やさしい、とうめいな、かおり
愛しい人を胸に抱いて、夢の最中、映し出される、幼き頃の幸せな記憶
『征くん、征くん、今日はバスケットボールをして遊びませんか?』
茶色いボールを手に、太陽のような満面の笑みで、内に閉じこもっていた僕を外へ連れ出し、バスケと出逢わせてくれた、春風そよぐあの日
『征くん…ピーマンを残しちゃダメです。今日は僕が半分食べてあげますから、もう半分は頑張って食べましょう』
唯一苦手な野菜を食べられずにいた僕を見兼ねて、完食するのを一緒に手伝ってくれた野菜炒めが出た夕食
『お洗濯物を畳むの、征くん上手ですね。僕の畳んだものより、ずっときれいです』
兄さんの真似をして慣れない作業をこなす僕を、やさしく頭を撫でて褒めてくれた、初めてお手伝いをした日
『ほら、お風呂から上がる前に10秒数えますよ。いーち、にー、…征くん、声ちっちゃいですよ。もう一度やり直しです』
小さなお風呂に浸かり、知らない湯上りルールに戸惑いながらも、大きな声を頑張って出したお風呂の時間
『わっ、征くん、かけっこ一等賞です!すごいです!おめでとうございます!!』
ダントツで運動場のコースを駆け抜けゴールテープを切った僕へ、目を輝かせて手放しに喜ぶ兄さんの抱擁が待ち受けていた幼稚園の運動会
『僕、もうお腹いっぱいですから…この湯豆腐、征くんにあげますね』
普段少ない量ながらも自分に出されたものは完食する兄さんがわざと食べ残してくれた、僕の大好きな湯豆腐の夕食
『征くんっ!?何してるんですか!ハサミをそんな風に扱ってはいけません!やめなさいっ…!!』
仕事が忙しい両親の代わりに来てくれた兄さんを影が薄いとバカにした奴へ、図画工作で使っていたハサミを怒りにまかせて向けた僕が、温厚なテツヤ兄さんに初めて叱られた父兄参観の日
『征くん、お誕生日おめでとうございます。このリストバンドは、バスケを始めた征くんにピッタリだと思って選びました……ちなみに、僕とお揃いですよ』
照れ臭そうにはにかみながら、兄さんらしいシンプルな黒いリストバンドを僕の手首へ着けてくれた、本当に初めての嬉しい嬉しい誕生日
『あぁもう、また君は…泣くのを我慢して…強情ですねぇ……せめて、僕の前では、素直になって下さい…僕は、なりたいんです…大切な弟である、征くんの、心の拠り所に……大丈夫です、征くんは誰にも渡しません』
アノ家からの身勝手な要求に、怒りを通り越して哀しみが心の奥に渦巻く僕を、やさしくやさしく抱き締め、そのあたたかい胸の中で涙を流させてくれた忘れられない日
感情を殺された僕へ、喜怒哀楽を生み出させたのは、“黒子テツヤ”という人間だ
僕のささくれだったココロはきっと、ソッと触れてもチクリと痛み、その指から赤が垂れ落ちる
そんな棘を纏った僕へ、フワリと微笑みかける“テツヤ兄さん”は、赤い痛みを厭わない
僕が抱える悲しみも怒りも遣る瀬無さも何もかもすべて包んでくれる、とめど無いやさしさよ
助けて、と声に出さなくても口を噤んで我慢しても、僕の心を読み解いてしまう聡明さよ
鬱屈する感情を浄化してくれる、透明で清廉なかけがえのない存在
僕の中核を成すのは、唯一無二の“愛しい人”
愛なんてくだらない、愛なんて信じられない、愛なんて僕の心には生まれ無い、そうとしか思えなかった
それは、愛を与えられなかった、愛を知らなかった、愛を死なせてしまった僕でしか無かったから
まさか、そんな僕に、
「ほら、征くん、ベッドから出ますよ……これ以上駄々っ子になってもダメですからね……って…何、笑っているんですか?」
「………いや、僕は幸せ者だな、と改めて嬉しくなったんだ…テツヤ兄さんに逢えて、良かったな、って」
「……征くん、」
「僕に、やさしくしてくれて、ありがとう…テツヤ兄さん」
「……僕は、僕のしたいようにしただけですよ…」
「……、テツヤ兄さんの、したいように?」
「そうですよ…僕は、ついつい構ってしまうんでしょうね……やさしさや感謝を大切にする……そんな征くんが、好き過ぎて…」
“愛しか感じられ無い人間”との出逢いが待ち受けていたなんて、生きててよかった
まるで女神のような慈愛に満ちた微笑みを注いでくれる、僕だけの“希望の光”
このあたたかさが無ければ、僕はきっとーーー………、
ぐしゃぐしゃぐしゃ、消えろ、そんな絶望
「征くん、僕は先に行きますよ」
「…うん、僕もすぐに行くよ…」
ベッドから出て先に部屋を出た兄さんの背中を見送り、薄暗い思考を真っ黒で塗りつぶし切れなかった僕は、ひとり呟く
「……きっと、僕は、壊れて、狂って、壊して、しまう…な」
あたたかい愛に溢れたふたりの世界でしか、僕は生きられない
僕のかけがえのない幸せは、“黒子テツヤ”そのものだ
その幸せを、失ってしまったら、僕はもう、終わりだ、全てが終わってしまう
そう、すべてが、ゼロになる
それだけは、絶対に、死んでも、イヤなんだ
だから、僕の幸せを奪う奴は
「…テツヤだけは、神様にも、渡さない……」
誰であろうと、この手で、××す