「テツヤのバカ!!」
「バカはバカシくんですよ、バーカ」


ジメジメジンワリ、そんな梅雨から明け、数日経った7月のある日のこと。例年より数週間早く湿気を取っ払った太平洋高気圧は、図らずとも僕らふたりの喧嘩の引き金になった。突如として、サンサンと照りつける灼熱の太陽。モワモワと充満する温風。ジワジワとたまらず吹き出す汗。カラカラと水分を搾り取られる喉。クラリ、眩暈がする。あぁ、夏という季節は、無駄に元気で厄介だ。今年もきっと夏バテ必至ですね、と溜息をつきながら、暑さの残る家路を歩いた夕暮れ時。シャワーを浴びて夕飯を食べて、やっと一息をついた夜。運悪く故障中のエアコンの代わりに使っている古い扇風機が置かれた自室は、お世辞にも涼しいとはいえなかった。暑さに吸い取られた体力を感じ取りながら、ゴロンゴロンとベッドに寝そべる。連日、体育館はサウナ状態、暑くて死にかけそうになる部活動。少し生ぬるいドリンクさえ、僕にとっては貴重なライフライン。出来れば、スポーツドリンクよりもバニラシェイクを補給すれば、もう少し元気が出たけれど。これ以上の真夏日が続くと思うと、冗談抜きに生きた心地はしなかった。どうしよう、僕ミイラ化しちゃいますかね。何気に深刻に、これからの猛暑を想像しながら悩んでいると、机の上で震えた携帯電話。起き上がり、それを手に取ると、画面に表示されていたのは遠く離れた場所にいる、赤い恋人の名前。きっと、盆地の京都は東京以上に暑かったでしょうね。熱気に閉じ込められた古都の街並みを思い浮かべ、僕は嫌な汗をかきながら電話に出た。



「……はい、もしもし」「こんばんは、テツヤ」「こんばんは、赤司くん」「今日はとても暑かったね……体調を崩していないか?」「暑過ぎて干からびるかと思いましたが、どうにか生きてます。でも、夏本番はこれからですよね……本当に地獄ですよ……ハァ……」「僕は暑いのが比較的平気だけれど、テツヤは毎年夏バテする程暑さに弱いからな……あまり無理はするなよ。決して熱中症対策を怠らずに、こまめに水分・塩分を補給して、湿球黒球温度計で31度を超過した場合は運動はなるべく控えた方がいい、それと……、」「赤司くん、大丈夫ですよ。それは帝光時代から君に散々注意されていたことですから。それに僕は、夏バテはしても熱中症は起こさなかったじゃないですか。あの頃は、君の目がいつも光ってましたからね」「……そうだな。特にテツヤは人一倍体力もないから危なっかしくてヒヤヒヤして……遠く離れた今は尚更気が気でないよ」「……もう、赤司くんは人一倍心配症ですよ。最近は誠凛での練習もしっかりこなせる体力もついてきましたし。今は先輩たちや火神くんが僕の身体を気遣ってくれるので大丈夫ですよ」「……ふうん、そうなのか。それは、帝光時代よりヌルい練習だから平気なんじゃないのか?」「は?なんですか、それ……」「テツヤは自分のことをわかっているようでわかっていないから……僕はやっぱり心配だよ。僕の目の届く範囲にいれば、何も問題はなかったのにな……」「……僕は誠凛に来て良かったと思っています。チームワークを大切にする素晴らしい先輩と相棒に出逢えましたから……みんな僕の意思を尊重してくれますし……むやみに世話をやかれないで済みますしね」「……なんだい?その言い草は……僕の厚意を無下にして、そいつらの薄っぺらいヤサシサを大事にするのか?」「薄っぺらいとはなんですか! 僕の事はなんと言っても構いませんが……みんなの悪口を言うなら、怒りますよ。」「……どうして、お前は僕の味方をしてくれないんだ……僕はあの時、帝光バスケ部を辞めることを許したけれど、高校まで離れることは未だに許していないぞ。ずっとお前に、そばにいて欲しかったのに」「……一年以上前のことを、今更ほじくり返さないで下さい。別にいいじゃないですか……今はお互い良い仲間と共にバスケを楽しんでいますし」「……それでも、テツヤがいなきゃ僕は……」「……赤司くん?」「ねぇ、テツヤ、会いたい」「えっ?」「もうずっと、僕らは会っていない」「春休みに会ったじゃないですか……しかも、夏はお互いに忙しいですし……」「……以前もそうやって、会うのを拒んだ」「拒んだって……仕方がないじゃないですか。僕たちはそれぞれの学校生活がありますし、東京と京都は遠いんですよ?」「僕が会いにいく、今から」「はぁ?? 何血迷っているんですか、赤司くん。明日も学校あるんですよ。赤司くんは洛山バスケ部を仕切っているんですから、ちゃんと学校へ……、」「そんなの、アイツらで、どうにかなるだろ」「なりません。自分の役目を放棄しないで下さい。……それに、2回目のインターハイも迫っています。僕らは一応ライバル同士なんですから」「それがどうした。ライバルである前に、僕らは深く愛し合っている恋人じゃないか。そんな僕らの幸せを邪魔するものは天帝でもコロ、」「赤司くん! そんな言葉をもう使わないで下さい!!」「…………」「とにかく、人に迷惑をかけるような暴走は止めてくださ、」「テツヤが迷惑なのか」「は?」「僕が会いに行くのがそんなに嫌か」「誰もそんな事言っていませんよ。会いに来てくれること自体は嬉しいですけど、時と場合を考えて……」「そうだよね、いつも会いたいって言うのは僕だけだものね、テツヤから会いたいなんて聞いたことないし会いに来てくれたこともないし、僕よりバカガミのそばにいるほうが幸せなんだろう?」「……赤司くん、いい加減にして下さい。馬鹿なことをほざくなら、もう電話切りますよ」「否定しないんだね……よく分かったよ、テツヤは世界一お前を愛している僕を京都へ放置して、東京でバカガミと仲良くバスケをする方を選ぶんだと……あぁ、僕の想いは全く報われないね、とても悲しいよ」「じゃあ切りますよ、おやすみなさい、赤司くん」「……待って、」「……なんですか、まだ何かあるんですか、早くして下さい、イライラして今にも電話をイグナイトしそうなんですから」「きょ……に……て、……れ、ないか……?」「えっ? なんですか? 聞こえませ、」「たまにはっ!!……あっ……すまない……えっと、」「……はい、なんでしょう」「……たまには、テツヤが、京都へ、来てくれないか?出来れば、7日に……」


そう、この時、僕の頭には“夏の京都=盆地灼熱地獄”の図式しか成立しておらず、思慮する間も無く赤司くんの問いかけへ反射的に答えてしまったのです。


「えっ、イヤですよ、東京でこんなクソ暑いのに、京都なんて絶対無理です」


こうして、バカバカバカのくだらない応酬の末、同時に電話を切った後、ふと我にかえる僕。夜でも生暖かい部屋の空気と赤司くんの一連の横暴・我儘発言が相まって、苛立ちが最高潮になった僕はいつものように冷静な対応出来ていなかったようだ。赤司くんが珍しく駄々をこねたせいもあったけれど、暑いのが嫌だからといってあの粗雑な態度はなかったかもしれない。そういえば、凛と響く赤司くんの声は、所々弱さや淋しさが滲み出ていたような気がする。


「テツヤの、バカ……バーカ……もう、いい……ばか、てつや」


そうだ、赤司くんの捨て台詞は、ひねくれた悲しみでいっぱいだった。あぁ、どうしよう、彼を傷付けてしまったかもしれない。いや、確実に傷付けた。何気に繊細で打たれ弱い面を持っているだけに、僕の言動は彼の心を痛めつけるには充分だったろう。自身の過失を認めてから、僕は赤司くんに電話をかけたりメールを送ったりした。けれど、彼は無反応の一点張り。思い通りにならなくて無視を決め込むとは幼稚だなぁと呆れる反面、そこまで彼の心を追い込んでいた自分が情けなかった。離れていても大丈夫だと思っていたけれど、大丈夫なのは僕だけで赤司くんはそうではなかったんだ。僕だってさみしくない訳ではないけれど、毎日こまめに送られてくるメールや週に一度かけられてくる電話は、いつも赤司くんと繋がっている感覚を与えてくれる。赤司くんがいつも僕へ細やかな愛を送ってきてくれたから。ぼくは、さみしくなんて、

「……ぁ…………、」

そこで、やっと気付いた。これまでのふたりを思い出す内に、気付けた。会えない寂しさ、触れられない切なさ、遠距離の苦しさは、いつも赤司くんの思いやりで和らげられていたことを。受け身な僕はいつも与えて貰うばかりで、彼の優しさに甘えっぱなしだったことを。人に弱味をみせるのが嫌いなあの人が、まるで聞き分けのないコドモになるまで、必死に自分の本音を我慢していたのだろう。それを思うと、一層胸が痛む。寂しがりやな恋人は今どうしているだろうか。窓から夜空を見上げても、星はきらめかない。真っ暗、まるで僕の沈んだ心。そして、彼もきっと同じ夜空が、心を埋め尽くしているのでしょう。

「ごめんなさい、赤司くん」

涙がこぼれそうな空の向こうにいる彼へ、“ごめんね”をひとつ。明くる日は、7月7日の日曜日、彼が僕を呼んだ日、強く会いたいと願った日。それは、織姫と彦星の逸話がある、七夕。愛し合うあまりに自身の為すべき事を怠ったふたりは、織姫の父である天帝の怒りに触れ、離れ離れになってしまった。逢瀬を許可されたのは7日7日のみ。天の川に隔てられた、そんなふたりの橋渡しをしてくれたのは、カササギだったという。いつも僕らの心を繋いでくれた携帯電話に感謝しながら、明日は特急のカササギに乗って、君に会いに行きますよ、僕の彦星。





京都駅に降り立って、「今、京都駅です、赤司くんに会いたくなって来ちゃいました」とメールを送信。すぐさまかかってきた電話から聴こえる微かな涙声は、まだ16歳の少年・赤司くんだ。「……テツヤと、地主神社に行って、七夕こけしに願い事を書いて祈願して……鴨川の七夕祭りに行って、イチャイチャしたかったんだ……玲央に勧められて、去年からずっとずっと楽しみに、していたけれど……なんとなく、テツヤへ、中々言い出せなくて……、」電話口でも、赤司くんの顔が真っ赤になっている事は容易に想像出来た。それはこの暑さに密封されたかのような土地の性質だけではなく、初めてちゃんと自分の本心を曝け出した事への気恥ずかしさのせいだろう。「……赤司くん、これからは、さみしかったら、さみしいって、素直に伝えて下さい。言ってくれないと、僕は鈍感で気付くのが遅いです……なるべく僕からも君へメールも電話もします……赤司くんが僕にしてくれたように」うん、と弱々しい頷きが聴こえる。もしかしたら、これが本来の赤司くんの姿なのかもしれない。とても弱いから、とても強くあろうとする、「……テツヤ、今すぐ迎えに行くから…そこで、待ってて……それと、……京都に来てくれて、ありがとう…………大好き、だよ」

とても愛しい、僕の恋人、いつかの僕の旦那さま。





キラキラサラサラ、星たちが流れる美しい川をふたり見上げながら、僕らを引き裂く天帝へ願い事


「テツヤと、いつか、ずっと、いっしょにいたい」
「赤司くんと、いつか、ずっと、いっしょにいたいです」


どんな時も一生涯ふたりで愛を繋げる、心に誓った夜。

夜空の彼方で一年ぶりに出逢えた、星の夫婦たちは、そんな僕らを祝福するように微笑んで、キラリと光り輝いていた。

だいじょうぶ、いつか、きっと、ぜったいに、ぼくらはいっしょにいきていく。




星屑のライスシャワーが夜空に降り注ぐ時、ふたりで流すは喜びの催涙雨












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