滴が落ち、ジンワリと染みを作る。気付きたくなかった、気付いてしまったら、苦しみながら死んでしまうから、安全な土中へ逃げた。あの夏が終わった頃、テツヤに心を殺されて死ぬはずだった僕は、テツヤを傷つけてまで意地汚く生き永らえる道を選んだ卑怯者。そんな奴が今更テツヤを縛りつける権利などない。それに“僕”では彼に受け入れられるはずもないと、解ってはいる、解ってはいるけれど。正しい理解を捨てて、僕はある場所へ駆け出した。


「……テツヤッ…!!」

「…ぇ……、ぁ…赤司くん…?」


直感と経験則で探し当てたテツヤの居場所、やはり初めて出会った体育館だった。そこへいきなり現れて、


「すきだ…、…好きだっ!……テツヤが好きなんだ!!」


“僕”でも、まだ、もっと、ずっと、好きな気持ちを泣き叫ばずにはいられなかった。突然告白した僕を見据える彼の瞳は、まるで幽霊でも見たかのようにひどく脅えている。煮えたぎるように赤く熱を帯びる僕の体。それとは相反して目の前の影からはどんどん温度も色味も消えていくよう。淡雪よりも、白く冷たく儚い。そうして、やっと出た第一声は、


「…あなた、…だれですか…?」


“僕”自身への認識拒絶だった


「…僕の好きな“赤司くん”はもういないのに…僕の苦しみを知ろうともしなかったアイツが…あの“偽物”が……僕を好きなんて、嘘だ…そんな人間、いるはずがない…赤司くんの皮を被って、僕を騙そうとしたって、無駄ですよ……そんなまやかし、僕には通用しません…わかったらさっさと消えて下さい……亡霊さん」


あぁやはり、僕はお前の中で、綺麗に抹消したい存在で、


「………貴方は……最後の最後まで…僕を…苦しめたいのですか…?…好き?…そんなはず、ない…は、はっ…最低な、冗談は…やめて……さっさと成仏して下さい、さようなら」


二度と顔もみたくない程、嫌いなんだ


その事実を頭では理解出来るのに、心は理解を放棄して、ざわめきだす。自分の気持ちを知って、一気に漲る生命力。時間がない、もう時間がない、残り約一週間、


「ごめん…ごめんね、テツヤ……僕はまだ死にたくない……テツヤを諦められない」


最後の一週間、精一杯、“黒子テツヤ…に恋して生きていたい。僕の細胞ひとつひとつが、それを願っていた。僕の返答を聞いたテツヤは悲愴な表情をした後、いつもの無表情へ戻って何事も無かったかのように僕の横をすり抜けて消えた。聞かなかった事にしたのだろう。僕の戯言なんて鼓膜にすら触れさせてもらえない。きっと、心には届かせられない。おそらく、僕は失恋するのだろう。それでも、いい。諦めるのは、死ぬ時だ。


「まだ、僕は、生きているんだ」


それから、僕は、必死に鳴いた。あの夏、短い人生の中、燃え尽きるまで叫び続けた蝉のように。好きだ、すきだ、はなれたくない、そばにいてほしい、だれにもおまえをわたしたくない、僕の手で今度こそテツヤを幸せにしたい、やさしくするからたいせつにするから僕の手をふりはらわないで、おねがい、僕の瞳を見て、逸らさないで、僕の心を知って、受け止めて、お願い、逃げないで、テツヤ以外僕は人を愛せない、好きなんだ、大好きなんだ、


二日目、三日目、四日目、五日目、どんどん過ぎてゆく余命の時。僕が声を生む度に、テツヤは声を死なせていた。何を言っても、何も返さず、ただ黙って消えていた。手を伸ばせば無言で振り払われ、瞳を見つめれば繋がる前に断ち切られた。拒絶、拒絶、拒絶の連続。だけど、どんなに拒まれたって、変わらない。僕のテツヤへの想いは、


「愛してる…僕は、“赤司征十郎”は、“黒子テツヤ”を愛しているんだ」


六日目、卒業式の予行練習の後、あの体育館で見つけたテツヤを抱きしめて、耳元で告白をした。彼は人形のように固まって無反応。身体が、妙に冷たい、まるで死んでいるかのように、冷たい。不安になって、そっと身体を離して、顔を覗き込むと、テツヤの瞳から光が消えている事に気付いた。そして、そこから、一粒の雫が落ち、


「…る、…さい…うるさいうるさいうるさいっ…!!!耳がっ!頭がっ!おかしくなる!!!…心も、……っ、く……おかしく、なる……もう、ほんとに…やめて、…あいしてるなんて、いわないで…きらい、あなたなんか、きらい、…だいきらい……はやく、きえて…おねがい……ぼくが、しんじゃう…もう、いやだ……しんで…」


堰を切ったように溢れ出した涙と怒りと哀しみ。あぁやはり、“僕”では“テツヤ”を壊す事しか出来ない。報われず覆らない現実を目の当たりにして痛感する。愛する人の涙で、トドメを刺されたのは六日目、一足早いお迎え。そうだね、“僕”は嫌われても致仕方ない事ばかりしてきたんだ。バスケを心から愛する彼の幸せを奪ったのは、紛れもなく僕の汚い手。勝利を至上のものとして掲げ、拷問のようなバスケットボールをさせた元凶は“僕”だ。終わりだね、良かった、ここで、死ねて、良かった。僕に人を愛する喜びも悲しみも全て教えてくれた“黒子テツヤ”と出逢えたこの場所に心を埋められる。



「……さよなら、テツヤ……いままで、ありがとう…」



死ぬなら愛するお前の手で、その密かな願いは叶ったのだから、僕は幸せ者だ


僕は明日、帝光中学を卒業する

僕は明後日、東京から離れ京都へ発つ

“黒子テツヤ”を愛した“赤司征十郎”を、この想い出の場所に埋葬して、新しい自分に生まれ変わるんだ

これ以上僕が生きて、テツヤを苦しませるなら、僕は喜んで死んであげるよ

だから、もう、泣かないで、テツヤ



“俺なら、泣かせなかったのに、お前は馬鹿だ”



そうだね、“僕”は死んで当然、この刑罰を慎んで受けるよ

お前の笑顔をひとつ生み出す事すら、僕には不可能だった

おやすみ、愛する人を不幸にする、無意味な“僕”よ







春知らず

ひとり没する

冬の蝉











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