乱れる息を無理矢理にでも整えて、ひとまず瓦礫の陰に避難した。背中を預けると面白いように力が抜けて、爆豪はその場にズルズルと座り込んだ。自慢のタフネスが情けねえと、自らを鼻で笑った。一応言っておくけれど、これは逃げではない。休息も作戦のうちである。

 そもそも、今日は久しぶりのオフであった。それはもう何週間ぶりかというくらいの休日で、ボロボロになった体をゆっくり湯船で休ませることも、ベッドでぐっすり眠ることもままならない日々を送っていた。新人は忙しいのだ。現場に収集されるのみならず、撮影やら取材やらで自分がヒーローになったことを忘れてしまうくらい、昔幼い頃に描いていたヒーロー像とはほど遠い仕事のオファーが多く来ていたが、全ては高額納税者として名を刻むためである。いくら服を脱ごうとも、デリカシーのない質問攻めにあおうとも、爆豪は完璧に仕事をこなしていた。それは以前たまたま現場で一緒になった切島に心配されるほどに。
 そんなわけで、昨日家に帰ったあとは死んだように眠っていた。いつもならきちんと食事をとり、軽くシャワーを浴びて、マッサージを行ってから早いうちに就寝するのだが、そんなことに構っているほどの体力が残っていなかった。というより、まあ明日でもいいか、という気の緩みだった。ベッドに転がってからは早いもので、いくらだったかは覚えていないがそこそこいい値段のベッドは爆豪の疲れた体を優しく包み込み、いとも簡単に夢の世界へと連れ出した。空腹を感じていたような気がするが、そんなものはどうでもいい。とにかく爆豪は全てを放り出して時間の許す限り眠っていたかったのだ。
 しかしそんなことも許されないのがヒーローという職である。けたたましく鳴り響いた着信音に爆豪は強調された犬のように飛び起きて、携帯に手を伸ばした。相手の声がひどく興奮していて詳しい状況はわからなかったものの、既に相当な被害が出ていると爆豪は察した。ただの一般人の暴走ではないようだ。通話を切った爆豪は着替える間も無く家を飛び出して現場へ向かう。時計は見ていなかったが、空にはまだ太陽の姿はなく、ひんやりとした空気が爆豪を掠めていた。

 いくらか落ち着いた呼吸を確認して、爆豪は瓦礫の陰から敵を確認した。馬鹿でかい図体は一歩足を踏み出すだけで振動が伝わってくる。人なのか何なのかもわからない姿のそれは視界に入れることすら躊躇うほどに恐ろしく、意味のない音をひたすらに叫んで周辺をうろうろと彷徨っていた。爆豪を探しているのだろうとすぐにわかった。先ほどまで遊んでいたおもちゃをなくしてしまった子供のように、ただ泣き喚いている。
 爆豪ではこの得体の知れないものを処理することは不可能だった。いくら近距離で爆破しても何のダメージも与えることができず、近づいた爆豪がハエのように叩き落されるだけであった。恐らく物理的な攻撃では奴に太刀打ちできない。別の個性を持った者が現れるのを待つしかないのだ。
 爆豪自身で処理できないことはひどく悔しく感じるし、己の無力さに反吐が出るが、ヒーロー業はそんなものだ。その場にあった対応をしてこその真のヒーローというもので、自分が何もできないからといって駄々をこねたりやけになって突っ込んだり、ということはない。今爆豪ができることは、応援が来るまでの時間を稼ぐことなのだ。
 大きく息を吐いて、立ち上がる。爆風で一気に敵の前に飛び込んで、顔面に一発お見舞いした。少しでも怯んでくれれば万々歳だったのだがそううまくもいかず、尋常でないサイズの手に爆豪は地面に叩きつけられる。頭の悪いやり方だとは自分でも思うが、残念ながらこれ以上頭が働かない。もう一度、と地面にめり込んだ体を起こそうとすると、目の前には手が差し伸べられていた。爆豪を叩きつけた手ではなく、歪んで傷にまみれた手だった。
「かっちゃん、遅くなってごめん!」
 頭痛がした。ついでに吐き気も。爆豪は顔をしかめたあと、その手を振り払って自力で立ち上がった。肋骨が数本いったな、と考えなら自分の手がまだ融通のきくことを確認する。これならまだいけそうだ。
「かっちゃん、久しぶりだね……テレビとかでは見てたけど、やっぱり筋肉が前よりもついてきてるな。僕も見習わないと……」
「……きめえな、お前」
 第一声の答えに誰もてめェを待ってねえと言ってやりたかったし、こんな状況でも同窓会で数十年ぶりにあった同級生みたいな反応をする緑谷を気色悪く思っていたが、うまく口も回らないので諦めた。まともに会話をしようというのがそもそもの間違いである。
「それにしても、顔色が悪いよかっちゃん。最近どこ行ってもかっちゃんの話聞くし、活躍してるのはすごく喜ばしい事だけどちょっとは休んだ方がいい。とりあえずここは僕が片付けるから、救助班が来たら治療してもらって。さっき連絡したからもうすぐくると思うよ」
 なんだか自分ひとりの力で何とかなると思っているようで、特に焦りを感じた様子もない緑谷を見て爆豪は苛立った。これじゃあまるで緑谷が一発殴ればくたばるような雑魚に爆豪がひどく苦戦したようではないか。なにが僕が片付けるから、だ。そいつは物理攻撃が効かないのだ。お前の個性はなんだ。物理攻撃以外の何者でもないだろう。てめェが出る幕じゃあない。おとなしく帰って死ね。
「な、なに? かっちゃん……そんなにしんどい? 大丈夫?」
 労わるような目で見るな。そうじゃねえ。肋骨が数本折れたところで爆豪はなんの異常もない。掌さえ残っていればなんとかなるのだ。だからそうじゃない。爆豪の怪我はどうだって良くて、問題は緑谷の個性でも奴には通用しないということなのだ。そういう意味を込めて、コスチュームの裾を引っ張った。怒鳴ると奴に居場所がばれるからだ。
「……てめェのじゃ無理だ。効かねえ。俺のも無理だった。ただ虫扱いされるだけだ。俺らじゃ時間稼ぎにしかならねえ。ひとり出張んなクソが」
「ええっ、えっと、物理攻撃が効かないってこと? 脳無みたいなダメージ吸収だったらまだ算段があるけど確認するにもリスクが高いし、かと行って誰か来るまで見守るわけにもいかないしな……」
 昔から変わらずお得意の独り言で頭を悩ませる緑谷を横目に、未だ暴れ続ける敵を観察していた。この近辺は既に避難が済んでおり、火災や爆発などの二次災害に助力するヒーローが数名いるだけで、少し放っておいても人が殺されるようなことはまずない。だからこうしてじっくりと観察できる。普段なら一発とは言わずに何十発何百発とかましてやるのだが、そうするにはやや気力が足りなかった。
 ぼうっと眺めていると、働かない頭はどうでもいいことを過去の記憶から掘り起こしていた。そういえば雄英時代、菓子作りが得意な奴がいた。この頭も糖分を摂取すれば少しはマシになるだろうか。クソ髪は今でも相変わらずのクソ髪であったし、アホ面もしょうゆ顔もいたって変わらないのだろう。たまに合コンに行こうという馬鹿らしい誘いが来るくらいだから、やはり奴らは馬鹿なのだ。
 ふと緑谷を視界に入れて、ああこいつも馬鹿だったな、と思い出した。何もできない木偶の坊で、道端の石っころで、常に爆豪の後ろにいた幼なじみ。同じくオールマイトに憧れて、同じヒーローを目指した。無個性の出来損ないが、今こうして同じ現場で隣に並んでいる。自己犠牲の塊が、今日も今日とて全てのひとの平和のために働いている。ヒーローになれると彼に言ったひとは今の彼を見ているのだろうか。ヒーローとなった緑谷の姿を、どこからか見守っているのだろうか。
「……ワンチャンダイブ」
 ギョッと、緑谷の目が見開かれた。ぽつりと呟いた言葉に反応して、何かを思い出しているのだろう。きっと緑谷の脳内で流れている映像と爆豪のものは同じだ。遠い昔、まだお互いにガキだった頃。あの日爆豪は緑谷にそう言った。
「ちょ、ちょっとかっちゃん! 何するつもりだよ!」
 重たい体を起こして、ゆらりと立ち上がった。緑谷の声に答えることもなく、ゆっくりと敵に近づく。一歩、また一歩踏み出すたびに、冷や汗が頬を伝った。足の感覚はもうなく、頭は冴えずぼんやりとして使い物にならない。掌は生きている。
 見下ろすと幸いにもひと気はなく、新たに被害を呼ぶことはなそうだった。ここがいくらか高さのある場所で良かったと、爆豪はここまで移動して来た的に感謝した。ここから地上まではおよそ五階建のビルほどだろう。これだけあれば十分だ。
「かっちゃん! 止まれよ! だいたい、物理攻撃は効かないんだろ!? そんなことしたってかっちゃんが無駄死にするだけじゃないか!」
「あいつだって元は人間だろ。首の骨でも折れば嫌でも死ぬだろうが。馬鹿か」
「馬鹿は君だ! いいから戻ってこいよ、かっちゃん!」
 最後までやかましい。爆豪の視線は緑谷から完全に敵に移り、見据えている。キョロキョロと探し回っている阿呆を呼ぶように、大きく爆発を起こした。敵の奇声か、緑谷の叫び声なのかわからない声が、爆豪の頭に響く。クソ痛え。どいつもこいつも叫ぶんじゃねえ。
「ーーああ、ついでに願っといてやるよ」
 視界から完全に緑谷が消える前に、独り言のように呟いた。緑谷はこちらに手を伸ばしている。いつか見たあの表情で、あの目で、爆豪を必死に追っている。
「てめェの来世は個性が宿りますように、ってな」
 迫って来た敵に潰されないよう爆風で交わし、敵の頭を押さえつけるようにしてから急降下した。しかしうまく制御できずに、敵と爆豪は面白いように回転しながら落下する。どっちが地面でどっちが空だかもわからなくなるうちに、己の力が抜けたのがわかった。絶え間なく爆破していた掌も、痛みを感じるだけで音も何も聞こえなかった。
 別に、お前のためなんかじゃない。これは作戦だ。確実にこいつを仕留めるための、必要な戦法だ。合理的じゃないといつかの担任がうんざりするだろうけれど、言うだろう、終わりよければ全てよしと。
 さっき目の前に現れるまでお前のことなんぞ頭の片隅にもなかったといえば、それは嘘になる。だって何処にでもいるじゃないか。新聞にも、雑誌にも、テレビにもラジオにも、お前を見ない日なんて探す方が難しい。だから考えたくなくても視界に入る、と言った方が正しい。自分よりも広告収入を得ていることだって、何処かしらで『No. 1ヒーロー』と掲げられていることだってそりゃあ腹が立つけれど、そんな事実は爆豪自らが塗り変えてしまえばいい話だ。そのうち何処もかしこも爆豪の名前で埋め尽くしてやる。
 だから別にお前に会って色々思い詰めていたものがやけになってぶっ飛んで飛び降りようとしているだとか、過去の素行を悔いての罪滅ぼしだとか、そういうことではない。ただ何となくあの日のことを思い出して、こいつをここから落としてしまえば事が片付くと判断したまでだ。あの日口にしたワンチャンダイブを自ら実行するなんて、いい笑い話じゃないか。そう、これはちょっとした冗談だ。精々上から笑っていろ。元より死ぬつもりは毛頭ないのだ。こいつを仕留め終わった後は、真っ先にそのヘラヘラした顔に一発お見舞いしてやる。だからそこで安心して見てればいい。お前は何にもできない道端の石っころのデクなのだから。
 結局どちらの頭が先に地面についたのかわからないまま、爆豪は意識を空に放った。最後に聞こえたのは緑谷が自分の名を呼ぶ悲痛の叫び声だったような、そんな気がした。

出勝ワンライ お題:希望
2016.10.16


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