※まおりつセッをドア越しに聞いてしまうレオの話
※えろくない




 鈍器で頭を強く殴られたような衝撃に体全体が揺れた。反射的に跳ね起きるとそこは見覚えのあるような長い道が続いていて、ここが廊下であることを思い出すのに随分と時間がかかった。そういえば、と殴られた衝撃を思い出して周りを見渡すが、虫一匹すらいる気配はない。それもそのはずだ。レオの頭を殴ったのは鈍器でも何でもない、意識のある寸前まで悶々と悩ませていた霊感である。
「ああっ、インスピレーションが湧いていたのか! 眠ってても作曲ができるなんて、やっぱり俺は天才だな……☆」
 それならばと、近くに落ちていたペンを握りしめていざその賜物を現実に産み出そうとしたが、確か眠る前まではこの辺にまとめて置いておいた楽譜が遠くへと飛んで行ってしまっていた。手の届く範囲にあるのはほんの数枚で、手繰り寄せて一音たりとも逃さぬようペンを走らせるが、レオから溢れ出る音たちはまるでこの数枚では事足りない。かといってあの散らばった紙たちを集めに行くのも億劫で、足りない分は構わず廊下に描いていった。誰に何を言われようと、邪魔をされる権利はない。だって、新たに歴史に残る一曲が生まれる瞬間なのだから。
 しかし、順調に書き進めていった音符の羅列をしばらく凝視したあと、レオは正気に戻る。溢れんばかりに湧いた霊感はもう枯渇し、長い廊下をめいいっぱいに彩る音たちにはなんの魅力も感じられなかった。
 あー、だとかうーだとか、なんの意味のない音を声に出して、頭をぐしゃぐしゃに掻き蒸しる。これでもう何度目だ。ただの時間の無駄になった廊下の残骸を横目によろよろと力なく立ち上がって、そのままどこへ行くでもなく長い長い廊下を歩き始めた。今度は、今度こそ最高傑作だと思ったのに。世界を唸らせる愛すべき曲が、この手によって出来るはずだったのに!
 ここ最近のレオの調子は、お世辞にも良いとは言えない状況だった。何が悪いのかはわからない。そもそも、悪影響によって生じる不調なのか。原因はちっとも心当たりがなかった。長い間Knightsにも学院にすらも近寄らなかったが、作曲だけは怠らなかった。むしろ、作曲のために生きていた。食事も、睡眠も、そんな人間らしい行為は作曲の妨げだ。すべての時間を作曲に捧げ、すべての知識を作曲に詰め込んだ。その間にも、多くの人間に賞賛されて、表彰されるようなものが多く生まれた。別に、他人の評価なんて気にしたことも求めたこともないのだけど、イコールレオの曲は最高傑作であることが証明されることになる。賞状やトロフィーなんて、ただのガラクタに過ぎない。表彰されるあの時間すら無駄だ。けれど、レオの産み出した最高傑作が愛されるのは当然だけれども純粋に嬉しいものだ。レオが愛した曲だ。誰からも愛される曲になるはずである。
 それなのに、今のレオは何も産み出せない。自分すら愛することのできない、陳腐な文字や音符らはどこか寂しそうに、レオを見つめている。

 ぐらりと体が大きくふらついた時、普段だったら作曲を邪魔されない限り気に留めない程度の物音に、理由もなく意識した。ギイ、と床の擦れる音。それから、誰かの話し声。誰が喋っているのか、何を話しているのか、音が小さすぎてレオにはわからなかった。まあ誰かが空き教室を使ってレッスンを行っているんだろう、と適当な推測をした。安易に答えを出すのはあまりにもつまらなかったが、今はそんなことはどうでもよかった。
「っ、あ」
 どうでもよかったのに、わずかに聞こえた上擦った声でレオは勢いよく顔を上げた。それに続くようにドタバタと物音がして、焦ったように話し声が聞こえた。やはり何と言っているかということまではわからない。
 体の奥が妙に疼く。喉に手を突っ込んで掻きむしりたい衝動に駆られた。いや、ちがう。もっと奥だ。もっともっと、手の届かない何処かで、何かがレオの中で蠢いている。わからない。考えてもわからないのではない。そもそも考えられなかった。
 レオは弾かれるように長い廊下に沿って並んでいる教室の扉を片っ端から開けていった。扉を開ける音と、レオの足音と、短く吐かれる息だけが響く。あの上擦った声も、話し声も、レオの発する音で掻き消されていた。

 いくつめかわからない扉に手をかけたところで、レオの動きは止まった。いる。気配がある。この教室の中に、誰かがいる。
 先程までの荒々しさはなく、レオはただじっと扉を見つめた。音はしない。物音が聞こえて必死にやり過ごしているのだろう。緊迫した空気に釣られて、ゴクリと喉を鳴らす。
「……行ったか?」
 聞こえた。今度ははっきりと、レオの耳に届いた。その声を何度も頭の中でリピートして頭に浮かぶ顔と当てはめる。わからない。だいたい、レオの中に顔と名前が一致している人間なんて、たかが知れている。
「だからここでするのは嫌だったんだ……どうすんだよ、誰かにバレたりでもしたら」
 呆れたように、ひとりは言った。バレてるぞ。お前は誰だか知らないけど、この俺にバレてるぞ。
「そういって、興奮してるくせに」
 ゾクリ。疼いていた何かが一際大きくレオの中で蠢いた。ぶわりと汗が噴き出し、扉に触れていた手は小さく震える。この声は。待って、わかる。これはわかる。だって、だってこの声は。
「それは……凛月のせい、だろ」
 嗚呼、そうだ。『凛月』だ。俺のKnightsの、『俺のリッツ』だ。声を聞いて、間違うはずがない。レオの愛した曲を歌う凛月は酷く美しくて、惚れ惚れした。だからKnightsにいる。レオの曲に凛月は必要なのだ。だから、忘れるはずもない。
「俺はちゅ〜したかっただけなんだけど?」
「……」
「あっ、ちょっと、急に動かないでよ」
「早く終わらせるから、ちょっと我慢な」
「ん、ぅ」
 静かになった空間に不定期に起こる水音と、空気の溢れる音、そしてあの上擦った声。レオはその場から動くことができなかった。相手は誰なのか。凛月がなにをしているのか。なにも考えられなかったけれど、変わらずレオの体は疼いている。もどかしい、どうにかしたい。この蠢く何かをいったいどうすればいい。
 途端に、何かが溢れ出る感覚に襲われてレオはたまらず後ろに仰け反った。ああ、出る。出てくる。聞こえるのだ。今までにないような素晴らしい音たちが、奥の方から犇めき合いながら我先にとボコボコと音を立てて、湧き出る何かに踊らされるように握りしめたままのペンをそのまま壁や床に走らせる。全身に纏う熱を吐き出すように、一心不乱に描き続けた。
 最早それが曲なのかどうかわからなかった。ただ感じるままに、湧き出るままに腕を任せ、ペンに託す。教室から聞こえる音が消えるまで、レオはその場で音を産み出していた。
 

title by rrr


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