※モブ女がすごく出しゃばる
以前、とある女子から「霧野くんは気持ち悪いよ」と言われたことがある。その時は別に傷付いたとかムカついたとかそういうことを思ったわけではないけれど、ただ「霧野蘭丸は気持ちが悪い」という事実を急に突き付けられて、目の前が真っ白になったことは覚えている。ちなみに、このことは神童は勿論他の人間には話していない。あの女子がベラベラと言いふらしていない限り、俺とあの女子だけの話である。
部活が終わった午後六時半を過ぎた頃、一年の片付けを手伝っていたところに名前の知らない女子生徒がグラウンドに入ってきて、俺の目の前で止まった。その女は勝手に顔を赤く染めて、ギリギリ聞き取れるくらいの声で俺の名前を呼んだ。霧野くん。練習が終わったなら少し話がしたいんだ。だめかな。
駄目だ。俺は即答したかった。だって今はこうして片付けをしているし、まだグラウンドにはユニフォームを着たメンバーが多く残っている。確かに部活時間の終了を知らせる放送とチャイムは流れたが、明らかに今話せる状況ではないのは見ればすぐにわかるはずである。けれど一年をはじめ、神童までもが片付けはやっておくから行ってこいと言うのだ。それをいいことに目の前の女は俺の腕を引っ張った。乱暴に握られたそこは女の手汗でベタベタになってしまい、眉間にしわが寄る。
こんなにも馴れ馴れしく触らないで欲しかった。こんなに触られるほどお前と仲が良かった覚えはないし、というかいったいお前は誰なんだ。こっちは知りもしない女に触られて興奮する変態野郎とは違ってすこぶる気分が悪いというのに。頼むから早く離してくれ。早く神童の元に返してくれ。
「あの、霧野くん。霧野くんは、彼女とかいたりするの?」
「いない」
「そ、そうなんだ……! そうだよね、部活忙しいもんね」
ほっとしたような表情を浮かべる目の前の女を見て反吐が出そうだった。コイツが何のために俺を呼び出してわざわざ人気のない場所に連れ込みその口から何を発するのか、もうわかっている。神童ほどではないにしろ、俺もわりとこういう場面に立ち会っているのだ。だいたいどいつもこいつもパターンが同じで新鮮味に欠ける。こちらの時間を割いてまで付き合ってやっているのだから、どうせなら少しくらい楽しませてほしかった。
「その、私、一年の時霧野くんに助けてもらった時から気になってて、サッカーやってる姿もすごくかっこいいなって思ってて、気が付いたらいつも目で追うようになっちゃってーー」
「ごめん、助けたとか覚えてないんだけど」
「あっいいの! 全然たいしたことじゃなかったし、一瞬だったから」
「……そう」
「うん、あの、それでね、もしよかったら、私と付き合ってほしいなってーー」
「悪いけど、俺そういうの全部断わってるんだ」
「サッカーを邪魔するようなことは言わないよ! 霧野くんを支えられるように私頑張るから!」
顔も目も真っ赤にして必死に訴えてくる女はジリジリと俺との距離を詰めた。そんなことをしたところで俺の答えは変わらないし、だいたい今断わったではないか。最近は一言断ったらそれきりで良かったのに、今回は随分としつこい。そもそも俺を支えるなんていったいどの口がほざくのだ。顔も名前も知らない赤の他人なんかに支えられてたまるか。
「俺、彼女とか作る気ないんだ。今はサッカーが一番だから。ごめん」
「……サッカーが一番なんてウソでしょ」
「は?」
途端に、目の前の女は眼の色を変えてギロリと鋭い目付きで俺を睨んだ。思わず後ろに一歩下がるが、残念ながらすぐ後ろは硬く冷たい壁だった。
「みんな言ってる。霧野くんはいつも神童くんと一緒にいて、ずっとずっとくっ付いてて、金魚の糞みたいに付いて回ってるって」
「…………」
「神童くんも霧野くんも男の子なのに、カップルみたいにいつもべったりくっ付いてるって」
「…………」
「こうして女の子から告白されても全部断ってるのはサッカーのためじゃなくて神童くんといる時間を増やすため。霧野くんの一番はサッカーじゃなくて、神童くんなんでしょう?」
木の陰から数人の女子が現れた。奴らは、確か神童を取り巻く女子の一部だ。過去に何度かよくわからないいちゃもんをつけられたことがある。
つまり今回の告白はこのための茶番に過ぎなかったというわけだ。
「シン様、本当は迷惑してるに違いないわ。優しいお方だから何も言わないだけであって、あんなにべっとりくっ付かれてはいくら親友でも吐き気がするもの」
「結局はシン様がいなければ何もできない、見た目も中身も女々しい女男だったってことね」
四、五人がいきなり襲い掛かってきて、俺は耐えきれずその場に倒れてしまった。腹の上には先ほど告白のしてきた女が跨っていて呼吸がし辛い。両手両足も押さえつけられてしまってうまく身動きが取れない。力でなんとかしようとも思ったが、こちらが被害者であっても相手は仮にも女である。きっと神童に女に手を挙げたことを知られたら酷く叱られるだろう。
「おい、なんの真似だ」
「こんな時にも冷静でいられるなんて、流石雷門サッカー部のディフェンダーだね、霧野くん」
「いい加減にしろ」
「いい加減にして欲しいのはこっちよ! 貴方のせいでシン様は自由に生活できないのよ!」
「貴方なんかいなければ!」
「シン様を返して!」
俺の上に跨っている女がスカートのポケットから小さな鋏を取り出して、ユニフォームを切り裂いた。押さえつけられている俺は当然抵抗できるはずもなく、ただ綺麗に裂かれたユニフォームを見つめた。これでは新しいユニフォームを買わなければならない。ユニフォームが破けました、なんて言ったら監督は怒るだろうか。
「霧野くん。霧野くんが男の子じゃなくて女の子だったら、私たちは何も言わなかったよ。羨ましく思うかもしれないけど、だってきっとお似合いだもの。けどね、霧野くんは女の子じゃない。男の子なの。神童くんも霧野くんと同じ男の子。わかるでしょう? 男の子同士で結ばれることはないし、赤ちゃんは生まれない。神童くんはきっと神童財閥を継ぐために生きていく。その人生に霧野くんは必要なのかな。霧野くんは神童くんのために、神童財閥のために、何が出来るのかな」
鋏の冷たい刃が俺の喉から胸元を走った。ひんやりとした感覚が体を震わせる。
「霧野くんって、気持ち悪いんだよ」
title by 骨まみれ