生徒会メンバー揃って学校を出たが、浅雛は教室に課題を忘れてきてしまったことを思い出して、メンバーにその旨を告げてからひとり学校に引き返した。今日中に仕上げなければならない仕事が重なり、気付けば街頭や車のヘッドライトが街を照らさないと闇に包まれてしまうくらいには時間が経っていた。できればもう少し早くに手を付ければよかったのだが、ここのところ多忙が続いていたためにそちらまで手が回らなかったのだ。
 再び学校を出る頃にはもう二十時を回っていた。空腹を覚えながら帰路を急ぐ。こんなにくたくたになるまで仕事をするのは久しぶりで、朝早くから学校に行き昼食もろくに食べることができなかった浅雛はもう疲れ果てていた。

「ようメガネの嬢ちゃん、こんな時間まで学校かァ? 最近の高校生はご苦労だな」
「俺たちが家まで送ってくよ。家どの辺?」

 浅雛の眉間に皺が寄る。何故こういうときに限ってこうも面倒な輩に絡まれるのか。いつもなら真っ先に口走る毒舌も今日ばかりは出てこなかった。

「おいおい、無視すんなって。親切に送ってやろうって言ってんだぜ?」
「ほら、早く車に乗って。なんなら家に帰らずに俺たちといいことする?」

 今の浅雛にとってのいいこととは、いち早く家に帰って大好きなぬいぐるみたちに囲まれながらぐっすりと眠ることである。掴まれた腕を振り払おうとするが、当然男の方が力は強い。やめろ、離せ、と反抗の意を示すが、それはどれも無意味に等しいほど弱々しかった。

「すみませんお兄さん方、俺の彼女からその汚い手離してくれません?」

 視界は突然見慣れた制服でいっぱいになって、つい先ほどまで聞いていたいつもの声が聞こえる。見上げるとそこには榛葉の顔があって、目が合えばいつものように優しく笑って見せた。

「チッ、男いたのかよ」

 案外あっさり引いた男たちはそそくさと去っていった。なんて自分は情けないんだろうと心底自らを罵りながら、榛葉に礼を告げる。今度は困ったように彼は笑った。

「もぉ、デージーちゃんってば後ろからつけられてるの気づかないんだもん。俺がいたからよかったけどさあ」
「なんでここに」
「そりゃ心配だったからだよ。もう時間遅いのにひとりで学校戻るなんて危ないでしょ。何か言うことは?」
「……ごめんなさい」
「うん。わかればよし!」

 それじゃあ帰ろうか、と引かれた手に浅雛は今更ながら気付いた。この男、まだ手を握っている。手を離せと促しても浅雛の声が届いていないのか、手を握ったまま先へ先へと歩いて行ってしまう。待て、早い、追いつけない。浅雛の足では彼について行くのがやっとで、未だ離さないこの手はいったい何を望んでいるのか、なんて気にしている暇はなかった。

「……ねえデージーちゃん。さっきの奴らに手を掴まれて、どうだった?」
「は?」
「嫌だった? 気持ち悪かった?」
「それは、もちろんーー」
「じゃあ、今は? 気持ち悪い? 早く離してほしい?」
「……何が言いたい」

 急に止まった榛葉に浅雛はぶつかってしまった。謝ろうとしたが、それより先に握られた手に力が込められて痛みが走る。榛葉の手は僅かに震えていた。

「俺はね、このままデージーちゃんを連れて何処かに行きたいと思うくらい、デージーちゃんが好きなんだ」
「……え」
「といっても、それだとさっきの奴らと同じになっちゃうし、安形に……というより椿くんに怒られちゃうから、ちゃんと家には送るけどね」
「あの」
「俺の彼女、なんて言ったのも奴らを撒くためだけじゃなかったんだよ。願望っていうか、欲望? はは、なんかかっこわるいや」

 いつも自信に溢れているくせに自ら卑下するなんて、らしくない。
 榛葉の顔は見えなかった。彼は今どんな顔をしてるのだろう。浅雛は無性に笑う顔を見たくなった。どうか此方を向いて、いつものように笑ってほしい。彼の優しい笑みを、見せてほしい。
 浅雛は手を握り返した。ゆっくりと、けれど力強く、彼に何を伝えたいのかもわからないが、それでも強く握った。

「……やだな、デージーちゃん。なんで君が泣きそうになってるの」
「別に、泣きそうになんてなってない」
「そういうね、優しいところが本当に好きなんだよ、俺。多分自覚してないんだろうけど」
「なっ、そうやってその、好き、だとか、そういうことをすぐ口にするのはやめろ!」
「あれ、もしかして照れちゃった?」
「違う!」

 なぜか熱を持つ顔を隠そうと空いている手で覆おうとするが、簡単に榛葉に捕まってしまった。離せ、と今日何度目かの台詞を言おうと顔をあげれば、榛葉も同じように赤く染まっていた。思わず浅雛は目を逸らす。両手は塞がったままだ。

「ごめんね、デージーちゃん。困らせたいわけじゃないんだけど、思ったより余裕なくて……ごめんね」
「あ、ま、まて、まって」
「ごめん、デージーちゃん」

 榛葉の顔が目の前に来たところで浅雛はたまらず目を瞑った。蹴り上げようだとか、頭突きをしようだとか、普段なら真っ先にそう考えるのに、そうしようとは思わなかった。榛葉の髪が、吐息が、くすぐったかった。優しく柔らかいものを唇に感じた途端、浅雛は更に熱を帯びた。頭からつま先まで真っ赤になっているのではないかと思うくらいに、全身が熱かった。
 目を開けると、榛葉は困ったように笑っていた。今度は彼が泣いてしまいそうだと、浅雛は思った。

「……椿くんに言ったら叱られそうだ」
「それは勘弁だなあ」

 あはは、と笑う榛葉はいつもの様子に戻ったようだった。帰ろうか、と再び手を引かれてまた歩き出した。浅雛も黙って付いて行く。
 握られた手を見つめた。榛葉の手はもう震えていなかった。榛葉は何も口にすることなく、ただ歩き続けていた。浅雛の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いている。
 手に力が込められた。今度は優しく、痛みは感じなかった。榛葉は今何を思っているのだろうか。どんな顔をしているのだろうか。浅雛はわからなかった。自分も何を思って、何を感じているのかわからない。
 切れかけた街灯がふたりをぼんやり照らす。浅雛の家はもう見えていた。



title by Rachel

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