あっと、思わず声が出た。ほんの一瞬、しかも後ろ姿をちらりと見ただけだったが、俺にはすぐにわかった。あの人だ。
 声を掛けようか迷った。けれど、あの人とは以前行った試合でしか顔を合わせていないし、そもそもきちんと会話らしい会話をしたのはあの人のチームのキャプテンだけだ。それに、チームメイトがあの人の性別を揃って疑うものだから、いったいどう呼んだらよいかわからなくなってしまった。確かにあの人はとても綺麗だ。日の光に当たって煌めく桃色の髪と深く吸い込まれそうなエメラルドグリーンの瞳が今でも忘れられない。そんなあの人を、彼らは揃って女性だと言うのだ。ホーリーロードに女子は出場出来ないと言っても、家の事情がどうとか、性癖がどうとか、よくもまああることないことを平気でずらずらと並べるのである。失礼にも程があるとその場では呆れたが、こうして本人を目の前にすると建物の陰に隠れてああだこうだと思考を巡らせてしまっている自分も、結局は彼らと同等なのだ。ああなんて情けないのか。こんなチームをどうか許してほしい。

「あ……、天河原中の」
「えっ」

 喜多くんだ。そう俺の名前を呼んだのは雷門中のキャプテン、神童くんだった。隣であの人はああそうだ、きたくんだ、なんて言って笑った。(あ、まずい。この距離でこの笑顔はかなりまずい)続けて、きたくんはこんなところで何をしてるのかとあの人は尋ねてきた。恐らく漢字に変換できていないのだろうというそのふわふわとした呼び方は俺の耳をくすぐった。

「練習が休みだから散歩がてら店を覗いてたんだ。今は休憩中。君たちは?」
「俺たちもそんなところだ」

 休日にふたり揃って出掛けるなんて仲がいいんだねと、自分で口に出してからぐさりと何かが何処かに刺さる音がした。少し、痛い。ふたりは顔を合わせてから少し笑った。ああ、どうやらあの人は笑うと眉が下がるらしい。
 それじゃあこれでと、ふたり揃って俺に背中を向けようとした。また試合をやろうと、神童くんは言ってくれた。あの人は黙って手を振ってくれた。ぜひやろう。今度は負けない。そう言って俺も手を振った。
 あの人の髪が風に吹かれて綺麗に靡く。手を伸ばせば、届きそうだった。

「あ、あの、霧野、さん」
「……は」

 笑顔だったあの人の表情が固まった。隣の神童くんからも笑顔が消えた。つまり、俺はやってしまったらしい。全身の穴という穴から汗が吹き出ているような気がした。ああ、だから言ったのに! それなのに彼らがあんなにも疑うから!

「や、その、えっと」
「ーー秘密だよ、喜多くん」
「え?」

 すぐそばまで歩み寄ってきたあの人は今日一番の笑顔でそう言って、耳元で囁いた。

「実は俺、女なんだ。ワケあってホーリーロードには出させてもらってるんだけど」
「…………え?」
「このことは、神童と喜多くんしか知らないから。絶対秘密だよ」

 悪戯っぽくウィンクをしてみせたあの人、いや霧野さんは、神童くんと腕を組んで人混みの中に紛れていってしまった。霧野さんはもうこの場にはいないのに、まだ霧野さんの香りが残っている気がする。シャンプーの香りだろうか。耳元で囁かれたあの声が脳内でリピートされている中、俺の顔は熟したトマトも驚くくらいに赤く染めあがっていた。



title by Rachel



「……いいのか? あんなことを言って」
「ああ言う奴はいっぺん痛い目に合っちまえばいいんだ」






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