あの白い綺麗な翼が、実は薄汚れていて酷く脆いという事を知っているのだろうか。見た目以上に儚く、指で弾いただけで簡単に崩れてしまう事を、知っているだろうか。
 彼がああして笑顔を作っていられるのも、周りに迷惑を掛けまいという彼の精一杯の気配りと、今すぐにでも粉砕してしまいそうなそのボロボロな心を曝け出してしまいたいという悲鳴が首の皮一枚で繋がっているお陰である。もしもそれがある日ぷつりと切れてしまったら、彼はもう笑う事も、バスケをする事も出来ない、ただの人形になってしまうだろう。
 どうして彼はこんなにも不器用なのか。理数系が得意なその頭で少し考えて工夫でもすればどんなに楽に生きられるのか、彼は知らないのだろうか。――いいや、もし知っていたとしても、彼はきっと楽な道を選ばない。
 彼の性分は相当やっかいであり、かなり損をしているのだ。
「伊月さんってあれっスよね、風船みたい」
「…………」
「嫌な事も辛い事もぜーんぶ自分の中に溜め込んで、いっぱいになったらバーンって破裂しちゃうじゃないっスか。それって、空気が入りきらなくなって割れちゃう風船みたいだなって思ったんス。あと、伊月さんほっとくと飛んでっちゃいそうだし」
 もう彼の背中にある翼は使い物にならなくなり、代わりに風船がひとつあるのだ。彼が苦しむたびに風船は膨らみ、悲しむたびにボロボロの翼から羽がひらりひらりと落ちて行く。風船が破裂してしまうと、彼の涙腺は崩壊する。
 彼を元に戻すには、新しい風船をひとつ付けてやればいい。そうすれば彼はまた我を取り戻し、あの笑顔が見られるのだ。
 黄瀬は今までに何度も彼に頭を下げた。そんなに無茶をしないでくれ。苦しくなればその度に自分が受け止めてやるから、いくらでも聞くから、だから限界まで溜め込まないでくれ。そう頼んだ。
 しかし、彼は笑っていた。イエスともノーとも言わず、ただやんわりと笑みを浮かべていた。
 黄瀬はその笑顔が嫌いなのだ。彼がそう笑うのなら、泣き狂う姿をみていた方が楽だった。
 だって、それは彼の感情だから。泣き狂うのも、怒りを露わにするのも、彼の感情が溢れ出てしまった結果だからだ。しかし、あの笑顔は彼の感情ではない。表面上だけの、薄っぺらい笑みなのである。
 黄瀬は生きた彼が好きだった。今ではもう、コントロールの効かない感情に振り回されて上辺だけの笑顔を作るだけの、人形のなり損ない。人間にも、人形にもなれなかった可哀想な出来損ない。
 彼はきっとこれ以上悪くなることはないし、良くなることもない。このまま、出来損ないのまま生死を彷徨い、あっけなく人生を終えてしまうだろう。
「可哀想な伊月さん。俺が居ないと生きていけない可哀想な伊月さん」
 けれどそんな彼が死んでしまえば、黄瀬はこの世に存在する意味を失ってしまう。
「だから俺はあんたを死なせない。救いようがないあんたなんか好きじゃないけど、それでも一生あんたに付き合う。そうでなきゃ、俺も出来損ないになってしまうから」
 あの白い綺麗な翼が、実は薄汚れていて酷く脆いという事を知っているのだろうか。見た目以上に儚く、指で弾いただけで簡単に崩れてしまう事を、知っているだろうか。
 黄瀬は知っている。彼が既に限界が迫っていることにも、何故白い翼がこんなにも脆くなってしまったのかも全て。
「これからもよろしくっス、伊月さん」


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