まだ薄暗い住宅街。その中を僕はひとり歩いていた。いつもなら眠れるだけ眠ってお腹が空いたら起きるという堕落した日曜日を送っていたのに。何故だか今日はパチリと目が覚め、何かに押しやられるようにベッドから出た。顔を洗いラフな服に着替え歩きやすいお気に入りのスニーカーを履いてドアを開けて踏み出す。一度グッと背伸びをして大きく息をはいてみる。さっきよりも体が軽くなった気がした。たまには散歩でもしよう。そんな気分になってしまう澄んだ朝の空気。僕にとって新鮮さに溢れ、もっとそれに浸っていたいと感じるからだ。ぺたりぺたり、ゆっくりとした足取りで僕は歩く。誰もいない、不思議な空間を。 誰もいないのに、夜とは違って寂しくない。それは朝が“はじまり”の光をだんだんと差してくれると期待しているからかもしれない。“おわり”を告げる夜の空間は寂しがりな僕にとって辛いこともある。

   両親は長期の海外出張の多い仕事に就いているせいで、一人っ子の僕は幼い頃から家に独りで留守番をするのが習慣化されていた。小学校高学年になった今では嫌でも慣れてしまったけれど、暗く静かな家にポツンと残される心細さは未だに消えない。ベッドの中に縮こまって自分の温もりを両親の温もりだと幼稚な頭で置き換える日々。毎日テレビから流れる物騒な事件を見る度に、遠くにいる両親が僕ひとり残して“さよなら”してしまっていたらどうしようと不安になる時もあった。忙しい人達だから頻繁に電話をかけるのも躊躇われてしまう。稀に顔を合わせても、妙に大人びた表情筋は、ひとりでも大丈夫、を作ってしまう。怖くて怖くて仕方がないそんな夜は布団をかぶって悪い考えを塗り潰すようにグッと瞼を閉じて深い深い眠りにつくのだ。夢では現実よりも両親に逢えるから嬉しい。嬉しいけれど、結局悲しい。どうして、反対なんだろうな、どうして、

タッタッタッタッ… …

「……ぁ……、」

   僕の淀んだ思考を断ち切ったのは軽快な誰かの足音。それに気付いて顔を上げると、知らず知らずの内に近所の公園の前まで来ていた。空も明るくなってきて、雀もチュンチュンと囀り始めている。さっきよりずっと朝らしくなった。

タッタッ……タッ、あ、足音が、

「……テツヤ……?」

止まって、僕に呼びかける。

「……えっ……?」

驚いて振り向くと、

「何をしているんだ、こんな朝早くににひとりで」

少し肩で息をしている、

「……赤司くん……、」

同じクラスの赤司征十郎くん、だった。


   僕はいつもみんなに気配を感じ取って貰えない程影が薄く、これといった取り柄も無い人間ですが、彼はそんな僕とは正反対な素晴らしい人。早朝から汗を流し、陰での努力も欠かさない天才児。児童会長として全校生徒をまとめながらも、バスケ部の部長も務め上げ、文武両道を体現している才能に満ち溢れた赤司くんは、誰からも慕われ尊敬されいつも羨望の眼差しを一身に集めていた。

   僕とは何もかも違いすぎる、沢山の人々に囲まれて生きている。僕なんか、きっと、人波に埋れて、存在を認知される事は無いだろうと思っていた。しかしながら、彼はやはり人並外れた洞察力を発揮し、こんな僕をいつでもどこでも見つけてくれて。何時の間にか、数少ない大切な友人になっていたのですから、人生とは予測出来ないものだと悟りました。

   時折、ふたりで一緒にいると、周囲の人々は物珍しい目で遠巻きに見てくる。よっぽど、マイナー過ぎる僕とメジャー過ぎる赤司くんの組み合わせがオカシイのだろう。そう、こんな、魅力的な人が、

「……テツヤ、どうしたんだい?ぼーっとして。もしかして、具合が悪いのか?」

僕なんかを気にかけてくれるなんて、小さな奇跡だ。

「え、あっ……すみません。大丈夫です……ちょっと、」

   あなたのことを考えてました。なんて、誤解されそうだから言えない。おそらく、「テツヤ、早起きし過ぎて、寝ぼけているのか?」と苦笑されるのがオチだ。でも、あながち誤解とも言い切れないから言葉にしてもおかしくない。 両親の他に、僕の心を占めているのは、赤司征十郎という、僕にとってとても特別な人なのだから。

「……じゃあ、どうして、テツヤは、そんな、寂しげに、泣きそうな顔をしているんだ……?」

   いつも凛として背筋を張り、人の感情に機微な、優しくて強い赤司くんに、僕はずっと憧れている。僕からすれば、安易に近づくのも恐れ多い遠い存在だとしても、君はそんな距離感なんて無関係に、僕に手を差し伸べてくれるから。誰にも甘えられない僕は、君の優しさによって、弱くなってしまう。ポロポロポロポロ、コドモになってしまうんだ。

「えっ、テツヤ、な……泣いて……あぁ、かわいそうに……一体、何があったんだい?もしかして、僕のせい?」

   プツンと切れてしまった。いつも以上に慈悲深い声と眼差しに、心を強張らせていた針金の糸が切れて、抑え込んでいた僕を放出する。突然降り出した僕の雨に、オロオロ慌て出す赤司くんは、不謹慎にも可愛いとさえ、思った。それでもずっと我慢してきた涙は止まらない。

「……あぁもう、泣いてばかりじゃ、解らないよ……ほら、涙を拭いて」

   ハンカチも何も持っていない僕へ白いタオルをくれる甲斐甲斐しい手が余計に涙腺を刺激する。震える手で彼のタオルを受け取り、己の心の弱さを隠す為に両手で両目に押し当てた。

「……テツヤ、こっちにおいで」

   急に左肩が抱かれて体も心もびっくりしたけれど、僕は“驚”よりも“悲”の方が優っていて。赤司くんの手や腕から伝わる圧力のなすがままに、おぼつかない脚を動かして公園のベンチに座る。

「……テツヤに泣かれて僕はとても困るけれど……泣きたい時は思いっきり泣けばいいさ」

   そんな言葉と共に、うなだれた頭をポンと触れられて、いっそう水分の排出量を調節出来なくなった僕。

   朝は寂しくないなんて一時のもので、所詮弱者の強がりだ。いつだって僕は寂しい。何をしていても、心にポッカリ空いた穴を完全に埋められることは無かった。

   唯一、赤司くんだけは、僕の心の支えでも、彼はみんなのもので決して僕だけのものではない。その切なさが、僕の心へ空虚感を募らせる原因にもなった。

   僕と血の繋がった遠くにいるあの人達に思いを馳せても、それが伝わることは無い。彼らが仕事を大事にしていて、やりがいを感じているのは知っている。そして、僕の為に頑張っている事もよく知っている。でも、僕は安息な暮らしを一番に望んでいるわけじゃない。

   ただ、いつも、そばにいてくれれば幸せなのに。

   僕をひとりにするなんて、ひどいよ、父さん母さん。




「……テツヤは、バカだな……」

   僕はギュッと締め付けられる喉から声にならない声で溜め続けた想いを吐き出した。僕の支離滅裂な話がひとまず終わると、それを黙って聴いていた赤司くんは、一言呟く。ドスッと心臓を一突き。自分でもそうだと分かっていても第三者、それも特別な人から指摘されると痛さは倍増だ。

「……っは、……ぅ、ごめん、なさい……、」

   迷惑をかけて、しかも苛つかせてしまった赤司くんにも、親の心子知らずな息子を持つ両親にも、申し訳なさが雫の落ちる方向とは真逆に募り、口からは謝罪の言葉が漏れてきた。

「別に僕は……おそらく、テツヤのご両親も……謝って欲しい訳じゃ、無いんだよ」

   そこまで感じ取ってくれる彼は、溜め息混じりに僕に言う。そうですね、多分、父さんも母さんも謝って欲しい訳じゃないんだ。ひとりにしないで、なんてワガママを言わなければいいんだ。僕が、もっと、強くなれば、いいんだ。そう、僕が、

「テツヤ、勘違いするなよ?ひとりでも平気になればいい、なんて思うな」

悪あがきをすればいいなんて浅薄な考え、僕と対照的に聡明な君には見破られていたみたいだ。

「テツヤはそんなに強くはないだろ……ひとりなんて、無理だよ」

   ナイフで頼みの綱を切られたみたいだった。他に方法なんて無いのに、赤司くんは神様みたいにちょっと残酷だ。

「……たまには、ご両親に弱音を吐けばいい。さっきのお前みたいに。血を分けた子供に寂しがられて嫌な親なんて……滅多にいない。……とにかく、ひとりで寂しさを抱え込んでどうにかしようとするな」

   だけどやっぱり神様みたいにちょっと優しくて、

「それでも寂しいなら……僕が、テツヤの、そばに、いてあげるよ……ずっと、ずっと」

すごく、あたたかいんだ。


(さみしさ、は、ねつ、に、ゆでられ、じょうはつ、した)


「……あかしくん…みみ、まっか」

「うるさい、なきむしテツヤ」






   それが、彼の一度目のプロポーズだと知るのは、もっと未来(さき)のお話。

   赤い青年から二度目のプロポーズを受けた僕は、その事実を知って驚いて笑って泣いた。

   これから、朝も夜も、君と一緒なら、僕はきっと、弱さを抱きながらも、強く生きてゆけるだろう。

   君がそばにいてくれたおかげで、僕の空っぽだった心は、今や愛で満ち溢れている。

   ありがとう、感謝を込めながら、プロポーズの返事に、口づけひとつ。

   慌てふためく真っ赤な君は、あの頃のように、とても可愛らしいですね。











「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -