ひなた、と後ろで声がした。いつもは耳を塞いでしまいたくなるぐらいに力強く怒鳴るくせに、今の声はこの闇に吸い込まれてしまいそうなほどにか細く、そして泣きそうな声だった。注意して聞いていなくては聞き取れないほどのボリュームだったけれど、それは日向の頭に、心臓に響いた。まるで、この世界にふたりしかいなくなってしまったかのように。
「影山」
 強く、しっかりと彼の名前を呼んだ。振り向いてしまえば、きっと日向は泣いてしまう。だから振り向かなかった。
 もう一度、日向を呼ぶ声がした。さっきの声よりも可哀想なほど震えていた。それは日向の名前が彼を泣かせているのではないかと錯覚してしまうくらいに。つい先ほどまでは元気にボールを追いかけていたのに、ふたりきりになってしまうとすぐにこうだ。思わず日向の口角が上がる。
「どーしたの、影山くん」
「……」
「黙ってちゃわかんないですよー」
「背中向けてたって、わかんねえよ」
「そうだなあ、影山の顔、見えねえなあ」
 一歩、また一歩、近づいてくる足音が聞こえる。日向はただ、じっと待った。久しぶりに見た月を見つめて、足音が近くに来るのを待った。
「……お前のそういうとこ、きらいだ」
「えへへ、ごめん」
「笑うな、気持ち悪い」
「だって、影山はきてくれるってわかってるから」
 少し高い位置にある影山の顔は、月影に照らされて青白く映っている。くせのない黒髪が夜風に遊ばれて綺麗に踊っていた。
 ポケットにしまわれていた影山の手に日向の手を重ねる。小さく跳ねた手はそれきり抵抗の色を見せることなく、おとなしく日向の手に包まれた。
「……お、めでとう」
「へへ、うん、ありがと」
「……ヘラヘラすんな」
「影山くんは照れてますか?」
「うっせえボゲ」
 このままこの手を握って、どこか遠い国でも星にでも行ってしまうのもいいかもしれない。そんなばからしいことを考えながら、誰もいない道をふたりで並んで歩いた。月影に照らされながら、ゆっくりと。



何年か前に書いたひな誕でした。おめでとう。

title by 星食


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