弱々しくなぞられた心の痕跡は、精一杯の告白



「すみません、赤司くん……実は、国語の教科書を忘れてしまって……迷惑でなければ、貸して頂けませんか?」

   珍しいな、まずそう思った。テツヤの成績は中の中だが、基本的に真面目で几帳面な性格で、忘れ物なんてしない。どうしたんだ、テツヤらしくないな。と、僕が率直に感じたことを、そのまま言葉にすれば、

「昨日の夜に……ちょっと、色々考え事をしていたら、あまり眠れなくて……、そうしたら案の定寝坊をしてしまって、落ち着いて支度を出来ずに、恥ずかしながら忘れ物を……」

フッと視線を逸らしてバツが悪そうに答える少年は、どことなく僕に隠し事をしているようだった。

   普段、バスケでも人間関係でも何でも、この僕へ真っ先に相談してくれるのに。信頼している僕にさえ言えない、眠れぬ程の重大な悩みを抱えているのか。

   そこまでテツヤを悩ませる種は、一体なんなのだろう。テツヤの思考回路を占拠するなんて、ズルい。モヤモヤモヤ、僕の心に生まれ出す積乱雲。考え事の内容を聞き出したかった、だけど、あえて聞かない。

   情けない話だが、僕はテツヤに嫌われるのがこの世で一番怖いのだ。無理やり聞き出して煩わしい奴だと嫌われでもしたら……これまで培ってきた“自分に優しくて甘くて頼りになる赤司くん”というテツヤへの印象付けが台無しになってしまう。

   本当はテツヤの全てをどうにかして独占したい利己的で狡猾な人間。その本性を悟られてはいけない、テツヤにだけは。

   好きだからこそ好かれたい。嫌われるなんて以ての外。

   本能的な嫉妬を退け、理性が優った僕は、そうか、という簡素な一言返し、お願いされた一冊の本を手渡す。すると、ホッとした表情を浮かべたテツヤは礼を述べて自分の教室へと戻っていった。それを見届けて深い溜息をついた僕の心なんて、きっと彼は知らない。

   花を散らせた軽やかな足取りのテツヤの後ろ姿は、僕の胸中を梅雨の湿気の如く重だるくさせるのだった。



「赤司くん、国語の教科書を貸して頂いて……ありがとうございました」

   授業終了後、自分の手に戻ってきたのは、ただの教科書。それは僕の所有物だけれど、大好きなテツヤの余韻が残っているかのようで、妙に嬉しく思えた。先程まで、あんなに心の中が曇り空で遠雷が鳴り響いていたのに。お礼を述べたテツヤのフワリとした笑顔ひとつで、天候がガラリと変わってしまうなんて。

   僕も大概、単純な人間だなと思い知らされる。好きな子の一挙一動で、こんなにも感情を振り回されてしまうのだから。

   テツヤが去った後、何の気なしに、手元に返ってきた教科書をパラパラ広げていく。文字の羅列を目で追う中、授業の進行度から考えて、テツヤが使用したページは、おそらくここかな、そんな目星を付けていると……

   見憶えのない、筆跡
   微かに散らばる、消しゴムの屑

   そうして、その悩ましげで恥ずかしげな文字の軌跡を、瞬時に理解してしまった僕は、心に光明をもたらされた。

   真夜中のジレンマの末に残された、彼を苦しめるひとつの答え。

   消された、恋文。


「……“好きです”」


   消せない、恋心。

   それは彼だけではなく僕の中にも、存在しているもの。


「……さて、透明なラブレターのお返事でも、書こうかな……愛しいあの子へ」


   テツヤ、お前の恋の苦悩は杞憂で終わり、晴れやかな笑顔に満ちた幸福が待っているよ、必ずね。



「……テツヤ、僕に数学の教科書を貸してくれないか?……誰かさんのせいで、夜も眠れず寝坊をして、忘れてしまったんだ……いいよね?」


   明くる日、僕が彼から借りた教科書の余白へ、ハッキリと書き残した、黒の文字。




“好きだ”










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