『マスター!』

「なん…!?近いなっ!」

『ねえマスター』

「なんだ。だから近いな!」


顔をずい、と出すとグローブのはめられた冷たい手の平で顔面を押し付けられた。

マスターは深夜から部屋に籠っていたかと思えば中々出てこず、今日はずっと実験漬けだった。そして扉が静かに開き顔をゆるりと出すと、正に疲れた顔を見せ「休憩だ」という声を聞きすぐさま飛んできた訳である。
押し付けられた手を避けてひょい、ともう一度顔を出す。


『お疲れ様でした!実験どうでしたか?』

「あァ…イマイチだ。上手くいかねェもんだ、おかげで今日、貴重な実験体が九人も息絶えた。新しい実験台を要求しないといけねェなァ…」


彼は向かいのソファにドカッと座ったかと思うと、そのままソファにのめり込んでしまうのではないかというくらいどんどん沈んでいった。ふわふわなローブは能力と一心同体だからか、同時にふわふわとソファに溶けていくよう。


『では私が連絡をしておきます。マスターはゆっくり休んで下さい』

「あァ、悪いな。頼んだ」

『あ、何か温かい飲み物でも持ってきますね』

「ンゥ…」


久しぶりに疲れている姿を見る気がする。ソファから立ち上がり彼を振り返ると既に目を閉じており、微動だにしない。まるで死人のような。空間を切り取ってしまったように、いつもうるさい様子とはかけ離れて、彼はいまとても静かだ。

私は吸い込まれるように、踵を返して彼の顔をまじまじと見つめにゆく。


『……』

「…………」

『好きです』

「…?」

『死なないでくださいね』

「近ェな…」


彼は覚束ない目を薄く開き私を見ると、口の端も目元もぴくりと動かさないままわたしを見た。綺麗な目だなあと思う。口も、普段は大きな口だなと思うのに、こうして閉ざされているととても綺麗な顔付きをしてるなあなんて。彼は一度ゆっくりと瞬きをすると、そっと手を上げてわたしの髪を梳くように触った。

ゆっくり、ゆっくり。わたしの髪を触り、頬を撫でる。心臓がどきどきする。


「お前は趣味が悪いな」

『マスターには言われたくないですよ』

「シュロロ…言うなァ」


撫でられた手は首元へと下がり、グローブ越しの熱がじんわりと肌に伝わる。その手を上から触れようとすると、その瞬間ぐいと引っ張られ、顔を覗き込むようにして立っていた私は彼の上へと落ちてしまった。


『…わっ』


ふわふわなローブに埋もれ、目の前は、やたら露出部分が多い胸元。顔が熱くなるのが分かり急いで立ち上がろうとした。


『ま…マスター?』


立ち上がろうとすれば腰の部分をがっちりホールドされており全く動けなかった。この人こんな力まだあったの…。

顔を上げれば、目は閉じている。まさかこのまま眠るつもりなのだろうか…。体格差もあり、彼の上に乗っかっている訳だが、もうベッドだ。なんていうか、例えるとすればあれだ。ととろだ。


『ねえマスター…寝ちゃいましたか』

「……」

『恥ずかしいですよ』

「……」

『誰か来たらどうするんです?』

「………」

『………』

「おれの事が好きなんだろう?」

『……!』


確信犯な言葉だとは分かっているのに、密着している身体なら当然のように、私の身体がぴくりとなってしまった事が分かり、彼はおかしそうにかすれた声で小さく笑った。


「だったら大人しくそうしてろ」


嫌ですなんて言えるはずもなくて。そもそも微塵も思っていない事だけど。腰は掴まれたままで起き上がる事もできずに、私はそのままそこに収まる事にする。結局私はいつだって彼に適わない。

その後、二人の上に毛布が掛けられていたことを知るのはまだまだ先の事。


20130913