読みかけの漫画を本棚に戻して、ベッドの上のぐしゃりとした掛け布団を綺麗に敷き直す。どうせ綺麗にしたところでいちばんにここに飛び込むのは目に見えているものの、親しき中にも礼儀ありということだし、一応は客には変わりないので明後日を向いている枕もきちんと元の位置に戻した。客、といっても、高校生ながらに半同居状態の幼なじみは、家にきてはふざけたように『ただいま』とへらりと笑うのだ。家族もそれに合わせて『おかえりなさい、りっちゃん』なんて嬉しそうに答えるのだから、やはり客なんて肩書きは似合わないかもしれない。
 机の上の携帯がバイブと共に着信を知らせる。ろくに画面を見ずに電話に出ると、思った通り凛月の声が聞こえた。

「ま〜くん、外、外見て」
「はあ? 外?」

 もしもし、なんて定型文をすっ飛ばして、スピーカー越しの声は指示を出す。心なしか機嫌がよさそうなのは、もう日もすっかり落ちているからだろうか。
 言われた通り外を見ようと部屋の窓を開けると、リュックを背負った凛月が嬉しそうにこちらに手を振っていた。さっき学校で見つけたときは死人のように眠っていたのに、随分と楽しそうである。

「何やってんの、おまえ」
「寒い寒い、ま〜くん早く入れて」
「いや、インターホン押せよ」

 今行くから、と外にいる凛月に声をかけて、窓を閉めてから階段を駆け下りる。りっちゃんきたの?、という母の問いかけにきた、と短く返事をして、玄関の扉を開ければ、寒そうに鼻を赤くした凛月がやはり嬉しそうに立っていた。

「寒いならさっさと入ればいいのに」
「ふふ、恋人みたいだったでしょ」
「アレだろ、この前おまえが読んでた漫画」
「ありゃ、ばれたか」
「まあ、65点くらいかな」
「厳しいねぇ」

 はいこれ、と渡された袋に入っていたのは、適当なお菓子と凛月の分であろう炭酸ジュースが一本。正確には凛月は一口しか飲まずに真緒の元に残りがやってくるので、真緒の分といっても過言ではないが。

「ただいまぁ〜」
「あらおかえりなさい、りっちゃん。明日から修学旅行、いいわねぇ。楽しんでいらっしゃいね」
「はぁい」

 お決まりのやり取りをしているところで、真緒はリビングにあったスナック菓子と暖かいお茶を淹れたマグカップを持ってくる。嬉しそうな凛月に、同じく嬉しそうにニコニコする母の横を通って凛月に部屋に行ってろと催促する。母と仲良く話す凛月を見るとなんだかモヤっとするのは、真緒自身もよくわかっていない。

「りっちゃんたらまた随分と綺麗になっちゃって! さすがアイドルねぇ、我が子じゃなくても鼻が高いわぁ」
「俺も一応アイドルだけど」
「やだ、そんなに邪険にしなくてもあなたからりっちゃんを取ったりなんかしないわよ。ただの挨拶じゃない」
「そんなんじゃないから……。明日、朝飯二人分よろしく。凛月もあんま食わないだろうし軽くていいから」

 母はいちいちからかうのだ。本人は真緒の反応を見て楽しんでいるんだろうが、こちらとしては毎回心臓が痛むのでいい加減にやめてほしい。
 足で部屋の扉を開けると、やはり凛月は綺麗に直したベッドの上で転がっていて、先ほど本棚に戻した漫画をパラパラと捲っていた。部屋を片付けた身にもなってほしいと溜息を吐きながら、背中で扉を閉める。おかえりぃ、と凛月は笑顔で振り向いた。

「かわいいねぇ、ま〜くん」
「妬いてなんかないからな」
「おばさんにも言われたの?」
「うるさい」

 床に適当に菓子を広げて、凛月にジュースを渡す。新商品なんだって、とあまり興味がなさそうに呟いて一口口にしてからはい、と手渡される。続くように一口飲むが、特別美味しいわけではなかった。

「というかおまえ、荷物ってそのリュックだけ? 少なくねえ?」
「着替えと、アイマスクと、財布と、んん、あとなんだっけ」
「着替えと財布は別にしろよ……着替え持ったまま歩くのか?」
「荷物ふたつも持つのめんどいんだもん」
「もん、じゃね〜よ。あ〜、小さいカバンあったっけな……」
「ま〜くんのカバンに財布入れてよ。うん、これで解決〜」
「俺の荷物が増えるのかよ!」

 結局、凛月に小さいカバンを渡しても向こうで自分が持つ羽目になるんだろうな、と考えている間に、凛月は自分の財布を真緒のカバンに入れてしまった。どうせあのリュックには雨具もゴミ袋も、歯ブラシやバスタオルなんかも入っていないのだろう。後で追加しなくちゃな、なんて無意識に思ってしまうあたり、周りが言うように本当に凛月には甘いようだ。

「ま〜くんって、ほんと俺のこと好きだよねぇ」

 ドキリと心臓が跳ねた音がした。いくら吸血鬼だからといって、心なんて読めやしないだろうに。(未だに凛月がホンモノの吸血鬼かどうかはわからないけれど)
 確かに、今日泊まりに来いと言ったのは真緒だ。自分の支度をしながら凛月が起きたかどうかを焦って確認するより、同じ部屋で同じ時間に起きてしまった方がよっぽど時間の短縮になる。別に理由はそれだけ、というわけでもないが。

「おまえとおまえの荷物を担いで朝から走るなんて御免だからな」
「んん、努力はするけど、ま〜くんの頑張り次第かなあ」
「なんでそんなに偉そうなんだよ……」

 小さく笑っている凛月は本当に楽しそうで、まるで遠足前夜の幼稚園児のようだと思った。今まであまり行事には関心がない凛月だったが、楽しみに思えるようになったのは純粋にいいことなのだろう。去年の今頃、修学旅行の話題を振ってもたいした反応がなかったことが懐かしい。ここ最近体調がよくなかったことを真緒も気にしていたのだが、この調子なら思う存分修学旅行を楽しめそうだ。

「ねえま〜くん」
「ん? ってうお、なんだなんだ」

 凛月が転がっていたベッドに引きずられ、真緒も一緒に転がった。いたずらっぽく笑う凛月は掛け布団を引っ張ってきて、ふたりまとめて頭からつま先まですっぽりとおさまってしまった。

「修学旅行ごっこ」
「ごっこってなんだ……明日から本番だろ」
「こうやってねぇ、みんなで布団かぶって、夜中ずっとお喋りするの。恥ずかしかった話とか、誰かのヒミツとか、好きな子教えあったりとか」
「まあ、おまえはずっと元気だろうなあ」

 まくら投げなんかもいいよねぇ、と凛月は話しながら足をばたつかせた。凛月の笑顔が、間近でキラキラと輝いている。

「俺の好きな子はねぇ、ま〜くんなの」
「え、いま?」
「ま〜くんは優しいしかっこいいからみんなに好かれてるけど、いちばんま〜くんが好きなのは俺なの」
「ちょ、待って、凛月」
「ま〜くんと一緒にいる時間も、ま〜くんのことよく知ってるのも、ま〜くんが好きなのも、ぜ〜んぶ俺がいちばん」

 凛月の手が真緒の手と重なる。少しずつ絡まれていく指がどうにもくすぐったい。すぐ近くで目が合うと、凛月はふにゃりと顔を緩ませた。

「ま〜くんのいちばんは、だあれ?」
 
 繋がった手をぎゅっと離れないように握り、凛月の目をじっと見た後、触れるだけの軽いキスをする。凛月の薄い唇は柔らかくて、少し熱を持っていた。色白い肌の上にほんのり紅色を乗せたように、凛月の頬が染まっている。きっと真緒も同じように、またはそれ以上に赤く染まってしまっているだろう。もう一度、と欲を出して顔を近づけるが、空いていた反対の手でそれは制されてしまった。

「口に出してないからやり直し〜」
「ええ、そんなルールあるのかよ」
「俺はちゃんと言ったでしょ。ま〜くんが好き〜って。俺のいちばんはま〜くんだ〜って」
「わ、わかった、わかったからあんまり言うなって」
「好きって言われるのは恥ずかしいのにちゅ〜はしたがるんだねぇ。お年頃だねぇ」
「あ〜もう、電気消すぞ! 明日朝早いんだからな!」

 電気を消して部屋を暗くしたって、凛月がご機嫌で笑顔なのには変わりなかった。背中を向けても「ま〜くん、ま〜くん」と甘い声で名前を呼ばれて、そんなの振り向かないわけにはいかないのに。
 シャンプーの香りが残る前髪をかきあげて現れた額に、ふんわりとキスを落とす。それからお望み通り、「俺のいちばんは凛月だよ」と囁けば、凛月は満足げに微笑んだ。



去年のワンライに参加した際の文でした。お題は『修学旅行前夜』


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