その季節が巡れば、齎される両極性。

   出逢いと別れ。   はじまりとおわり。

   決して生易しい指先では、ない。
   後ろ髪を、ブチリ、引きちぎられる。



   春の風が、肌をすり抜けていく。その性質は、寒さから解き放たれ、陽気を帯び始めた、柔らかく爽やかなものであるはずなのに。どこかベチョベチョと腥いのは僕に纏わりつく、私怨のせいなのかもしれない。未だに僕の名前を呼ぶ、焼けつくような怒りに満ちた声が、鼓膜に残響して。深い憎しみをジワリ溜めた色違いの瞳が、瞼の裏側に思い起こされる。もう振り返らないと、肝に銘じたはずの、いつかの春は、胸の奥底へ閉じ込めたはずなのに。

『テツヤは一緒に生まれた時から一緒に死ぬまで、ずっとずっと一生僕の傍にいるって決まっているだろう? 僕達はふたりでひとつなんだから』

   何があっても、どんなことがあっても、ふたりぼっちになろうとも、黒子テツヤは赤司征十郎の傍にいなければならない。それが、物心ついた頃から僕に課せられた、絶対的命令だった。

   僕の幼なじみである征十郎君は、類い希なる天才児であり生まれながらの権力者。親同士が直属の上司と部下で深い交流があったせいか、赤ん坊の頃から僕と征十郎君は一緒にいた。征十郎君が、それをやれといったらそれをやり、あれをさせろといったらあれをさせて、常々従ってきた生活。どこへ行っても、王様にしかならない征十郎君と、どこへ行っても、王のいいなりの影にしかなれない僕。さしずめ、僕は何の取り柄もない、征十郎君の影。

『テツヤは僕の傍にいて僕に従って僕を愛せば、それでやっとお前に生きている価値があるんだ』

   そんな絶望的な言葉で、君は僕を束縛する。もし君に逆らえば、僕は生きることが無意味とでもいうように。自信に満ちた声色が恐怖を煽る。彼の云うことは、絶対だと。

   一見、道理にそぐわぬことでも、それが一瞬で道理へとねじ曲がってしまう力を持った少年。彼に出逢ったことが、僕の不幸を決定づけたのだろう。黒子テツヤの命や人生は、これからもきっと変わらず、彼の手中におさめられてしまう。

   生きるも死ぬも、赤司征十郎次第。僕はなんてちっぽけな存在なのだろう。自身の存在意義について、悩み苦しみ泣き叫んだ夜もあった。所詮僕は、王様の掌の上で生殺される、塵の数程溢れる駒のひとつに過ぎない。自分に、ひどく失望していた。僕がいてもいなくても、世界は変わらないと嘆いていた頃が、今ではとても懐かしい。

   黒子テツヤという人間は赤司征十郎にとって、ただの駒では無かったらしい。その事実が発覚したのは、中学三年の秋、僕が征十郎君を庇って交通事故に遭った時のこと。

   学校からの帰り道、急に歩道へ突っ込んできた麻薬中毒者の運転する暴走車をいち早く見つけ、条件反射で主である征十郎君を守ろうとした僕。大事には至らなかったが、避けきれず軽く跳ねられて出血してしまった僕は、一時的に意識を失い病院へと運ばれた。重怠い体の痛みを感じながら、目が覚めると、そこにいたのは、

『……テツヤ?テツヤッ……テツヤテツヤテツヤテツヤテツヤッ!!』
『……、……せ、いじゅ、ろ……くん?』
『僕を、殺す気か……テツヤが、死ぬかと思ったじゃないか……っ……う、あぁ……置いて…かないで……好きだ大好きなんだ愛してる……』

   狂ったように僕の名前や愛の言葉を繰り返し叫び、ボロボロと貴重な涙をこぼしながら僕にギュウギュウ抱き付く、知らない赤司征十郎。

   あぁ、そうだったんですね。僕は彼にとって、唯一無二の存在。秘められた弱い心を隠す為の、かけがえのない影なのだと、知ってしまった。僕の生命線は、彼が手にする無惨な鋏で、いつでも切られるものだと思っていたけれど。僕だって、その気になれば、いつでも、彼の生命線を、揺さぶることが出来るらしい。

   嬉しい、誤算だった。それだけで、自分が価値ある人間に思えてしまう。ただ王様の言いなりになる影では無い。黒子テツヤというひとりの尊い人間として、人生を歩んでいける気がしたのです。

   その事件を機に、僕の心の中は、希望の光が射し始めました。僕に依存して、僕のいない孤独を嫌う、愛に枯渇した征十郎君の傍にいる。そんなイカレた約束を守るつもりでした。けれど、彼の凄まじく利己的な感情に流されながら、生きてきた世界で見つけてしまった。大切なものがあったことを思い出しました。

   自分を諦めて、陰に埋もれた心の奥底へと追いやっていた。光が差したおかげで、明るみになってしまった、ひとつの情熱。それまで、征十郎君の勝利の為、徹底的に影として黙々とパスを出していたバスケ。そんなバスケは、正直、辛くて息が出来なかった。征十郎君とふたりだけのバスケまるで、監禁されているような閉鎖的なコートの中。

   自由に動きたい。全ての仲間と協力したい。自分の為に、楽しいバスケがしたい。それが、僕の願いであり、叶えられそうも無かった夢。

   今は違う、叶えられる。初めて生まれた、夢という小さな双葉は、僕の心へ強固な意志という立派な木へと成長を遂げた。

   そうして、理解したこと。その夢を叶える為に、必要な決断をしなければならない。小心者の僕からしたら、大胆極まりない選択。おそらく、いや、必ず、無事では済まされない道筋。

   高校受験を前にして、立志。
   征十郎君の手を離し、自分ひとりで、新しい道を歩む。

『……ふざけるな。テツヤ……僕を、この僕を……裏切る気なのか?』

   腑が煮えくり返る程の怒りに震える彼を前にして、ゾクゾクと背筋が凍りつく。恐怖感は込み上げたにせよ、自分で導き出した人生の答えを変えるつもりは、毛頭無かった。

   変わり映えのない、歪んだ愛に埋もれた世界は、もう要らない。

   たとえ凸凹の険しい道の入り口に、ヒステリックな美しい暴君がいても。

   グッと顔を握られて
思い切り唇に噛みつかれて
頬に爪を立てられて
手首を掴まれて
乱暴に抱かれて
カラダもココロも
散々に痛めつけられたって
僕は逃げ出さなかった。

   骨肉を溶かす硫酸のような
おどろおどろしい言葉を
ぶちまかれたって
絶対に涙を流さなかった。

   どんな非道な言動を
この身に受けようとも
僕はこの生き方を信じて
まっすぐ自分の足だけで
歩み進めていきたいから。

   君とは違う高校へ進み、君とは違う人々と、僕の為のバスケをする。

   諦めたくない、自分自身の可能性を。

   僕は、絶対、君に、屈しない。

『……もう、いい……知らない……勝手にすればいい』

   怒り狂った鬼は陰を潜め、やっと拷問から僕を解放してくれた彼の姿は、弱々しくしおれた花のよう。かわいそう、だ。図らずも同情心が、ジワっと込み上げる。様々な箇所がズキズキ痛むけれど、僕が自分の為に約束を破り、彼を深く傷付けたのは、紛れもない事実。確かに、僕は、裏切り者だ。うなだれたままの彼を、苦々しい思いを抱きながら見つめる。袂を分かつ前に、せめて謝ろうと思い、僕が謝罪を口にしようとした途端、

   ピシリ、拒絶するように空気が張り詰め、緋色と琥珀色の光を持つ人間が僕を射殺すように睨みつけ、告げてきた。

『……テツヤ、謝って許されるなんて、のぼせ上がるなよ……この僕の手を離して、この僕を……置いて、生きていくなんて……絶対に……ぜったいに……ゼッタイにユルサナイ……テツヤは僕から逃げても、絶対に逃れられないからな……最期は、僕の手の中に還る……必ず、ね』

   ネットリと蔓を絡ませヂクヂクと刺々しい呪いをかける薔薇の如き美しく執念深い魔王は、涙ながらに歪んだ微笑みを浮かべた。



   東から上る太陽は、今日も僕と彼を同じ様に、温かく照らしているのだろうか。同じ道を歩いていたのならば、同じ温度を感じて見つめ合えるはずなのに。それを手離したのは、ふたりぼっちではなくひとりぼっちを選んだ僕。

   赤い鈍色の光は、もう僕の傍にはいない。嬉しくも哀しくもある、新しい現実だった。寂しくない、とは断言出来ない。僕は、きっと少なからず彼へ依存していたのだろう。誰かに必要とされたのは、生まれて初めてだったから。ただ、その依存に縋って生きてしまったら、僕はいつか必ず後悔する。だからこそ、不変の世界を、この手で壊したんだ。

   僕の手には、夢を掴もうというたゆまぬ熱が籠もっている。

   僕の温度は、僕だから分かる。
   彼の温度は、彼だから分からない。
   今の彼の温度を、僕は知らない。

   あの頃はいつも、僕の熱を、分け与えていた、冷徹で生気の無い手。もしかしたら、離れた君の手は、あの時から冷え続けて、凍え死ぬのではないかと危惧してしまう。

   ひらひら美しい花が舞い散る、桜並木を歩く僕は、ひとり、考えて、ゆっくり、瞼を伏せた。君はずっと遠くにいる。僕も共に生きるはずだった、僕とは違う空間で生きている。ふとした時に、恐ろし過ぎて、忘れたいはずの君を案じてしまうのは、恐ろしい君の、恐ろしい呪いのせいなのだろうか

「……ごめんなさい、征十郎君」

   僕の木が折れるか、彼の薔薇が朽ちるか。

   その勝負は、まだ始まったばかりだ。

   後ろ髪、引かれる気持ちを、風に流して、前を向く。なんとなく、あの彼なら後ろ髪を根こそぎ引きちぎるように思えてならないが。その行為のように、僕の木も非情なる呪いの指先で、根こそぎ抜かれてしまいそうだ、と自嘲しながら。今日も僕は引力に逆らって一歩を踏み出す。一緒に笑い合いボールを繋いでいく頼もしい仲間達が、僕を待っているから。さあ、進もう。









「……謝っても、無意味だよ……テツヤ」

   ジィッ……鋭く見据える瞳。

   コツ……コツコツ…コツ…近付く静かな足音。

   スッ……伸ばされた、その手は、

グイッ、

「えっ……、」

ブチリッ、

「いっ!た……?!なに……!!」

デジャヴ、だ

グッと顔を握られて

思い切り唇に噛みつかれて――――……

……――微笑まれた、


   混乱する頭を働かせて現状を把握しようとすれば、僕の唇へ無理やり噛みついた人物の、氷のように冷たい手には、僕の髪が握られているではないか。

   まさか、本当に、後ろ髪を引きちぎられるなんて、

「……ははっ!……なんだい?……その、すっごく、うれしそうなカオ……僕に再会出来たから……?」

   あぁ、始まったばかりだと思ってたのに。極端に気が短い人間は、そうそう長期戦に応じてはくれやしないのですね。約1年ぶりに出逢った、氷の薔薇の魔王は、

「久しぶり、テツヤ……十二分に待ってあげたから、迎えに来たよ……さぁ、還ろうか、僕の掌の中へ」

君しかいない。


   おそろしい王様に再会の口づけで祝福されたらおしまい?

   おしまいに、されて、なるものか。

「……お久しぶりです、赤司、くん……さようなら」

   僕は、折れない。

「あははっ……!!憎くて憎くて愛しいよ!テツヤ………ユルセナイ」

   彼は、朽ちない。

   ダレもがジブンのタメにイきるコトしかデキない。

   こうしてまた、延々と春が廻る。












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