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シャイニング事務所の神宮寺レンは、枕営業をしているらしい―――…

 そんな、下世話な噂が真しやかに囁かれだしたのはいつからだったか。そんなこと、下らなすぎてもう覚えてもいない。



【星に願うは】



この世界ではそういうことがあるらしい、とはなんとなくではあったが知っていた。いや、もしかしたらそういうイメージがある、というだけだったかもしれないが。それはともかく、「枕営業」なるものを知らなかったわけではない。しかしまさかそんな、自分の身近で起きることじゃないと、なぜか思い込んでいたから。自分の周りとは縁のない話だと思っていたから。だから最初に聞いたときは、まさかあの男がそんなことするわけないと、俺は信じられなかった。噂はただの噂であって、真実じゃない。奴は確かにそういうのを惹きつけるような美しい容姿をしていたし、色気は無駄なまでに振り撒いてはいたけれど、プライドは高いはずだと。俺の知る奴ならば、売れるために体を許すほどプライドは低くないはずだと。そう思い、真に受けようとはしなかった。
 今思えばきっと、俺はそう自分に言い聞かせていただけだったのだ。そう思い込むことによって安心しようとしていた。叫びだそうとする自分を抑え込んでいた。思う、というよりも、そう願っていたといった方が正しいのかもしれない。
 けれどどこかできっと、そうかもしれないと疑っていたのだと思う。だからこそ、真実を探ることを、知ることを恐れた。自分の望まぬ現実から目を反らそうとしていた。ただの自己防衛、否、現実逃避。

 だからあの時、テレビ局の局長に肩を掴まれ、諦めたように笑うあいつを見て―――俺の視界は、一瞬で真っ赤に染まった。



『神宮寺、貴様恥を知れ!!』

 衝動的にその場から奴の手首を掴んで無理矢理連れ去り、二人になったところで俺は怒鳴り散らした。そして間髪入れずに思いきり頬を殴ったときの、奴の呆然とした顔は今でも忘れられない。
 今考えれば、あの時の行動はあまりに衝動的すぎる愚かなものだったと思う。奴のこととなるとらしくもなく感情的になるのはいつものことだったが、それにしてもやりすぎだったと。考えるより先に体が動いていた。あの時俺の体を支配したのは、懸念していたことが真実であったことへの失望、落胆、そして怒り。
 けれど、奴にとってもそのくらいの方が気付け薬になったのは、確かで。

『―――お前にオレのなにがわかるっ…!』

そう美しい顔を歪めて苦しそうに吐き出す神宮寺の頬を伝っていたのは、涙だった。そのあまりに綺麗な雫に動揺して我に返った俺を、お前には関係ないことだ、と拒絶する声は震えていて。「枕営業」など、望まぬことなのだと思い知らされる。神宮寺が望んだことではないのだと。
 あの時、それがわかった瞬間、自分勝手な俺は酷く安堵したのだ。怒りなどすっかり消え去っていた。代わりに俺を満たしたのは、自分の望む神宮寺であったことへの安堵。そして、この男を守ってやらなければならないという使命感だった。
そうして気づけば俺は、微かに震えるその痩身をしっかりと抱き締めていた。驚き慌てて逃れようとする、自分より背の高い男をぎゅっと自らの腕のなかへと抱え込む。

『ちょっ、お前なにして…!』
『…関係ないだなんて、言わないでくれ』
『はっ?』

 やはりあの時の俺は、どこまでも自分勝手だったと思う。では今は違うのかと問われれば、むろん違うとは言い切れないのだが。確かにきっと、もう一度あの時に戻ったとしても、俺は同じことを繰り返しただろう。
 しかしやはり、あの時の俺は狡かったのだ。あんな、奴の足元が覚束なくなっているあの時に、まるでそれにつけいるかの様に、俺は奴にとって酷く甘美だったであろう言葉を紡いだ。

『俺は、お前を守りたい』
『お前、なに言って…』
『―――お前が好きなんだ、神宮寺』

 積年胸の内に秘めてきた想い。勢いと打算で告げたそれに、がくりと神宮寺は崩れ落ちた。突き放されず、逃げられず、拒絶はされない。けれど同時に、声を上げずに唇を噛み締めてただただ涙を流す神宮寺は、肯定も口にはしくれない。明確には帰ってこない返事。しかしその中で、俺のシャツを離しはしないその左手だけが、真実を告げていた。



 そう、こうして俺たちは晴れて恋人となったのだ。
 初恋は叶わないなどと、誰が言った?俺の初恋は見事に成就した。幼い頃に大好きなお兄ちゃんへと芽生えた小さな恋の蕾は、十数年の時を経て、ようやく見事な大輪の花を咲かせたのだ。



 ―――あぁ、確かに恋は実った。
 しかしあれから一ヶ月。俺は未だに、神宮寺に手を出せないでいた。







「なあ聖川、お前明日の予定は?」
「明日?明日は午後から撮影だが」
「ふーん…奇遇だね、オレも明日は午後からなんだ」

 事務所寮の俺の部屋。我が物顔で寛ぐ神宮寺とこうして二人だけの時間を過ごすのは久々だった。お互い駆け出しのアイドルで、ついでに自慢ではないが二人とも売れているがために会える時間は限られる。学園時代やマスターコースの時のように毎日会えるわけではないのはわかっていたが、ここまで会えないとなるとどこか寂しいなんて、贅沢な悩みなのだろう。あの毎日嫌でも顔をあわせていた頃に、己の気持ちに少しだけでも素直になっていればなんて、今さら悔やんだところで仕方のないことだ。



 あの後すぐに、「枕営業」なんてやめさせた。というよりも、元々そんなことはしていなかったのだと言う。ただ、少なからず誘われていたのは事実で、あの時もそういった用件だったのだと。俺が殴ってしまった謝罪をすると共にわけを話すと、そんな安いことはしないよと笑った神宮寺は、けれど殴ってくれてありがとうとも言った。

『あの時お前が殴ってくれなかったら…正直、どうなってたかわからない』

 家のことまで引き合いに出されてしまうと、カマをかけられているのかもしれないと思っても、どうしても揺らいでしまう。もしも万が一本当だったらと思うと首を縦に振りそうになってしまう、と。
 それは仕方のないことだ。神宮寺はあれで、家のことを憎むと同時に、認めてもらおうと、必要としてもらおうと必死なのだから。広告塔として家に貢献している神宮寺としては、人気を落とすわけにはいかないのだ。しかし同時に、「枕営業」をして得た仕事に、認めてもらう価値はないとわかるくらいには冷静でもある。その冷静さを欠きそうになったときの一発。衝動的に、しかも勘違いで殴ったなんて愚かにも程があるが、そのおかげで神宮寺が冷静さを取り戻したのも確からしかった。

(―――そうかも、しれないが)

 言い換えればあの時の俺は、冷静じゃなかったお前の心の隙につけいったも同然で。だから未だに俺は、信じきれていないのだ。もしもお前があの時弱っていなかったら、俺のことを好きかもしれないだなんて思わなかったかもしれない。その場の勢いに流されなかったかもしれない。いつか正気づいて後悔することになるかもしれない。そんなことは、させたくないから。
 大切に、大切にしたいのだ。
 幼い頃に、俺を外の世界へと連れ出してくれた大切なお兄ちゃん。誰よりも綺麗で、鮮やかで、刺激的だった彼に心惹かれるのは当然のことで。初めて出会ったそのときから育み始めた恋心は、あの頃からちっとも色褪せてなんかいない。寧ろ日々、鮮やかになっていく。言葉では尽くせないほど、誰よりも、なによりも大切だから。
 あの時はつい勢いで告げてしまったけれど、そんな一時の感情で流されてほしくないのだ。だから結局はこんな形にしてしまったけれど、でもせめて、お前が本当に俺を好きになってくれるまで待とう―――あの日、冷静になってそう決めてから一ヶ月。俺は日々、本能との闘いを繰り広げていた。



「…ねぇ」
「………」
「ねぇってば、聖川」
「うおっ!なんだ神宮寺、近いぞ!」

 呼びかけられて意識を戻せば、視界いっぱいに広がる馬鹿みたいに整った顔。近すぎるその距離に思わず抗議の声を上げれば、奴はわざとらしく肩をすくめて離れていった。隣に座り、悠然と足を組むその姿は、そのふてぶてしい不遜な仕草が嫌味なほどに似合っていてさすがというべきか。こちらを流し見る神宮寺は、驚く俺を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、呆れたように口を開いた。

「あのね、そっちがオレのこと見つめてきたんでしょ?それなのにいくら近づいてもお前はどっか飛んじゃったままだし。挙句の果てになんだときたか」
「うっ…」
「だいたい恋人が部屋に遊びに来てるってのに、その存在を忘れるほど物思いに耽るなんて失礼じゃない?」
「すっ、すまん」
「…ま、いいけどさ。それで?オレのことほっぽって、真斗くんはいったい誰のことを考えていたのかな?よほど素敵なレディなんだろうね」

 そう言って、神宮寺は不必要に挑戦的に笑う。
 あぁ、こいつのこういうところは本当によくわからない。不満を言っているようでいて、どこかまるで、俺に他に好きな人がいるかのが当然だというような発言をする。というよりも、自分以外に他に好きな人が、本命がいることを願っているような。しかしそれでいて単純に俺に本命がいることを恐れたり、不安がっているわけではないらしいから、途方に暮れる。

「―――お前のことだ、神宮寺」
「へっ?」
「俺が物思いに耽る相手など、お前以外あり得ないからな」
「っ、バッカじゃないの」

 なぜならこうしてお前のことだと本心を答えたところで、神宮寺は嬉しそうな、それでいて酷く不安そうな、複雑な顔をするから。
守ってやらなければと思った。神宮寺を不安にさせるものすべてから。しかし俺には、お前を安心させる方法がわからない。今のように想いを告げたところでより不安にさせてしまうのなら、俺はいったいどうすればいい?お前がそうやって不安そうな顔をするから。困ったような顔をするから。だから俺は、お前に手を出すことができないのだ。
 なんて、これじゃあ好きになってもらうなど程遠い話だ。まずは、俺といて不安になるのをどうにかしなくては―――そう、くすりと苦笑した時。

「…やっぱり違うじゃん」
「なにか言ったか?」
「ねぇ、やっぱり俺じゃダメなのかな」
「え…?ちょっ、なにしてる!」

 小さな呟きに反応して神宮寺の方を見ようとすると、ガバッと体の上に覆い被さってくる影。思わず焦った声が出る。俺の脚を挟んで膝立ちになり、ソファの背に俺を囲うように両手をつく神宮寺は、酷く真剣な顔をしていて。はっと息を飲むほど美しいその表情は、どこか苦しげでもあって。急展開についていけず驚く俺に、ぎゅっと引き結ばれていた唇が苛立ったように言葉を紡いだ。

「なぁ、今誰のこと考えてたの」
「は?」
「オレを好きだって言うんなら、他のやつのこと考えてそんな顔して笑うなよ…!」

 絞り出すように吐き出された言葉。奴らしくもなく切羽詰まった表情と声音。これが演技だというのなら、神宮寺は大した役者だ。
 これはおそらく、嫉妬、だと思っていいのだろう。奴の空想上の俺の好きな人間に対する嫉妬。お前だけだと言っているのに、言うことも聞かずに勝手に想像して嫉妬して。普通だったら喜ぶべきところなのだろう。そんなに俺のことが好きなのかと。いもしない誰かに嫉妬するほど好きなのかと。
 けれど、今の神宮寺の表情は、どこまでも真剣で険しくて。今にも崩れてしまいそうで。

「神宮寺…落ち着け、俺はお前のことしか考えていない」
「はっ、どうだか」
「っ!」

 宥めるようと肩からサラリと落ちる髪の間からそっとその頬へと手を伸ばすも、触るなとでもいうようにパシッと払われる。明確な拒絶。固い表情のまま強がるように笑う姿は、どうしようもなく痛々しい。
 どうして、なんでそんな顔をする?自分から拒絶しておきながら、どうしようもなく怯えているような。わからない。あぁ、どうして俺は、いつもお前を不安にさせることしかできないのだ。

「お前さ、本当にオレのこと好きなわけ?ただちょっと、幼馴染みのあんな場面見て同情しただけなんじゃないの」
「なっ!そんなわけなかろう!なぜそんなことを…!」
「…――じゃあなんで、お前はオレに手を出さないの」

 ぽつり、零れるように小さく紡がれた言葉。僅かに目を見開く俺の目の前で、するっと俺のネクタイを手に取り、そっと大切そうに口づける。俺が言葉に詰まっている間に顔を上げた神宮寺は、酷く傷ついたような顔で笑っていて。
 堪らずもう一度頬へと手を伸ばせば、今度こそそこに辿り着いた。そっと撫でる手へと少し甘えるように擦り寄る端整な顔。

「…ねぇ、オレじゃあ役不足?それともやっぱり気持ち悪くなっちゃった?男同士なんて」
「そんなわけ…!」
「でもこんなに誘ってるのにいつも悉くスルーするよね。やっぱりお前にとっては一時の気の迷いだったのかな」

 避けていたのは、事実だ。こいつからいくら誘われようと、気づかないフリをして。なにも感じていないようなフリをして。あからさまに避けたこともある。自覚はあった。
 だけどそれは、お前が大切だったからで。一時の気の迷いなわけがない。むしろその逆だ。知れば知るほど、距離が近くなればなるほど、ますますお前に惹かれていった。もっと深くまで知って、お前のすべてを愛したいと、俺がどれだけ願ったことか。それでもなけなしの理性を総動員して我慢していたのは、お前の気持ちを大切にしたかったからで――…

「あぁ、それともお前は攻められる方がよかった?」
「っ」
「ごめんね、オレに言い寄ってくる男はみんなオレを組み敷きたい奴らばっかだったし、てっきりお前もそうなのかと…」
「やめろ!そいつらと同じにするな!」

 ふっと手から離れて自嘲気味に笑う神宮寺の言葉に、カッと頭に血が上る。間髪入れずに怒鳴り、手を首の後ろへと回して腕で力一杯引き寄せた。

「俺はお前の体目当てで好きだと言ったのではない…!」
「っ!」
「俺は、本当にお前を大切にしたかったのだ…」

 みっともなく震える声。ぎゅっと抱き締める腕に力を込める。
 お前のためと思っていた。お前のためを思っていた。しかし、むしろお前を不安にさせてしまった。どこで俺は間違えた?すべてはただの俺の独り善がりで、勝手な自己満足だったというのか?

「神宮寺…俺はお前を愛している」
「………」
「だから、大切にさせてはくれないか」

 切なる願い。たとえなにか方法を間違っていたのだとしても、この気持ちは本物なのだ。それだけはどうしても信じてほしい。俺がお前を心の底から大切に思っているのだと、お前の心の奥底まで届けばいい。俺のこの気持ちが、お前に刻み込まれて消えなくなってしまえばいい。方法が間違っていたというのなら、きっとどうにかしてみせる。だから、俺にもう一度チャンスをくれないか。
 そう思ってぎゅっと再び抱き締め直そうとしたとき、しかし二本の腕がそれを阻んだ。俺と神宮寺の体の間に入り込み、俺の体を押し返して無理矢理二つの体をべりっと引き剥がす。剥がされて呆気にとられていると、俯いていた神宮寺がゆらりと顔を上げた。

「…そんなの、頼んでない」
「え?」
「それがお前の大切にする方法だっていうんなら―――オレは大切になんか、されたくない」

 そう言い放った神宮寺の瞳は、ひたりと俺を見据えていた。



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