※暴力的表現がすこし







 ばちん。
 静かだった部屋からそんな音が聞こえた。それは外にまで響いているが、日常茶飯事なため誰も気に留めない。初めは心配しに何回か足を運ばせた者も居たが、ついには誰も来なくなった。
 ガゼルの頬は赤く腫れあがっていた。外に出ていないせいで冷たいほどに色白い彼の肌には酷く目立ち、更に痛々しく思えた。それを見て、ヒロトは嗚呼可哀想にと優しくその頬を撫でてやる。されるがままのガゼルはただうっとりと自分の頬に触れる手を見つめていた。

「ねえガゼル。幸せかい?」
「……とても」

 はたから見れば加害者は完全にヒロトであるが、彼は十分な被害者だと否定する。
 ある日、ガゼルは何の前置きもなく「私を殴ってほしい」とヒロトに告げた。理由を聞けば別にチーム内でいざこざがあったわけでもなく、バーンと揉めたわけでもない。ただ、自分を殴ってほしいだけだと言う。拳で気が引けるなら張り手でもいい。何なら椅子でも何でも使ってくれて構わない。何でもいいから、私を殴ってくれ。それがガゼルの願いらしい。だが、そこまでして何故殴られたいのか。そして、何故頼ったのがヒロトだったのか。
 あの日の数ヶ月前から付き合いはじめていた二人だったが、『お父様』の計画を遂行するにあたって、特にイベントを楽しむ事も出来ずに過ごしてきたのである。今まで妙にふわふわして覚束ない、曖昧な距離感だったのにも関わらず、殴れだなんて言われて素直に「はい」と頷けるわけがない。否、距離がどんなに近くても、殴れるはずがない。
 しかし、彼の瞳から逃れる事はできなかった。仕方なしに叩いた頬は、想像以上に赤く腫れ、自分の手のひらも赤くなり、じんじんと痛みを感じた。焦ってガゼルの顔色を伺うが、当の本人は満足げに微笑んでいるのである。ありがとう、また頼んでもいいかな。そう、優しく囁きながら。
 
 彼は自分の頬を優しく撫でるその手が好きだと言った。痛々しく腫れるほど、その手は優しく頬を包む。それが堪らないと言った。
 

「ねぇガゼル。きみは自分の姿を鏡で見たかい?」
「もちろん。毎日見ているさ」
「もうやめにしようガゼル。これ以上やったってきみが傷付くだけだ」
「それは間違いだよヒロト。私は傷付いてなどいない」
「それこそ間違いだ。鏡を見ているんだろう? きみの姿を見てみてよ。酷く痣だらけじゃないか」
「知っているよ、ヒロト。私はきみの本当の気持ちを知っている」
「本当もなにも、やめにしようとーー」
「楽しくて仕方がないんだろう? 口では嫌々言っているが、本当は私の体に痣が増えるたびきみは喜びに満ち溢れているんだろう? そして傷付いているのは私の体ではない。罪悪感と矛盾で押しつぶされそうなきみの心だ。そうだろう? ヒロト」

 心の中で言い訳を並べながら何度も何度も傷付けてきたガゼルの体は酷く痣だらけである。
 そして心の中で言い訳を並べながら何度も何度も傷付けられたヒロトの心は、黒く歪んでいるのであった。
 



title by 白群


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