「かっちゃんはさあ。あのときもそうだったんだ」
 自分の声が一際大きく響いた。出久は話しかけているつもりであったが、返事なんて一度も返ってこないのでほぼ独り言と化している。それでも、普段はうるせえだの話しかけんじゃねえだの、こちらが喋ろうとすると一方的に遮断されるので、黙って聞いていてくれているだけまだずいぶんとやさしい。いや、もしかしたらただ黙っているだけで出久の話なんて聞いていないのかもしれないし、そもそも居ないものとして捉えられているのかもしれない。まあそれならそれで仕方ない。オタクは話し始めると止まらないんだ。黙ってそこに居てくれるなら、出久はきっと怒鳴られるまで話し続けるのだろう。どうして今日はおとなしいんだろう、変なかっちゃんだ、と少し不思議に思いながら。
「覚えてる? 幼稚園の時、隣の組の体が大きくていじめっ子だったユウタくん。あの子に僕が遊んでた積み木も、電車も、ミニカーも全部取られちゃって」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの出久と、それを面白そうに見下ろす子供。かわいそうに、と思い出しながら幼い自分を慰める。
「口でも力でも勝てなくて、僕は泣くしかなかった。泣けば泣くほど向こうの思う壺だっていうのにね。泣くしか芸のなかった僕はそんなことに気付くはずもないよ」
 あのときすでにオールマイトから授かった個性があれば、なんてたまに考えるけれど、結局何もできずにいたのかもしれない。向こうに非があったとしても、人を傷付けるのは苦手だ。
「そこにね、かっちゃんが現れるんだ。『なにしてんだ! そのおもちゃ返せよ!』って、僕の前に立って、いじめっ子を睨み付ける。その子、かっちゃんよりずいぶん大きかったのに、おもちゃを置いてすぐに逃げちゃったんだ」
 向かい合っているはずなのに、ふと顔を上げても勝己とは目が合わなかった。どこを見ているのか、なにを考えているのか、わからなかった。
「振り向いて、僕に言うんだ。『また泣いてんだ、いずく!』ってね。それからおもちゃを返してくれる。『今度取られたら俺に言えよ。また取り返してやる!』なんて、頼もしい言葉を僕のためにくれるんだ。こうやってかっちゃんが僕をたすけてくれるたびに思うんだよ。かっちゃんはすごいなあ、かっこいいなあって」
 それは、紛れもなくヒーローだった。出久の、出久だけのヒーローだった。あの小さな背中が、どれだけ大きく見えていたか。あの小さな子供の、壮大な勇気にどれだけ救われてきたか。幼少期の頃の話なんて、勝己の記憶にはほとんど残っていないのだろうけど、出久の中にはずっとあったし、これからもずっとあるのだろうと思う。だって勝己は、出久がヒーローという存在を知り、憧れを抱いたきっかけなのだ。爆豪勝己というヒーローが、出久にこんなにも影響を与えているのだ。
「今だってそうだ。派手で、かっこよくて、強くて、かっちゃんにぴったりなその個性を使いこなして、次々敵を倒していく。どんどん前に進んでいく。怖いもの知らずで、絶対に屈しない。その姿が、どうしようもなくかっこいいんだよ。僕の憧れたヒーローはすごいんだぞ! って、自慢して歩きたいくらいに憧れてるし、誇らしいんだ」
 それなのに。
 持っていたノートを開いて、ぱらぱらとページをめくる。中学生の頃、勝己に爆破されたあのノートだ。あのときのものよりもずいぶんと番号が進んだけれど、変わらずヒーローを分析してはノートに書き連ねている。勝己だってその対象だ。彼は何度も出久の『将来のためのヒーロー分析ノート』に登場している常連だ。だって彼のアメーバ顔負けの凄まじい成長ぶりを追いかけていたら、そりゃあ数も多くなるに決まっている。
 そのノートにあるここ最近の爆豪勝己についてまとめたページと、目の前の勝己とを交互に見ては、出久はううんと唸った。
「かっちゃんのことはひとつ残らずまとめてるんだ。観察して、分析して、個性や性格のメリットもデメリットも何もかもがここに書いてある。僕が書いたんだ。物心ついた時から一緒にいて、幼なじみなんていうには仲が悪すぎたかもしれないけど、でもそれくらい僕らは長い間一緒にいて、それだけ僕は君のことを知ってるんだ。知ってるんだよ」
 知ってるんだ。念を押すように、三度目を口にする。
 そう、知っているのだ。この世に存在する誰よりも、勝己のことを知っているのだ。そう断言できるほど出久には自信がある。このノートには爆豪勝己の全てが書いてあるのだから、それは当然だ。
「……知ってるのに、わからないんだ」
 勝己が今何を思って出久の前に立っているのか。勝己がなぜ執念深く出久に突っかかってくるのか。
 わからないのだ。どうしてって、どこにも書いてないからだ。今までの記録と出久自身の経験で爆豪勝己ならこう動く、こう判断する、こう感じると推測することはできる。けれど推測は推測のまま、事実にはなり得ない。勝己に正解を聞くことができないからだ。だから今も、どう思っているのか、何を見ているのか、聞くことができない。行動派オタクと称される出久も、動けなかった。
 長い間出久の声しか響いていなかったこの空間に、勝己の乾いた笑いが加わった。ハッとして顔を上げると、なんとも言葉にしづらいような顔で笑っていた。長々とノンストップで喋り続けたクソナードにうんざりして思わず笑ってしまったか、もしくは呆れかえって笑う他なかったのか、端からてめぇの話なんざ聞いてねえわという意思表示なのか。どれもあり得そうだった。
 勝己の視線をたどると、出久が手にするノートに到達する。そういや昔爆破したなあなんて考えていたりするのだろうか。いや、覚えてすらいないだろうな、と素早く考えを消した。
「てめぇの現実逃避、昔っから変わんねえのな」
 現実逃避、と言われ、ノートを馬鹿にされていることはわかって、出久の頭は簡単に血がのぼる。けれど彼相手に言い返すこともできずに、ノートを強く抱きしめる他なかった。
「精々そのくだんねえノートだけ見てさっさと死んどけ、クソデク」
 そう言って、勝己は踵を返して出久から離れていった。咄嗟にかっちゃん、と名前を呼ぶが、苛立った出久はその先の言葉を考えられなかった。
 ワンチャンダイブ! と自殺を促そうとしてもなお、僕のノートを、生き方を否定するというのか。君は一体何を考えているんだ。どうしてそんなことを言うんだ、かっちゃん。なあ、かっちゃんてば。
 いつの間にか止まっていた勝己の背中を見て、出久も一定の距離を保つようにその場に立ち止まった。いつだってこの距離だ。手を伸ばしても掴めないどころか、触れさせてもくれない。声すらかけられない。いつからこんなに拗れたんだ、僕たちは。
 しばらくその場に立ちっぱなしだった勝己は顔だけこちらに寄越して一瞥した後、当然のように言い放った。
「てめぇは俺の何も知らねえ。わかった口聞いてんなクソナードが」
 わからない。わからなかった。勝己が行ってしまった後も出久は考えた。いくら頭を働かせても答えは出なくて、とうとう立っているのもしんどくなって座り込んでしまった。それでもやっぱりわからなくて、しゃがみ込むしかなかった。
 知ってるじゃないか。君が昔日曜の朝にやっていたヒーロー番組が大好きだったことも、水切りの石選びが得意なことも、僕よりも先にオールマイトを知り、憧れ、ヒーローを目指していたことも、全部全部知ってるじゃないか。それのどこが何も知らないって言うんだ。なんならこのノートにある爆豪勝己についてを延々と演説してもいい。知ってるんだ。僕はかっちゃんの何もかもを知ってるんだ。
 それでも、君のことがわからないんだ。
「……わからないよ、かっちゃん……」
 ノートを大事そうに抱きかかえて、出久はしばらくその場で丸めて捨てられた紙屑のようにうずくまっていた。わからないものは、わからないままだった。

出勝ワンライ お題:現実
2016.10.9


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